NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第135回 「虎の巻」

By , 2005年8月15日 2:56 PM

引きこもりは、反抗期や思春期と言われる時期に前後して、将来の自立と社会参加を予期して緊張する精神作用の一種である。社会が若者の社会参加を求め、すんなりと受け入れようとしているのなら若者も順調にその道を進んでいける。だが、社会が若者の社会参加(つまりは労働力としての就労)を迷惑なものとして排除し、過酷な競争における生き残りを要求したり、行き先の見えない待機を強制するとき、そのような社会環境におけるストレスに耐えられず、社会適応を拒否して、混迷と錯乱に陥るのである。

このように見てくれば引きこもりは、多くの精神病にも見られるように、社会的な抑圧に起因するものであるが、個人的・器質的な障害ではなく、時代と社会が用意した集団的なストレス状態なのである。私たちは、多くの引きこもりたちと接してきて、そのような共通するストレス症状を見てきた。だから、その共通症状を見れば社会的引きこもりを判別できるし、他の精神病との違いを指摘できる。しかし、若者が受ける社会環境ストレスは共通のものであり、その二次的障害といえる神経症状も多くは共通するのであるが、本人気質や家庭環境によって反応形式に微妙なずれが出るのは確かであり、時には正反対のような行動様式を生み出すこともある。

一つは、引きこもりの初期またはそれ以前の段階にある『上昇志向』の持ち方の差異にある。『上昇志向』とは『競争社会』における地位向上志向といっても良いが、勝ち負けにこだわり、より高い社会的地位にこだわる考え方である。『競争社会』とはよきにつけ、悪しきにつけ外部社会が要した『環境』であり、上昇志向も幼いときから身に付けされる。ただ、ストレスにより引きこもった結果、『競争社会』への残留を断念するのが遅いか早いかによって変化が見られる。

一般に引きこもりは反抗期、思春期の原体験としての『競争社会』への幻滅や、将来の自立・社会参加への希望や期待の喪失を起点として引きこもり感情が形成されていくが、実際に引きこもり行動に移るのは15歳から25歳程度までの時間差がある。この間、現実には高校入試と高校生活、大学入試と学生生活、さらには大学卒業と就職体験などがある。

①.引きこもりの開始がこの期間の後期になればなるほど『上昇志向』が維持されていた期間が長く、いわば習性化しており、引きこもったあとも『上昇志向』が捨てにくくなっている。私たちが引きこもり脱出の最初の指標にしている『友だちづくり』が外見上成功したあとでも、本人は『上昇志向』を捨て切れていず、プライドも高いことから『自分は他の仲間たちと違う』という意識を持ち続け、本当の意味で仲間たちに溶け込みにくく、社会参加が遅れてしまう。往々にして孤立しがちで内向的になる。

②.一方、早い時期から引きこもってしまった若者には2つのタイプがある。既に早い時期(中学時代)から勉学についていくのが嫌になり、勉学を中断していた場合、年齢に応じた学力も身についていず、そのコンプレックスを隠すためにも無口になり、最初のタイプと同様に内向的であるが、同質の若者の匂いを嗅ぎ分けるのに敏感で、そうした仲間とは親和的になれる。だから、私たちのような引きこもり支援機関に参加してからも、グループを形成し、グループ内引きこもりに陥りやすい。

③.同じように早い時期にひきこもり始めるが、学力が高く、感受性が強すぎるタイプがある。勉強ができるので、先生からえこひいきされたりするが、それによって友だちとの垣根が出来たりするのが嫌で不登校になり、やがて引きこもる。『上昇志向』もそれなりにあるが、むしろ周囲からの『上昇期待』に対する反発が強く、その反動としての『下降志向』が出てくる。仲間への思いやりが強く、仲間内でのリーダーシップを発揮するが、大人やサポーターによる押し付けがましい指導には反発する。

これらはいずれも引きこもりの初期段階を脱して『第3種引きこもり』(直言曲言2004.7.21『引きこもりの外にあるもの』参照)状態にある人たちの姿であるが①②③の状態像に優劣があるものではない。私たちの彼らへの基本的な接触の仕方は変わらない。しかし、基本的には自由な人間関係の構築を見守るだけであるが、長期的には行き過ぎた偏向(かたより)に対して、周囲からやんわりとした風を当てることによって、朝顔の蔓が延びていく方向を矯正しようとする。

①のグループは『上昇志向』が障壁になっている訳だから、これを解体する方向に誘導する。だが、外部からこれを強制的に解体してはいけない、却って反発だけが強くなり、更なる孤立化が進む。『上昇志向』が既に自分に何物ももたらせず『社会参加』の壁になっていることを自覚させることである。このグループの中には、非現実的な願望を含めて、具体的な目標を持っている場合もある。ミュージシャンになりたいとか、もう一度大学を目指したいとかである。こんな場合彼らの目標を否定しない。ただし、楽器の演奏であれ、身体を鍛えることであれ、勉学に励むことであれ、日常的な努力を要求する。何もしないままで高い願望だけを持ち続けていることを黙認してはいけない。

②のグループはグループ内の同質性に依存して、居心地の良さに安住しているので、このグループの解体を目指す。ただし、これも指示による上からの解体は避けなければいけない。このグループが共通する趣味や遊び、あるいは食事のときに常に同席したり、同じアルバイト先に勤めていたりすれば、その中に異質な特性を持った仲間を参加させるように仕向けるのである。同質性に安住はしているが、新しい仲間の参加によって良い刺激を受け、低位の同質性からいつのまにかより高次の同質性に転移している。本質的にはすべての若者が引きこもりからの脱出を目指しているのであり、異質との出会いを受け入れてくれる。

③は正義感が強く、大人やサポーターの意図も見透かしてしまうので、指導的な対応を避けなければいけない。大人への反発を活かして、逆に自主的な活動のリーダーの役割を与える。反社会的な活動でない限り、事務局が設定した活動でなくても、あらゆる自主的な活動は尊重されるべきである。どのような活動も、引きこもって何もしないことよりはるかに意義がある。大人たちに反発していたはずの彼が、いつのまにか事務局にとって最も頼もしいリーダーになっている。
ところで、ここに披露したのは引きこもりのタイプ別の若者に対する、私たちの対処法の一部であるが、このような『手の内』を明かしてしまって良いのかという疑問があるかも知れない。確かに『虎の巻』の一種であるが、若者たちを欺くような方法や考え方はどこにもない。私たちはすべての方法を公開している。

2005.08.15.

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