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直言曲言 第134回 「記憶の海へ」

By , 2005年8月2日 2:54 PM

人に性格や行動様式のようなものがあるなら、遺伝や人類史の中での獲得形質などに影響されるものもあるかもしれない。しかし、大部分は幼児期以来の体験や学習によるものが多いと考えている。だがこんな単純な『人間論』というか『生物学』というか『大脳論』は誰も教えてくれないので、自分自身の思い込みで、そう考えているしかないのである。
私自身は、早熟であったとは思っていないのだが、人より多少早い時期から、貧困に基づく『苦難』の体験を重ねた。いつか、どこかに書いたように12歳の頃には、1人前の大人が体験するようなことはすべて体験し尽くした、と当時の私は考えるようになっていた。それは、いくつかの職業(というよりは、食べていくために必要な労働)の体験であり、人の情を受けたり、裏切りにあったりする単純な経験や、そんな経験の中での心理的な葛藤の数々であったにしか過ぎない。
昭和33年に『不就学児童一掃運動』というのに遭遇して、小学校を卒業していないのに私は大阪釜が崎の中学1年生に編入される機会を得た。言っておくが『不登校』ではなく『不就学』であり、学校と言うものに縁がなかったのである。それは絶望的な人生の先行きを覚悟していたのに、突然宝くじの高額当選券が舞い込んだようであり、私はちゃっかりとその路線に乗っかって、一応奨学金などの助けも借りて、国立大学に入学するまでにこぎつけた。言ってみれば拾い物の人生であり、他人のように積み重ねた努力の結果ではないから、後生大事に平穏無事に人生を過ごそうという態度ではなく、もしできるなら人生のある種の実験として、いろんなことに挑戦して、面白おかしく生きて、人々の参考に供してやろうなどという、不遜な気持ちを持っていた。
だからと言って、破滅型のヤクザな人生を歩んで来たのではなく、その場その場ではそれなりに一所懸命に努力してきたのだが、何しろ12歳で人の世のことは『見るべきものは見た』などと思い込んでいたので、あまり怖いものはなく『この先、どれだけのことを体験できるのか…』については多寡をくくっていた節がある。実際に12歳の頃に比べると、その5倍にあたる60年の人生を生きてきたのだが、私の記憶にはとてもその頃の2倍、3倍の情報量は蓄積されていなくて、今もなお12歳の頃の記憶と判断様式に従って生きているありさまである。
『朝の来ない夜はない』とか『降り止まない雨はない』というのは絶望に打ちひしがれている人を慰める言葉がある。9歳の私でさえ、そんな言葉は知っていた。しかし、親のいない雨の夜、弟妹たちの寝姿を眺めながら長い雨の夜を過ごした私には、そんな慰めは通用しなかった。『幸せをください』と神に祈り、その祈りが決して通じないことを何度も体験し『神はいない』と不遜にも宣言した。幼ない無心論者の誕生を笑わば、笑え!
要するに他人から見て些細な体験であろうと、重大で深刻な体験であろうと、人は自分の体験と記憶によって己の行動様式を決めるのであれば、決定の規準は己の記憶や体験の中にしかない。ただし、それはもちろん書物や映像作品などによる『追体験』も含まれる。誤解を恐れずに付け加えるならば『夢』や『妄想』や『幻聴』などによる『体験』をも含むであろう。
私は実際には人を殺したことがない。少なくとも、私の今の精神状態が正常であるとして『夢』や『妄想』と現実が明確に区別されていると仮定すれば、人を殺したことはないと断言できる。しかし、私の大脳側頭葉のどこかには殺人の記憶が埋められていて、時折繰り返される夢の中では大脳前頭葉の指図により側頭葉から呼び戻された記憶が映画のように上映される。正確には判断できないのだが、森の中を執拗に追いかけてくる敵がいて、その敵に私は反撃して撲殺してしまう。敵を地中深く埋めてしまうのだが、数年後にはその私の殺人を目撃していた新たな敵がまた追いかけてきて、私は同じことを繰り返す。そんな夢が繰り返される。60年間の人生でこのシリーズ映画はまだ数回しか見ていないのだから、48作という『寅さん映画』に比べると余り人気シリーズではない。
いろんな夢を見ることは見るのだが、大抵はたわいのないもので、見てもすぐに忘れてしまう。しかし、繰り返し見る夢もある。私の人生のごく初期、つまり中学生時代までによく見た夢は『空を飛ぶ夢』であった。フロイトなどの夢判断によれば、性欲と関連する夢らしいのだが、私の場合は少しシナリオが違う。やはり何かに追われていて危機一髪というときに、私の身体はふわりと浮き上がり、空を飛ぶことになる。だが、上空に達して追っ手から完全に脱出できそうになると、そこには霞み網のようなネットが張りめぐらされていて、いくてを阻まれるのである。これには、夢から覚めたときの私自身の夢分析が付け加えられる。
この頃、私は釜が崎のスラムに暮らしていた。スラム街はバラックのような安普請の家とドヤビル(労務者用の安ホテル)が多く、軒先には電線が縦横に走り、視界を遮っていた。空を飛ぶと言うのは、私の釜が崎からの脱出願望であり、それを阻む霞み網のようなネットは、現実の障害物としての電線である。私は現在193cmの長身だが、中学生のその頃も180cmほどもあって、自分の身長がどれほど伸びるのかに恐怖していた。電線と言うのはその恐怖のシンボルであったのである。
夢の中に現れるトラウマや妄想は、夢を夢だと判断した瞬間に消えてしまう。しかし、現実の生活の中でも、希望や目標が見えない中で神経疲労が極限に達すると簡単に妄想は生まれる。妄想はおろか、幻視や幻聴が現れることも珍しくない。砂漠の中でオアシスの幻視を見ることは稀ではないらしいし、空腹の人が空の雲をコッペパンと見間違うのと同じ理屈で説明するまでもない。
私は大学に入学したばかりの頃、1週間に6つもの家庭教師のアルバイトを掛け持ちし、おまけに講義やクラブ活動にも追いまわされて疲労の極限にいた。やがて神経衰弱(ノイローゼ)の症状があらわれ妄想に悩んだ。今のように簡単に神経科を受診できていたら統合失調症の診断を受けていたかもしれない。大学4年生の頃やその後しばらくは、自分が万能のように思い誇大妄想癖を持ち、やたらはしゃぎまわっていた。気がつくと周囲に友達がいなくなり、厭世観に囚われて塞ぎこむ日が多かった。今から思えば躁鬱病的な症状に近かった。統合失調症にしても、躁鬱病にしても精神科医は2大精神病と言う。
人はさまざまな記憶を貯蔵しながら生きている。記憶の編集の仕方次第で、殺人鬼にもなれるし聖人にもなれる。疲れたと感じたときには、記憶の海を逍遥すればよい。他人の診断で病人にされてしまう必要はない。

2005.08.02.

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