NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第126回 「好きなもの、嫌いなもの」

By , 2005年5月20日 2:23 PM

食べ物の好き嫌いはありますか?誰にでも少しはありますよね? 今の子どもたちはニンジン、ピーマン、トマト、グリーンピースなど緑黄色野菜で、しかも独特の香りのあるものを嫌う傾向があるようだ。給食などでもこうした野菜が出ると、より分けて残してしまう子どもが多いとか。こうした緑黄色野菜はビタミンAの供給源であり、お母さんたちや給食の栄養士さんは調理方法を工夫して、食べやすいように努力していると聞く。

別にこうした食べ物の好き嫌いが引きこもり問題と関係があると言って、好き嫌いをしないようにお説教をするつもりはない。実は私にもかなりの好き嫌いの傾向がある。言い訳をするなら、私が生まれ育った時代は食生活が貧しい時代であり、実際には食べ物の好き嫌いなど、贅沢が言える時代ではなかった。その反動で、ある程度豊かになってからは、昔、我慢して食べていた、いくつかの食べ物を『嫌い』だと思うようになった。

私は昭和19年(1944年)生まれであり、幼い頃は太平洋戦争後の混乱期であった。お祖父さんお祖母さんのいる方は、戦後の食糧難の話などを聞いた方がいるかも知れない。まず白い米のめしが十分に食べられる時代ではなかった。麦やその他の雑穀を混ぜたご飯が普通だった。今日では健康のために麦飯を食べる人や、玄米食を食べる人もいるが、その当時はもちろん白米は高価で、麦が安かったので白米に麦を混ぜた。今でも白米に2割程度の麦を混ぜれば、結構食べられるが、その当時は麦自体の質が悪かったし、その麦を5割とか時には麦8米2くらいの割合で飯を炊いた。正直言うと、パサパサして喉を通りにく、とても美味しいといえる代物ではなかった。麦飯は今でも苦手である。

米びつにお米があるときは、麦飯になるが、それもないときはいわゆる代用食になる。代表的なものは薩摩芋である。今では石焼芋などは女性の好物で、しかも結構値の張る食べ物だが、昔は芋は値が安く庶民が空腹を満たすには最適であった。石焼芋ならまだましであったが、そんな手間のかかる食べ方はせず、たいていは大量に早く調理できる『蒸(ふ)かし芋』にして食べた。ある時期には毎日蒸かし芋が主食になり、胸焼けがしてたまらなかった。胸焼けを防ぐには、副食としてたくあんの漬物や塩昆布を食べて、水を飲めば良いのだが、そもそもお金がなくて芋を食べているのだから、そうした副食にまでお金が回らない。胸焼けとおならを我慢しながら、ひたすら空腹を満たすために芋を食べた。

こうした食生活を体験した人なら、のちに豊かな時代になっても、芋を好きになどなるはずがない。芋を見るだけで胸焼けに悩んだ体験と記憶がよみがえって来る。主食が麦飯や芋だった頃であるから、副食も肉や魚のような贅沢なメニューはめったにお目に掛らなかった。副食もまたひたすら主食を補うように、おなかを満たす材料が尊重された。代表的なものはかぼちゃ(南京)の煮物であった。またジャガイモの煮付けや大根の煮物、豆類など、要するにボリュームのある根菜類が多かった。だから、私は今でも麦や薩摩芋、かぼちゃなどが苦手であり、好んで箸を出す気にならない。

嫌いなものを白状してしまったので、私が好きなものも書いておこう。と言っても、今ではそれなりに歳を取ったのでたいていのものは美味しくいただけるのだから、昔、子どもの頃に美味しいと思った食べ物である。食べ物の美味しさと言うものは、そのもの自体の美味しさだけではなく、それを食べた状況と共に記憶するものらしい。私が小学校3年生の頃の記憶であるが、私たち家族は夏の終わり頃に長い道のりを歩いていた。普段歩きなれた道ではなく、初めての道を歩いていた。だから目的地にいつ頃着くのか分からず、途方にくれかかっていた頃、1軒のとある食堂に差し掛かった。立派な建物ではなく、葦簾(よしず)ばりの小屋のような食堂であった。

長い時間歩き続けてきておなかがぺこぺこに減っていた。『何が出来るのか?』と聞くと『きずしくらいしかできまへんけど』という返事。生酢し(きずし)と言うのは、説明する必要もないかもしれないが、一塩した新鮮な鯖を酢に漬けて食べる料理で、関東ではしめ鯖という。当時は昭和28年で、既に食糧事情もかなり好転していた。ついでに我が家の家計も少しは豊かだった頃だったので、白いご飯とこのきずしを注文した。この白いご飯ときずしの組み合わせの美味しさは50年以上経った今でも覚えている。前述した麦飯のまずさに比べると、白い米の飯のうまさ、空腹時に酢の味の利いた鯖のうまさ…。私は今でもこのきずしが大好物である。

私があの食べ物が好き、これが嫌いというのは、どちらにしても貧しさや飢餓に近い体験と大いに関係がある。それに比べると、今の子どもたちの好き嫌いは、飢餓体験などとは何の関係もない、単なる食わず嫌いや、お母さんたちが幼児的な味覚におもねったメニューを提供し続けたせいのように思える。今、20代~30代の引きこもり世代の人々はどのような食物観や好き嫌いの感覚を持っているのだろうか。あなた方も、今の子どもたち同様に飢餓体験などはしていないはずだ。それでも、今の日本人の食生活は戦前や戦後の一時期に比べると随分と変化した。

食生活や食文化というものは、人間の生活文化や習慣の中で最も変わりにくい保守的なものだと言われてきた。それぞれの国や地方には、固有の気候や風土があり、従って固有の産物があり、料理や食習慣がある。中国料理や朝鮮料理あるいはインド料理、イタリア料理、スペイン料理などそれぞれ独特の食材や調味料が使われ、独特の風味がある。日本料理も世界の三大料理に数えられ、独特の素材や調理法、様式が伝えられてきた。しかし、戦後の主として、経済的な環境変化の中で、日本人の食生活は劇的に変化した。いくつかの要因が考えられる。

①一つは電気冷蔵庫やその他の家電の発達による食品保存や調理法の変化。電子レンジなどない時代には考えられなかった家庭料理が増えた。②関連するが冷凍技術の発達による冷凍食品やレトルト食品などの増加。③農業の変化による輸入食品の増加。食生活の洋風化。④主婦の社会参加や多忙化による調理の簡便化や外食の増加。⑤核家族化の進行による祖父母の味覚や調理技術の非継承。そして全体としてパン食の日常化、食感(テクスチュアー)のソフト化、脂肪過多化などが上げられる。

こうした食生活の変化は、決してそれ自体が、悪い変化ばかりだとはいえない。家電製品の普及や経済のグローバル化による輸入食材の流通などは、日本に限らず世界中で進行している変化である。しかし日本ではそれを越えて、あらゆる社会システムが大きく変化し、ついでに食生活もがらりと変化してしまった。社会システムの変化は、それまで適応的であった様々なものを不適応にしてしまう。あるいは古い社会システムそのものが、不適応状態になって姿を消していく。

2005.05.20.

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