「はじめての方へ」髙橋淳敏
ニュースタート事務局関西のホームページの「初めての方へ」文章が古くなっていたので更新しました。それを掲載します。HPの他のコンテンツも随時更新する予定です。
はじめての方へ
「ひきこもり」が問題になってから、30年が経ちました。しかし、引きこもり問題は解決するどころか長期化する一方です。新たな若い世代にも引きこもる人は絶えません。少子化なのに、学校に行かない子どもが近年になって急増しています。引きこもり問題は社会的に解消していません。それどころか何が問題なのか、未だ理解されていないように私たちは考えています。30年近く、「ひきこもり」とされる個別の問題と、引きこもり問題を抱える社会に携わってきましたが、これらの問題を解決するには「ひきこもり」を生み出し続けている社会への評価が、まずは重要であるとの思いを強くしています。
「ひきこもり」とされる人は、一般的には10代後半からその兆しは表れ、進学や就労のことで人間不信や対人恐怖などを経験し、友人や社会との関わりを断つこともあって、部屋や家に閉じこもり昼夜逆転したり、そういった生活で人によっては神経質になったりもします。親は親で、元々閉じがちな核家族をさらに閉ざし、親戚や近隣や友人に相談もできず、親が居なくなった後の子の将来を、孤立無援で悩んだりしています。年齢は10代から50代以上と幅広く、小学校の頃から不登校だった人もあれば、大学も出て何度も働いた経験がある人もいます。家での生活は、部屋から出ずに親とも顔を合わせない人や、働いていないだけで外出はしたり、家事などする人もあって様々です。怠けているだけだとか、ニートと呼ばれたり、発達障害とされたり、精神病院に親が相談へ行くなど、「ひきこもり」への差別的とも云える誤解は多くあります。
無気力・人間不信・対人恐怖・昼夜逆転など症状として、惹いては病気や障害という名で表れるなど、個人を問題に見ることから、「ひきこもり」への誤解は始まります。そこで、家族や周りの人が「ひきこもり」に怒ったり諭したりなだめたり待ったりして、学校や職場に向かわせようとしたり、治療や訓練によって「ひきこもり」を変えようと考えるわけです。そういった支援や治療行為が引きこもり問題を固定化してきたことを、まずは理解しなくてはなりません。引きこもり問題が30年以上も長く続いているのは、いつまでも本人たちを問題としているからです。100万人とも200万人とも名指された「ひきこもり」が問題になったのは、引きこもる行為(状態や症状)を続ける「ひきこもり」が増えた結果ではありますが、その原因は個人のパーソナリティ(人格や能力)にはありません。もちろん親の育て方が悪かったなどの過去の話しでもなく、引きこもり問題は今まさに生じてることです。
まずは社会の側に引きこもり問題があると考えてみてください。意識的ではないにしても「ひきこもり」と名指された当事者は、引きこもる身を体した行為によって、外へと問題を提言せざるを得ない状態になっていると考え、*コミュニケーションを180度転回する必要があります。「ひきこもり」を解消するのではなく、引きこもり問題を通じて私たちや社会を変えるのです。その問題解決の主体となりうるのが「ひきこもり」と名指され、今は後塵を拝しているとされている当事者たちです。物事の前後を逆に見れば、彼・彼女らの不参加を通じて、社会は今も変化してきたのが分かるはずです。少し前は働くことや経済成長こそが社会の一義的な目的とされていましたが、今となってはそれも変わってきています。彼・彼女らは教育されたり訓練されたり更生される対象ではありません。「ひきこもり」が社会復帰するのではなく、私たちの社会こそが引きこもり問題を通じて復帰しなくてはなりません。親世代には出来なかったことではありますが、彼・彼女らがこれからの未来ある社会を形作っていくのだと信じるしかなく、諦めずにはいてください。希望はいつの時代も子や次世代にあります。私たちは、引きこもっていた人たちが変わらずも交流できる場を、これからも続けていく活動しかできません。
2025年2月10日 ニュースタート事務局関西 代表 髙橋淳敏
*「ひきこもり」の原因となる社会を、一つ例に挙げておきます。私も経験した引きこもり第一世代の話しです。90年代後半に「ひきこもり」という言葉は生まれました。その頃は、バブルも終わり不況になり、就職氷河期と云われた買い手市場でした。具体的に企業面接の場面を想像してもらえばいいのですが、買い手市場と売り手市場ではテーブルを挟んで、コミュニケーションは180度転回します。買い手市場であれば、企業は労働者の代えがたくさんいるわけですから、就職希望者に対してうわてに出ます。就活者は働いたこともないのに、同じようなリクルートスーツを着させられ、自分の能力や取得した資格が他の人とは違うとアピール競争をさせられます。50社以上受けた人もいて、面接の場でふるいにかけられ、けなされもしてメンタルがボロボロになり、就活する度に金は減っていきます。その上、労働条件も買い叩かれるわけです。売り手市場であれば、とにかく人手が欲しいので企業はしたてに出ます。就活者の方が、数社ある中から希望の企業を選びます。面接では企業が聞いてきたことに、是非で答えれば良いくらいで、余計なことをアピールする必要もありません。就活する度に金が溜まり、接待してもらった話しもあります。就職してからもやめてもらっては困るので、配慮があったり優遇されたりします。金の卵とまで云われていた超売り手市場だった団塊世代が、就職氷河期とまで云われた超買い手市場の引きこもり第一世代の親であったり、企業の面接官たちでした。社会と初めて対面する時のテーブルに向き合って座ることになった関係性に、多くのことが象徴されているように見えるのです。面接官や親は、自らが配慮され優遇されてきたことに無自覚で、今ある社会的地位は働いてきた自らの努力の賜物と考えています。子はそのような既存社会を学校教育で内面化し、自らの能力や努力が足りないから就職や自立ができないと思っているのです。テーブルを挟んで対立し、お互いの立場について無自覚で、この席から立ち去ることもできないのです。コミュニケーション障害と云われている事態は、個人が障害を持っているのではなく、実際は買い手市場のテーブルの上に、社会の側が設けた「障害」物のようなものなのです。