直言曲言 第90回 「北風と太陽(親としての役割)」
これまでに,なぜ今の若者は引きこもりになるのか,その原因と引きこもり症状の特長について語ってきました.実はこのことを正しく理解しておくことが,引きこもりからの脱出のための最大のステップになるのですが,引きこもりからの脱出といっても,本人が脱出しようとしている場合と,本人はまだそのことに無自覚であり,家族や周囲ばかりがヤキモキしている場合では脱出への道筋は違います.本人が『何とか引きこもりから脱出したい』と考え始めた場合,私たちは多くのその支援の方法を持っており,家族はそれを利用していただければよいわけです.
本人が引きこもりからの脱出という課題に無自覚であり,親からの働きかけにも無反応,あるいは働きかければ掛けるほど反発を強めるだけ.
最初に家族が私たちに相談されたり,引きこもりを考える会に参加される段階では,ほとんどがこのような状態です.
快適な部屋と三食を与えられ,時にはわがままな要求にも応えて,引きこもりを許容されている存在に対して,他人である第三者は何を言うことが出来るのでしょうか?あるいは差し伸べられる様々な支援手段に対しても拒絶の姿勢を崩さない場合,私たちに何が出来るのでしょうか?厳密に言うと,この場合私たちに出来ることはありません.
引きこもりの当人にとって,訪問者は自分の安寧を乱す侵入者に過ぎません.社会参加のイメージを見失って,ようやく引きこもりという安息の地を手に入れたのに,極寒の氷河期とも言うべき競争社会に出て来いなどとの誘いかけは,自分の生命さえ脅かす敵であり,何としても撃退しなければならないからです.
この場合,私たちは二つの可能性について考えます.ひとつは,こうした誘いかけへの拒絶を示している場合も実際には,本人も内心では引きこもりからの脱出を考えていることが多いということです.ただ,長期の引きこもりなどで,誘い掛けを拒絶することが習慣化してしまっており,そのうずくまっている姿勢から立ち上がる勇気を持てない場合です.親も脱出への働きかけはしているのですが,いつも拒絶的な反応しか返ってこず,働きかければ掛けるほどますます頑〔かたく〕なに,自分の殻に閉じこもるように見えるので,働きかけを止めてしまっています.
この場合は,NSP(ニュースタートパートナー=レンタル部隊)は訪問を繰り返すことによって,相手に誘い掛けに応じるタイミングを幾通りも提供し,やがて重い腰を上げて立ち上がるのをじっくりと待ちます.私たちがやっているさまざまな活動についての説明も繰り返します.決して苦しくて困難なトレーニングを強いるのではないこと,楽しい仲間がたくさん居ること,必ず夢と希望を回復できるだろうこと….多くの場合,長期の引きこもりもこのようにして脱出してきます.しかし,残念ながらこのような辛抱強い対応も100%最終的な脱出につながるとはいえません.
誘いかけが困難なもう一つのケースは,誘い掛けを拒絶する側が,脱出することに無自覚で,あらゆる外部からの語りかけに応えようとせず,反応が期待できない場合です.心の中にバリケードを築いており,自己と外部世界との境界をすっかり閉ざしてしまっている場合です.バリケードとは,外敵の侵入を阻〔はば〕むために築かれたもので,普通は自身の出入りする隙間は確保されているのですが,自己の行為を正当化する自意識が肥大化しすぎてしまい,自分自身さえ脱け出せなくなっているのです.
この場合は,もう一歩進んだ家族の協力以外に方法はありません.バリケードを破壊するのです.つまりは引きこもりが,快適に過ごしている環境を破壊し,出てこざるを得ないように仕向けることです.『快適な部屋と三食とわがまま』が保証されているからこそ,脱出を考えようとしないのです.家族と一緒の食卓につくことさえ拒絶している引きこもりに,自室まで食事を運んだり,家族が寝静まってしまった深夜に本人が食事できるように夜食を用意したりという『快適条件』を奪い取ることです.
これはある種の『兵糧攻め』であり,時には危険を伴うことさえあります.こんなことは訪問者の権限ではありません.家族自身が,引きこもりを許してしまっている環境を見極めて,冷静に対処すべきなのです.自宅以外のアパートなどで引きこもっている(遠隔地の大学の不登校者などの)場合,仕送りをストップして,経済的に引きこもりを不可能にしてしまうことも必要です.
このような対応を迫ると,家族たちは『本人が衰弱して病気にならないか?』とか『錯乱を起こして,ご近所に迷惑をかけないか?』などと強行な手段に尻込みをされます.どちらもありえないことではありません.本人がそこまで衰弱するまで絶食を強いる必要はありません.三日も絶食をするようであれば病院に担ぎ込むべきです.ご近所に迷惑をかかるほどの奇声をあげるようなら,こちらも『病院』のお世話になるしかないでしょう.結局,本人に対する過剰な気配りが本人を甘えさせ,わがままを放置していることになるのですから.
私たちは引きこもりを『親が言葉で説得して改めさせるのは無理,第三者の世話になることだ』と言っています.しかし,そのことを逆手にとって,引きこもりに快適な引きこもり環境を与えたまま,訪問者に100%委ねて,親が知らぬ顔を決め込んでいては,問題は解決しません.外から引っ張り出そうとする力に合わせて,内側からも押し出す努力をしなければ,大きな力が発揮できません.
引きこもりに追い込んでしまうのは,現実社会の寒風です.自分がその中に飛び出して行き,職業選択をして,人生を生きていかなければならないのに,人生デザインに挫折してしまい,引きこもってしまっているのです.就職氷河期とか冬の時代と言ったり,引きこもりを冬眠に譬えるのもそういった意味があるのです.
旅人のコートを脱がせるのは『北風』か『太陽』かという寓話があります.もちろん,北風がビュービューと吹き荒れても旅人は,コートの襟をかき寄せてしまい,太陽がぽかぽかと照り始めると旅人はコートを脱ぐと言うお話です.家族はみんなこの寓話が頭にこびりついていて,この太陽の役割に憧れています.
この寓話に当てはめれば,NSPは北風です.外から吹いてくる寒風なのです.引きこもっている旅人は,隙間風も入ってこないようにバリケードを築き,時には扉の目張りまでして,北風の侵入を防ごうとします.家族は,そんなとき『太陽』の役割を演じようとします.部屋の中を暖めて,食事を用意し,やさしい言葉をかけます.旅人は安心して,引きこもりを続けます.これでは,外は寒いから出かけなくても良いよ,と言っているのと同じです.家庭(特に核家族のマイホーム)には『暖かい』というイメージがぴったりです.他人は冷たく,信頼できず,外の社会は裏切りやだまし討ちの蔓延する社会だと思い込んでいます.これでは,引きこもりが『家』から脱出することは出来ません.誰もが『家族』と言う『殻』中に自閉してしまいます.
『家庭』というものは,本当に閉じこもっていて良い『城』なのでしょうか?若者にとって,そこはやがて出て行くべき『出発地』であっても,帰り着くべき『根拠地』ではないはずです.確かに,外には寒風が吹きすさんでいます.しかし,若者は勇敢に飛び出して,新しく,暖かな拠点を築くべきなのです.NSPはその暖かい仲間であり,あるいは暖かい場所への道案内人です.家族が太陽の役割を演じ続けることは,やがて光と熱を失った寒々しい城に若者を幽閉してしまうことになるのではないですか?NSPと家族,北風と太陽はその役割を交代すべきなのではありませんか?
(3月8日)