NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第89回 「治る力(Healing Ability)」

By , 2004年2月14日 4:14 PM

日本語では「治す力」と訳しても良いのだが,あえて「治る力」と言ってみる.他動詞ではなく,自動詞であることに着目して欲しい.自己治癒能力,または自然治癒能力のことである.
よく東洋医学と西洋医学の比較がなされる.素人である私の理解としては,化学薬品や検査・外科手術の多用の西洋医学に対し,東洋医学は漢方など生薬や施療者による手技・伝統療法などの重視であろうか.もちろん,近代医学の成果としてこうした西洋・東洋の垣根を取り払い,両者の科学的成果を融合させた,新しい医学技術が登場しつつある.これも,医薬や手術などの外から与えられる『医療』を重視してきた西洋医学に対し,身体が本来備えている『自然治癒能力』を重視する東洋医学の導入という形で進んできていると理解している.
しかし『自然治癒能力』や『自己治癒能力』が評価されるようになっているのは,あくまでも内科,外科などの肉体疾患,つまりはフィジカル(肉体的)な領域のみで,メンタル(精神的)な領域ではまだまだ西洋医学の『外から与える』医療が中心である.精神的な疾患を,非西洋医学的な手法で対応するとなると,例えば『狐憑きを落とす』とか『宗教的救済』とか,つまりは非科学的な方法であるという謗〔そし〕りを免れ得ない.
肉体領域における自然治癒能力とは,取りも直さず細胞の復元能力のことである.詳しいことは分からないが,破壊された細胞そのものの復元もあれば,細胞の配列の復元もある.癌のような異常細胞の増殖を阻止し,正常な細胞に置き換えるような組織の復元能力もあろう.外傷を負って外科手術を受ける.傷口を縫合し,出血を止めたり,痛みを麻痺させる薬や,化膿を予防する薬,免疫力を強化する薬品や遺伝子の投入・投与があるかもしれない.しかし,このとき傷を受けた細胞や皮膚表面の細胞の自然治癒能力が,傷の治癒に大きく関わることを否定する医師はあるまい.
自然治癒能力とは『治癒』に欠かせないファクターであり,むしろ医療行為とはこうした『自然治癒能力』を最大限に発揮させる『補助的』な技術に過ぎない.むろん,洋の東西を問わず医療はこのように自然治癒能力を高める方法として発展してきたわけだが,近代においては西洋医学が圧倒的な優勢を保ち,医学と言えば西洋医学ともいえる常識が定着してきた.このことは,西洋医学が解剖学や諸種の医学検査,薬品分析や臨床実験などの実証主義的医学を重視し,いわゆる科学的合理主義にその根拠を置いてきたことによる成果であると言ってよいだろう.その結果,実証主義に基づいた技術への信仰が強くなりすぎて,却って医療の根源とも言える自然治癒能力を軽視しすぎたり『病気を見て,人間を見ず』と言われるような医療がのさばっている.
医療や薬学の発展は素晴らしく,かつて難病・不治の病といわれた病気の数多くが治療可能となる一方で,癌は相変わらず致死率が高く,他の新しい難病が発見される.西洋医学の最前線ともいえる医療現場で見離される患者が,未実証の漢方医療などで奇跡的に生還したり,完治したりする例も出てくる.そこで冒頭に触れたような西洋医学と東洋医学の融合のような治療実験も出てくるのである.
ところで,私は相変わらず『社会的引きこもり』について論じている.『引きこもりは病気ではない』と私は主張しているが,多くの人はこの引きこもりについて『精神医学』の範疇の病気だと考えており,事実多くの精神科医が引きこもりの人を患者として扱っている.私とて『病気(精神病)』であろうと,あるまいと精神科医がこの引きこもりを治療できて,元気にしてくれるなら,文句などつける筋合いではない.精神科医に長年通っても,治癒されるどころか却って悪化させてしまった親たちが,私たちを頼って来られるので『病気ではないのではないか?』という仮説を立てたに過ぎない.
近代医学の一端に位置するはずの精神医学ではあるが,このほとんどは外からの与える医療に終始していて,患者の自己治癒能力,自然治癒能力に着目した治療法はほとんど考えられていない.ただ,医療機関や医師やベッド数の限界,そして何よりも治療の限界から,寛快(治癒)に至らない患者がとりあえず,退院や治療の中断をさせられて,放置されているに過ぎない.
私は門外漢であるにもかかわらずあえて言わせていただく.精神医学の領域において,科学的実証主義に基づく医療をおこなおうとするのは無理である.なぜなら,精神科医が学んできた精神医学そのものが実証主義的な科学ではなく,憶測や仮説のジグソーパズルであり,しかもそれは未完成である.仮説を並べることに反対しているのではない.むしろ論証できていない領域に仮説を提示するのは,科学的態度であるといえる.しかし,それを論証すべき治療の現場において,なされているのはほとんどが投薬治療であり,対症療法である.投薬がどのような自己治癒能力と結合して,どのような治癒過程をたどるのか,論証された結果を,私は残念ながら目にしたことがない.もちろん,作業療法をはじめとする精神科領域と称される医療現場でのさまざまな治療方法が存在することは知っている.しかし,そうした療法のほとんどは,精神科の治療の外縁にあり,投薬治療の成果を観察する方便にしかなっていない.
精神科医のほとんどは,精神・神経領域における自己治癒,自然治癒能力を信じていないのか,治療過程において患者自身のセルフコントロールはほとんど認められていない.それは,治療しないでも治るとか,放っておいても勝手に治る,とか主張しているのではない.精神障害があなた方の好きな,脳細胞や神経配列の異常であるとしても,脳だけがなぜ肉体一般と切り離して,不可逆的な障害に陥ってしまうと考えるのか.あるいは治療過程におけるセルフコントロールは,そのコントロールを司〔つかさど〕る精神作用自体に障害があると考えるから,不可能と捉えられているのだろうか?ほとんどが医師主導で患者の『治る力』は無視されているに等しい.
外傷の傷口が治っていく時,その自然治癒能力は精神作用によってコントロールされているのだろうか.それを私は「神の力」とはいわないまでも,人知の及ばない『造化の妙』によってコントロールされており,それこそが自然治癒能力と呼ばれるものではないのかと考える.その『人知の及ばない』領域のことを科学的実証主義は否定しようとする.人知による『実証』が出来ていないだけで,その治癒能力を否定するのは,科学の傲慢であり,努力の放棄である.
精神障害に限らず,肉体や精神の治癒には人知の及ばない領域がある.医師といえども,その未知の領域に対して謙虚に見守る態度が必要ではなかろうか?他方,精神障害発生のメカニズムに対する仮説が圧倒的に不足しているのではないのか?社会病理の存在は明らかであるにも拘らず,ただ,その社会病理と障害発生の因果関係は証明が難しい.器質的な障害が発生しているとしても,その器質的障害そのもの起因を社会病理による『習慣的』な思考や生活慣行に基づく,過度な神経疲労によるものと仮説できないのだろうか?すべてを理学的解明の出来る器質障害と考えてしまう.だから,治療方法における新しい仮説も提起できない.
私たちは『社会的引きこもり』の大量発生に一定の仮説と,回復へのプログラムを提示し,その段階的な解決に一定の成果を挙げており,そのプログラムと成果の関係についても検証中である.精神科医は言われるかもしれない「お前が主張するように『引きこもりは病気ではない』のだから,私たちの範疇の問題ではない」と.しかし精神科医の多くは『社会的引きこもり』に対して『○○性人格障害』など恣意的な病名を名づけて治療行為を行い,精神病との非連続の連続を認め,漫然たる投薬治療によって社会的な孤立や排除の固定化に手を貸している.精神科医の猛省を促す.

(2月14日)

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