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直言曲言 第111回 「あなたの常識は旧くないか?」

By , 2004年12月27日 12:41 PM

2004年の11月と12月は、いつもの引きこもり問題を考える例会をお休みして。NEETとフリーターについての講演会を開いた。NEETが流行語になったり、『フリーター亡国論』の著者をお招きしたので、常連の参加者以外に多くの参加者が来場された。11月の講演会では、参加者に『あなたのお子さんは、ひきこもりですか?NEETですか?』と尋ねた。お父さん、お母さんの答えは『NEET』が『引きこもり』をやや越えた。

NEETは無業者と訳される。一方『引きこもり』は心理的なストレスから『対人恐怖』や『友人拒絶』という特徴がある。この説明をしてからもう一度先ほどの質問を繰り返した。今度は『引きこもり』が『NEET』を逆転した。
『引きこもり』という言葉は1998年に精神科医の斎藤環氏が『社会的ひきこもり』(PHP新書)を出版してから次第に知られるようになった。ニュースタート事務局を含めて、引きこもり支援団体も増え、最早人知れず我が子の引きこもりで悩んでいる人など少数であると思われたのだが、新しい言葉としての『NEET』が登場すると『うちの子はこれだ』と飛びついて講演会などに参加される。簡単な説明を聞いただけで『NEET』から『引きこもり』に理解を変更されるのだから、あまり正確な知識は伝わっていないようである。
12月の講演会では『フリーター』についての一般的な説明が中心であったので、引きこもりの親御さんにはやや違和感があったのかも知れない。講演後の質疑応答の時間に、ある親御さんは『うちの子は特殊ですから…』と尻込みしながら話された。大学を卒業されてから約10年、アルバイトは長続きせず、1週間、10日、一月と短期のアルバイトを繰り返しているという。それこそが『フリーター』であり特殊でも、何でもないのだが お父さんは『特殊ですから…』を連発される。確かに気軽にフリーター生活を送っているのではないかもしれない。アルバイトの面接に行っても断られることが多いという。近頃はアルバイトもせずに、家で引きこもりがちという。お父さんは折込チラシや近所でアルバイト募集の情報を見つけて来て、面接を受けに行けと勧めるが、尻込みして面接にも行かないという。それは『引きこもりですね』と言う。『特殊だ』というのが認められたと思ったのか、なっとく顔でうなづかれる。『特殊』だということを認めたのではない。『引きこもり』ではないかと確認しただけである。
どれも確かな数字ではないのだが『フリーター』450万人>『引きこもり』100万人以上>『NEET』52万人と言われている。NEETの大部分は引きこもりだと思われる。引きこもりながらもフリーターを続けている若者も多い。フリーターという言葉は既に社会的に定着している。NEETは昨年から使われた言葉だが、英字表記するだけになんとなく新しくて格好が良いと思われる曖昧な言葉である。引きこもりだけは、病的なイメージが付きまとい泥臭く、特殊だと思われている。
反社会的、あるいは非社会的だと思われる若者群像を指す言葉としてこれまでも様々な言葉が使われてきた。1960年代後半の反戦(ベトナム)や長髪、ドラッグを象徴していたのは『ヒッピー』である。ポスト全共闘の1970年代には、ヒッピーの時代にあった<反戦>などの政治性が脱色されて『フーテン』が流行した。ドラッグは表面から姿を消してシンナーで<らりる>のが流行した。不登校が問題になった1980年代は低年齢化して『ヤンキー』がコンビニの駐車場にたむろした。バブル崩壊後は失業者が増大し、若者の正社員も激減、アルバイトを転々とする『フリーター』や無職の若者『プー』が街で目立つようになった。プーとは昔からある風来坊や『ぷう太郎』の呼び変えであろう。ヒッピーの時代にあった政治性(反社会性)のようなものは、豊かさと引き換えにされて、非政治性、非社会性がかけらの特徴となった。不登校生徒が『ヤンキー』になったように引きこもりもまた、背後に潜む社会性を脱色されて『NEET』という言葉に置き換えられようとしている。
引きこもりやフリーターを『特殊』だと考えるのは、誰もがサラリーマンや公務員などの正社員になれた15年前までの『常識』である。1960年の高度経済成長開始から約30年、日本は猛烈サラリーマンで溢れ、企業戦士や社畜、サービス残業、休日出勤、有給休暇返上で働き続け、エコノミック・アニマル、ジャパン・アズ・ナンバーワンの尊称を奉られた。しかしその結果はうつ病の蔓延や過労死の続出、そしてバブル崩壊、中高年自殺の増加、企業倒産・合併、不良債権、リストラ、失業者増大、年金崩壊。若者から仕事や未来への希望を奪ったのはこうした働きすぎの時代の後遺症である。
確かにこうした時代を仕事一途に過ごしてきて、ようやく息子の社会参加を楽しみにしてきたのに引きこもりに遭遇するとは、お父さんたちも気の毒である。しかし、この期に及んで自分たちの異常な時代を基準にして、子どもたちの引きこもりやNEETを特殊視するのは余りにも時代と社会に無自覚、無責任ではないのか?自分たちの時代と『違う』と感じるのならまだしも、怠け者扱いしたり、精神異常視するのは余りにも傲慢であり、無知であると断じざるを得ない。

お父さんたちばかり責めるのは片手落ちである。お母さんたちは、亭主が社畜と化して 家庭を顧みもせず、自分は子育てを押し付けられた被害者だと見ている。亭主は往々にしてそうだ。特に企業社会で有能だった男はほとんどが同じパターンであり、子どもが引きこもっても、最初は妻が『何とかするだろう』と多寡をくくっていて、深刻な事態を理解すると今度は子どもと対面するのを避けてしまう。こうなるとお母さん方は、手段を失い、子どもの社会参加を促す代わりに、子どもと密着して、自分も母子共依存状態になりがちである。こうなると、亭主は子どもの引きこもりの元凶か犯人扱いされている。こうした母親に子どもの悩みや苦しみを正しく理解して、社会参加の後押しを適切にできる人はほとんどいない。『犯人探しは無意味である』というのはほとんどこのケースである。引きこもりの真の原因は、社会システムの変化とそのことへの大人たちの無自覚、子どもたちへの旧システムの押し付けにある。父親たちは旧システムの中に首まで漬かってきた。社会的共犯者かもしれない。しかし、母親たちもそんな社会にアリバイがあるとは言えない筈である。父親(亭主)の生活に『ノー』とも言えず、そんな『旧常識』を我が子に押し付けてきたのはあなたではないのか?
軍国主義、戦後民主主義、高度経済成長…いくつものパラダイムが金科玉条のように奉られ、それぞれの時代の『常識』が形成された。右肩上がりの成長の時代が終焉を告げて既に15年が経つ。あなたの常識を前提にして、子どもたちを特殊あつかいするのはそろそろ止めてはいかがかな?

2004.12.27.

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