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直言曲言 第108回 「引きこもる前に」

By , 2004年10月14日 12:21 PM

引きこもりのほとんどは15歳前後の心の葛藤から始まる。仮に、引きこもりが親や家族の人たちに対して『目に見える』状態として表れるのがそれより数年後のことだとしても、15歳前後のいわゆる『思春期前期』に将来の人生についてイメージを形成し始めようとする時の心の葛藤が引きこもりの引き金になっていることは、多くの若者や親たちのインタビューによって明らかである。

私たちはこれまで、始まってしまった引きこもりの『脱出』のお手伝いをしてきた。そして彼らがなぜ引きこもってしまったのかについて研究を重ねてきて、その原因を取り除くための処方を示し、脱出の扉のありかを伝えてきた。その扉を経由して、引きこもりから脱出し明るい笑顔を見せてくれた若者は数百名に上るだろう。その若者たちは最年少で16歳、最年長は30代後半に及ぶ。平均は20代の中頃だろう。

残念ながら引きこもりの予防は出来ていない。言うまでもないが、引きこもる前の若者に私たちは出会っていない。問題が顕在化し、親がその問題で悩みぬき、他の医療機関や相談機関に持ち込んでもどうにもならないときに、探しあぐねて、あるいは偶然にマスコミなどで取り上げられた時に目にして、ニュースタート事務局の門を叩く。

引きこもりの発生が15歳前後と分かっていながら、どうしてその予防策を講じることが出来ないのだろうか。それは、この国の教育の主要な眼目が、引きこもり防止のための考え方とほぼ正反対と言ってよい点に置かれているからである。15歳とは中学3年生であり、高校生以後の若者の人生の選別の重要な関門が用意されている時期である。近頃の大都市では『中学受験』が最初の選別関門になっており、中には名門の小学校や幼稚園の『お受験』で早めに関門を通過させようとする親たちもいる。高校進学率が95%にもなる今日、最終関門はさらに先送りされ、『一流大学』に入るか否かにスライドしている。しかも、毎年繰り返されている『全国高校別有名大学合格者数一覧』などを見れば、高校進学時点で既に有名大学進学の可能性は選別されているに等しい。つまり中学から高校に進学する時点で、人生コースの選別・振り分けがなされようとしている。15歳とはそんな年令なのである。

それなりに出来る子は、それなりに勉強をして目指す高校に進学する。しかしそこにゴールがあるのではないことは明らかである。進学高校と言われる高校なら、入学した途端に国公立理科系とか文科系とか、目指す大学別のクラス編成が行われたり、露骨に『君たちの青春は3年間凍結される』と言われたりする。これは、伝聞だが実話であり某有名進学高校の校長の入学式の講話だったそうである。入学者の学力レベルより、高い大学進学率を目指す中位校ほどこの傾向は強い。厳しい競争は現実だから、そこで気を引き締めて上位の成績を目指そうとするのは良い。しかし、高校進学を前に遊びを抑制して勉強に励み、高校進学を果たしてきた若者にはこの講話はこたえる。グラウンドを10周ほど走ってきてゴールだと思っていたら、後10周をノルマとして追加されたような気分である。中学では『優等生』といわれ、友達づきあいもほどほどに抑制し、ライバルの追撃に脅えながら走り続けてやっとたどり着いた思ったゴールは幻だったのである。

20年以上前までは、このやり方がまだまだ通用していた。相対的に今よりも貧しかった時代である。『立身出世』という言葉はさらに古いが、大学進学にはそれなりの夢があり、高卒就職者と大卒では生涯賃金に明確な差があった。今は、若者への求人が激減し、フリーターやNEETの時代である。大学を卒業しても就職は困難で、希望をつなげるような企業もない。他方で豊かな時代であり、フリーターでも食うに困らず、欲望を刺激するものが巷にあふれ、目標に向って一心不乱に学び続けるなど不可能な時代になっている。単純に脱落し、高校を中退したり、目標を専門学校に切り替えたりすることも出来る。しかし、優等生でプライドが高く、上昇志向に捉われている若者は『脱落』することを、自分自身に許せず、自己不信から人間不信や対人恐怖にさらには友人拒絶に陥り、引きこもりの日々が待っている。

要するに15歳頃の短い期間に、友達を遠ざけて競争に邁進し、もっと大事なものであったはずの青春を犠牲にしてきた(と思い込んでいる)自分が許せず、悔恨の日々に明け暮れているのである。しかも、それは『あなたが幸せになるために』と押し付けてきた親のせいであったり、誰かに強制されたとは言い切れないけれど、目に見えない力で自分を衝き動かせてきた理不尽な社会的圧力であったりするのだ。

引きこもりに陥らせないようにするためには、この『悔恨』を防止すればよいのではないか。『悔恨』の兆候は、今ではほとんど『不登校』に始まる。これまでの『不登校』対策は、ほとんどが復学、つまり登校させることに向けられてきた。『登校』していない状態、つまり『(不)登校』という若者に対する理解自体が不十分なのであり、若者達の悩みや悔恨の本質を理解していなかったのである。フリースクールがこの悩みに応えてきたのか?フリースクールに通うのは『登校』の代替であり、高校卒業のための単位取得や大検受験が彼らの悩みや悔恨を解消できたのか?

彼らが立ち止まってしまったのは、生きていくための方策を見失ったからである。それは、高卒から大学進学を経て一直線に進んで行かなければならないと思い込んできた就職への道である。

またそのためには、すべてを競争原理で割り切り、『信頼』や『共生』と言ったたわごとに耳を貸さずに孤立し、その結果としての『人間不信』であり『対人恐怖』であり『友人拒絶』である。

2004.10.14.

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