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直言曲言 第107回 「NEET」

By , 2004年10月10日 12:18 PM

NEETという言葉が流行し始めている。新聞や雑誌などの見出しでよく見かける。イギリスでの造語らしく、日本語では『無業者』と訳されている。『失業者』ではなく、あえて『無業者』と訳しているとろに翻訳した人の工夫が見られる。NEETはNot in Employment, Education or Trainingの略語で、これなら『社会的引きこもり』の状態像の一部とも一致している。しかし、マスコミの一部ではNEETを無業者と訳すとともに『働く意欲がなく就職しようとしない若者』と説明していることが多い。これには、私などは強い反発を感じる。

誰が推計したのか知れないが『平成15年は63万人と十年前の約1.6倍に増加、15-34歳の約2%に上る』とされている。また労働政策のある研究者は『ヤンキー型、ひきこもり型、立ちすくみ型、つまずき型』などの4類型に分類している。『ヤンキー型』というのは享楽型で遊んで暮らしているタイプというのだから、わざわざNEETなどと分類されなくても、先刻承知している。残りの3つはわざわざ別の名称を付けているが『引きこもり』のパターンに過ぎない。だとすると、このNEETの名称はつまるところ『引きこもり』の名称を別の言葉で言い換えようとしていることになる。

私は引きこもりを3つの類型に分けた(ニュースタート事務局関西ホームページ『直言曲言』の『引きこもりの外にあるもの』参照)がその『第3種引きこもり』の推計値約60万人と、NEETの推計値がなぜか符合している。

私は『引きこもり』が『NEET』に言い換えられて行こうとしているのに抵抗しているのではない。私たちは早くから『引きこもり』の問題を『職業問題』と把握しており、引きこもりからの脱出とは究極するところ『社会参加』(就労)であるとしてきた。若者の就労問題に着目するNEETの概念の使用はむしろ歓迎している。

しかし、だからこそNEETを『働く意欲のない若者』と捉える視点には強く反対するのである。これでは引きこもりを『働く意欲のない若者』と捉えているのと同じであり、引きこもりの本質を隠蔽するものであり、社会そのものが引きこもりの大量発生に対して何の責任も感じていず、『意欲のない若者』を単に教育・矯正して『求職者』に仕立て直そうとしているに過ぎない。 引きこもりは『働く意欲がない』のではなく、あえて言えば『働く意欲を奪いとられている』状態なのである。

彼らが引きこもりの兆候を見せはじめるのは、ほとんどが15歳を前後する数年であり、現実にひきこもるのがその数年後であったとしても、15歳前後の心の葛藤が引きこもりのバネになっている。いわゆる思春期は『自立』のイメージについて考え始める時期である。高校進学から、大学進学そして職業人としての自立…。ほとんどの親たちは、この時期の子どもたちが『自分の将来について』考え始めているというと、信じられないという顔をする。実際に親は、この時期のわが子は未だ自分の意志を持たない『子ども』としか考えていない。だから子どもの意思を尊重することなど思いつかず、高校に進学し、大学を目指すことを『自明』のことのように選択させようとする。子どもにとっても、将来の職業について具体的なイメージを持っているわけではなく、漠然と将来の目標を探そうとするのだがそれを見つけ出しきれず、結局は親によるコース選択に身を委ねるかコース選択自体を保留したまま高校進学を選ぶ。

しかしこの時期、人生のイメージを考え始めた彼らが、思考停止をして勉強に邁進できるほど、時代は単純ではなくなっている。とりあえず高校を卒業して、大学に合格しさえすれば人生のパスポートが与えられる。そんな風に考えることが出来たのは20年も前の、日本がまだ『おめでたい』時代ではなかったのか。今の日本は『目標を見失った競争社会』であり、若者に対する『熱い期待』もなければ、卒業しても『求人』もなく希望の持てない社会である。『働く意欲のない若者』などと、誰がどのような顔をして言えるのだろうか?

確かに若者達は一見『働く意欲』を失っているかのように見える。しかし、それは若者たちから『働く誇り』や『働く希望』を奪ったからではないのか?働くシステムやルールを勝手に変えてしまったのは誰か?フリーターという身勝手なシステムを定着させてしまったのは誰か?時間給による不安定雇用、いつでも首切り自由、技術も知識も習得させずマニュアルに屈服させる誇りなき労働。これで、希望や働く意欲を持てというのか。幸か不幸か、日本は今豊かな社会を実現している。25や30歳になった我が子が働いていないからといって、その日その日の暮らしに困窮する親は少ない。親が労働と蓄財に邁進している間に、社会がいつの間にか変質し、引きこもり世代を生み出したのではないか?希望のない社会、人と人とがいわれなくいがみ合い、互いの人間不信をぶつけ合う社会…。

だが、私たちは引きこもりの若者が持っている社会参加の熱情を知っている。古くは阪神淡路大震災の時、ボランティアに駆けつけたのは誰だったか?勤勉な会社員や勉強一途な大学生ではなかった。彼らは、隣接の兵庫県で火災による死者が増え続けているときに、早くも日常生活を取り戻し、テレビでその悲惨を見ていたに過ぎない。ボランティアに駆けつけたのは、フリーターや引きこもりなど普段は明確な社会的役割を与えられていなかった存在であった。そこで初めて、自分達の参加を求めている人たちの存在を知ったのである。

私たちは、引きこもりの若者の社会参加を支援している。引きこもりから抜け出してきた若者が、まず参加しようとするのはボランティア活動である。申し分けないが、私たちの活動も半分は彼らのボランティアや無償の奉仕に支えられている。ボランティア活動で社会参加に自信をつけた若者達は、次にアルバイトをすることを目指す。少しでも自活の道を求め、親の負担を軽減させようとするのである。しかし、多くのアルバイトは前述したようにフリーターとしての雇用である。低賃金であることは仕方がないとしても、彼らが立派な履歴書も書けず、対人関係もうまくこなせないことを見越して、いわゆる3K仕事が押し付けられる。3KのKは孤立であり、希望がないことであり、屈辱である。残念ながらアルバイトは長く続かない。

これでも、あなたがたは若者に働く意欲がないといえるのでしょうか?

2004.10.10.

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