直言曲言 第81回 「過去からの手紙」
バブル経済崩壊で目が覚めたとき,30年間の繁栄続きの夢の終わりだった.それから『失われた10年』という時が過ぎて,21世紀の日々がやってきた――
そんなことを言っても,引きこもりの若者たちには,自分達が今生きている日々の,ほんの少し前の,今の時代を誘導してきた時代の話だということが分からない.彼らは自分自身や身の回りのことを見つめることはできても,社会や歴史や政治や経済についての知識や関心がほとんどない.いや,おそらく彼らの教師たちも『夢の30年』や『失われた10年』についての認識がほとんどなく,役に立たなくなったマニュアルを後生大事に抱きかかえて,彼らを『教育』してきたのである.
そういえば『若者』というのは,自分が生まれてくる前の時代について,ほとんど無知で無関心であるのかも知れない.私は1944年生まれ,太平洋戦争が終わる前にこの世に生まれ出たが,物心がつき,自分でものごとを考えるようになり始めた頃には,既に『戦後は終わった』と言われ,高校生の頃には高度経済成長期が始まっていた.『戦争』の悲惨さや生きることの困難さは物語のように聞きはしてはいたが,自分が今生きているこの時代には無縁なものごとように考えていた.
けれども,人は歴史の中に生きている.豊かである時代も,貧しい時代も,戦争の時代も,平和な時代も,若者にとってほとんどそれは前の時代から送りつけられた過去からの手紙でありながら,自分達が今生きていかなければならない現実でもある.人は,過去から切り取られ,未来にも責任を負わない『透明な現在』を生きることなど出来ない.
今は『平和』で『豊か』な時代である.『平和』や『豊か』という言葉をなぜ括弧に括〔くく〕らなければならないか?引きこもりの若者達が今の平和や豊かさというものに疑問を持たずに,文字通りに受け止めてくれるのなら,括弧になど括らず,それは前の世代である私たちからの『贈り物』だとしておいても良い.
でもそうではないだろう.賢明な若者達は,世界のあちこちで『平和』を脅かす危険なゲームが行われており,株式相場が上昇しても私たちの『豊かさ』は本物の豊かさとはほど遠いということを知っている.それを読み解くヒントを与えてくれるのが<>であり,『社会的な存在』としての若者達の困難な壁を突破するための鍵ではないのか?私たちは『社会的な存在』である『類』としての若者を見つめている.あくまでも『類』としての存在を拒絶して『個』としての救済を望むなら,それは現代流の『自己責任』の問題だから,自由に考えてくれてよい.
『30年の繁栄続きの夢』とは何だったのか?資源輸入,製品輸出のいわゆる加工貿易の時代は長い安定成長を日本にもたらした.貿易の利益を,技術開発や設備投資に向け,拡大再生産をもたらし,メードインジャパンは世界を席巻した.名だたるエコノミックアニマル日本株式会社の商社マンは,市場を世界に求めて走り回った.貿易不均衡は富の世界的な偏りをもたらし,国際的な抵抗も受けた.ドルショック(1971年…為替の変動相場制へ)や石油ショック(1973年…省資源型産業構造へ)も乗り越えて日本産業はタフに生き延びた.この間,大学への進学率は伸び続け,豊かな国ニッポンはわが世の春を謳歌しつつ,国際化,情報化,少子化,高齢化など時代のキーワードを横目にしながらバブル経済に突き進んだ.
国際化や情報化は『グローバル経済』化を推進させ,今まで日本や欧米先進国の経済的支配に翻弄され,東西冷戦により分断されていた中進国や低開発国に,開発の波が押し寄せた.資本は国境を越えて,投資は人件費が低く,教育水準の高い国に殺到した.豊かな国ニッポンは賃金水準も高く,最も投資に適さない国のひとつになった.工場は流出し,産業は空洞化する.現在に至る大失業時代の到来である.少子・高齢化という先進国特有の人口構成は社会負担の高さと,将来の年金不安など二重苦,三重苦を押し付ける.国債(国の借金)は700兆円に達した.もちろんこの国の借金は,次の時代に返済義務が押し付けられる.
な~に,それ程心配することはない,君たち若者達に金はなくとも,君たちの親や祖父母達は国民金融資産1400兆円という莫大な資産を持っている.ただし,その資産が無事に君たちに相続されるかどうかの保証はない.株式として保有される企業の資産は,米国の国債や外貨資産,海外投資などに姿を変えているし,それこそが米国の国際戦略に日本が追随している実態である.米国経済が破綻すれば,残念ながら借金が残るだけである.なに,それとても君たちの親や祖父母が持っている国債が紙くずになるだけである.
ざっと見れば『30年の夢』と『失われた10年』とはこんなことである.経済的な先進国であった日本が没落し,貧しかった国が『世界の工場』などとして好況に沸いているだけである.確かに,日本はODAなど国際的な資金援助なども惜しまなかった.アメリカの戦争にもずい分加担してきた.だからと言って日本が世界中の国々から尊敬されており,日本が困った時にどこかの他国が支援してくれるなどと考えぬ方が良い.ODAなどの開発援助は,政治家や企業が見返りとしての利益を還元するためのシステムであることは見抜かれており,援助先の国の政治家や企業に感謝されこそすれ,民衆からは却って怨嗟の的になっている.アメリカの戦争支援は,アメリカの国益と運命共同体であろうとする一部の人々の選択であり,日本国民の選択でないことは世論調査を見るまでもない.ビン・ラディンには標的にされるは,お隣の国の独裁者にも『東京を黒こげにする』などと脅されるは,ろくなことではない.
何よりも哀れなのは若者達である.30年に及ぶ好況が続いて,若者達の産業予備軍としての人材調達システム=それこそが学歴主義の社会なのだが=は無用の長物になりつつある.景気循環でやがてまた好景気がやってくると思っている人たちはおめでたい.今,やや景気が回復しているのは,リストラが進み,若者への求人を抑制した結果なのである.世界の産業構造の変化から見れば,日本の就業人口はますます減少していくだろう.ワークシェアリングを実施して低賃金化を甘受すればともかく,中高年や高学歴者が高賃金を維持しようとすれば,この傾向はますます拍車が掛かる.
『出口のない,豊かな,競争社会』(褒め言葉ではないよ)というのはそういう意味なのだ.引きこもりの若者達は,そのことを見抜いて,不毛な競争から降りようとしている人々である.ただ,彼ら自身の賢明さやプライドの高さが,競争から降りてしまうことを自らに許さず,『惑乱』している.
明らかにそれまでの『社会システム』の時代が終わりを告げ,次の『社会システム』が準備されるのを待っている.そのシステム作りに参加し,自ら時代を切り拓こうとするものこそが,真の意味で『若者』である.
しかし,社会や政治や歴史や経済の中で生きていることを理解しない若者は,時代やシステムを批判する視点を持たず,突然変異的な超越的救済を望んでいる.もちろん,これとても時代の被害者であり,彼の元にも『過去からの手紙』は届けられる.
(10月22日)