直言曲言 第78回 「心の問題ですか?」
引きこもりは『精神病』などを含む心の病なのか,それとも社会システムとそれに適応できない人々の問題なのか?
私は,引きこもり問題に対処し始めた当初から,引きこもりは『社会病理』の反映だと言っている.何となく漠然と私の主張に同調している人でも,やはり引きこもりは『心の問題』だと考えている人は多い.
そうではない.なぜこれが理解できないのか,非常に簡単なことなのだが,難しいのは,実はこれは理解者の『哲学』の問題だからである.
分かりやすく説明することにする.最近は中高年の自殺者が増えているという.真相は分からないが,マスコミの分析によると,バブル崩壊以後の経済的困窮や借金苦,失業などが自殺の原因だと言う.だとすれば,この問題を私は『心の問題』ではなく,『お金の問題』だと言う.確かに自殺者は『お金の問題』そのものを解決するのではなく,自分を否定的に追い詰めて『心の病』になり,自殺するのだろう.これを『心の問題』として捉えれば良いのか?まったく不十分である.
すべて悩みを持つ人は心で悩んでいる.別の言い方をすれば,頭の中で思考し,思考することによって内的に解決しようとするのだが,本質的な『問題』は心の『外』にあり,内的な思考の整理だけでは解決がつかない.だから悩む.悩みの問題だから,心の『内』の問題だと考えるのであれば,すべての悩みは『心の問題』になってしまう.借金苦で自殺するのも,就職などの人生デザインが出来ないで引きこもるのも,職場の人間関係がうまく行かないで鬱病になるのもすべて『心の病』でかたがつく.カウンセラーというのは,問題をすべて『心の問題』と一つくくりにして,『心』を癒せば問題が片付くと思っている.
心を癒すことを別に否定しはしないが,もっと本質的な『問題』のありかにどうして眼を向けないのだろうか?
精神科医というのはもっと悪質である.同じように『心の問題』にしてしまうのだが,彼らは思考や思惟を大脳の中の神経の複雑作用の結果だと知っていて,『心の異常』を神経の異常と捉えてしまう.だから精神病や神経症などを,薬を使って『治療』しようとする.
たしかに,神経を自己制御できない状態というのはある.例えば冤罪〔えんざい〕などで自白を強要された人々.刑事ドラマの1シーンではないが,強い光を当てられ,耳元で大声で怒鳴られる.一時的に神経に異常を来して,やってもいないことを自白する.いわゆる精神的な拷問である.
世の中にはさまざまなストレスがある.合理的な解決法が見つからない時,人々は自分の神経を緊急避難的に麻痺させて,『狂う』ことによって逃避を図る.しかし,本質的に問題なのはそのストレスの正体であったり,暴力的に外界から与えられた刺激なのであって,もともとのその人の神経や器質なのではない.精神薬は,問題の本質を治療などしない.刺激に敏感になった神経を麻痺させたり,脳内物質の循環を調節して反応系をさらに異常に導く.それが,鈍感な神経の『健常者』に見かけ上近づいているように見えるだけである.
さて,引きこもりである.すべての引きこもり類似症状の方に当てはめようとは思わない.しかし,『社会的引きこもり』といわれている人のほとんどは,競争社会のストレスに苛〔さいな〕まれてきた人である.つまり,中学・高校・大学などの学校教育の過程で,過酷な競争を強いられ,心の安息がない.競争を降りてしまえば良いのだが,それが許されない.あるいは競争は事実上,降りてしまっているのだが,自分のプライドが高く,そのこと自体を甘受できない.競争に巻き込まれるのは,そのことが自分の人生設計にとって必要だと考えているからである.しかし,経済的には豊でありながら,若者達に希望と出番を与えられない現代社会の中では,この過酷な競争を強いられながら,出口が見えない.自分が一生を賭けてもやって行きたいと思えるような職業や生き方ののモデルが見つからない.
簡単に言えば,引きこもりとはそんな状態で,足踏みを続けているだけなのである.
もちろん,長期に引きこもれば外出恐怖になり,対人恐怖になり,人間不信にも陥る.また家族を仮想敵にして,自分を孤立無援状態に追い込む.これらは,引きこもりにともなう合併症でもあり,副作用でもある.ものごとを『考える』という心の働きがこうした『心の病』を併発するのであり,引きこもりの本質ではない.引きこもりの本質的な問題の解決の見通しがつけば,そんな合併症は雲散霧消する.
もちろん『鍋の会』や『若者の会』に参加できるようになった若者でも,こうした人間不信の後遺症にいつまでも悩んでいる人がいる.しかし,引きこもりの若者は正直ではないか?引きこもりでもなく,立派に(?)社会生活を営んでいるかのように見える人々の中にも,人間不信に凝り固まっている人は多いし,そのことを恥じようともしていない.あなたもそうではないか?
『引きこもり問題の本質』は,このように若者が自分の将来のイメージを見失った状態であるのにも拘わらず,多くの人々はその問題の本質を見ようとはせずに,学校に行かない,就職しない,友人を拒絶している,人に会わない,家庭内暴力がある,親とも口を利かないなどの『現象』だけを捉え,それを一括して『心の問題』と考える.精神科医,カウンセラー,親…彼らが寄ってたかって引きこもりを『心の病』にしてしまう.
『引きこもりは結局は労働問題だ』
これは今もホームページの『論叢』という欄に掲載されているU君の名言である.そこには,今ニュースタート事務局が取り組んでいるさまざまな課題が『予言』をするように書かれている.もちろん,それらはその頃(2000年)ニュースタート事務局が既に取り組み始めていた課題であることを示している.幸か不幸かそのU君は,その後ニュースタート事務局の活動を離れ,引きこもり問題の評論家としてなってしまったので,彼自身の明晰な分析が彼自身の引きこもり脱出に役立ったかどうかは分からない.
そうなのである.『引きこもりは結局は労働問題』なのである.つまり,一人の人間が,『人間としてどのように働くか,生きていくか』が問われているのである.
今の社会はこの問いに答えることが出来ない.学校の先生や親たちが,自明のように用意をしている『生き方』についての『答』にも若者は納得していない.それは彼らが,仕方なく受忍し,なんとかそこそこやってきた過去の生き方に過ぎないからである.
敢〔あえ〕ていうなら,若者自身もこの『問』を明確に意識しているとは言えない.漠然とした不安や疑問を抱えているだけだから,他人から『心の病』などというレッテルを貼られても,反論も出来ずに受忍している.中には,親に言われてのこのこと精神病院などで受診し,精神病などの烙印〔らくいん〕を押してもらい,引きこもることに安住している人もいる.
私たちはこれまでに何百人という若者を迎え入れ,多くの若者が巣立っていった.私たちが彼らの『心の病』を治療したのか?
否,Non!である.
私たちが,いや正確に言おう,先にやってきた若者達が,後から来た若者達に,『必死になって競争で勝ち負けを争わなくたって,元気に生きていく方法はあるよ』と教えたからである.
引きこもりが『心の病』だと考えている限り,親も本人もサポーター達も,引きこもり問題を解決することが出来ない.『心』が『心』のことを考え,悩み,哀れみ,二重,三重の螺旋構造をつくり,やがて悪循環に落ち込んでいくだけなのである.
(8月14日)