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直言曲言 第47回 「運河と道路」

By , 2002年5月9日 5:26 PM

 世界史で習った世界の4大文明はいずれも大河川の流域に発祥〔はっしょう〕していた.中学の地理で習った日本の大都市は,大河川の下流や川口にできた三角洲が平野を形成し,そこに発達した.都市と大河川は切ってもきれない結びつきがある.しかも,東京,大阪,名古屋など日本の代表的大都市を見れば,いずれも外洋に直接面しているのではなく,湾奥部に波浪や風波を避けるように広がっている.
  私は,都市というものは『そういうものだ』と漠然〔ばくぜん〕と思いこんできていた.成長して大人になり,日本全国や世界のあちこちを旅するようになると,私の持っていた大都市というものに対する固定観念は必ずしも普遍的ではないことを知った.大都市が大河川の流域にできるというのは,新しい人工的な計画都市を除いて,ほぼ『真理』のようだが,外洋に面しない湾奥部などという定義にはまったく該当しない都市はいくらでもある.パリもベルリンもそうだしモスクワも北京も内陸にある大都市である.ロスアンゼルスやポンペイなどのように外洋に直面している大都市だってある.
  湾奥部でないかも知れないが,大河川を少し遡〔さかのぼ〕った地域にある都市,例えばロンドンや上海などに行くと何となく大阪に似た地勢感があり,落ち着く気がするのは,私が大阪という都市に根っから育てられたからであろうか?

 大阪はかつて『水の都』と呼ばれ,淀川や大和川水系から分流した数々の運河が四通八達〔しつうはったつ〕していた.もちろん太古の昔から河川がそのように整備されていたわけでなく,淀川や大和川の河口の三角洲は葦〔あし〕の生い茂る湿地帯であった.
  やがて,上町台地から降りてきた古代人が,水路を広げたり掘り下げたりすると,水の流れはまとまり,代わって乾燥地ができた.やがて,堤防を高くするなどの治水技術が発達すると,陸地は広がり集落が形成されるようになった.信長に焼かれた石山本願寺の跡地に初代の大坂城を創建したのは秀吉だが,その頃の大阪(大坂)というか,淀川流域は始終大洪水に見舞われていた.
  元禄年間に淀川の改修工事を行った河村瑞賢(ずいけん)は大阪(大坂)の都市基盤を築いた人といえる.その後,安治川の開削〔かいさく〕や大和川の付け替え(現在の柏原市辺〔あた〕りから北上して淀川に合流していた大和川を,そのまま西行させ,大坂湾に注ぐ現在の流路に替えた)により,大阪平野はようやく安定した陸地になったのである.
  大和川付け替えで生まれたのが鴻池新田(JR学研都市線に同名の駅がある)であり,その後の河川整備により湿地帯はどんどんと『新田』になって行く.
  明治7年に大阪・神戸間の鉄道開設によりできた梅田ステーション(現在の大阪駅)一帯も,昔は湿地帯であったらしく,梅田というのは梅の咲いている田ではなく,『埋め田』という説がある.また,瑞賢の曽根崎川・堂島川の改修によって,堂島・安治川・曽根崎・堀江に『新地』ができた.大阪で『新地』といえば北新地などの歓楽街のことだが,元々は湿地帯だったのである.瑞賢は河川の改修とともに,河川舟運から海運航路の再整備にも力を尽くし,大坂が商都として栄える基礎も創った.

 大阪が水の都といわれるようになったのも,淀川から南行する東西横堀川や横堀川から西行して大坂湾に注ぐ運河が何本も掘削〔くっさく〕されて,物資の運搬路となったからである.網の目のような水路が横切って,江戸の八百八町に対し,大坂は八百八橋と言われるようになった.
  しかし,その運河もどんどんと姿を消して行った.水の都という名がふさわしくなくなったのは,河川改修で湿地を陸地にしたからではない.それほど古い話ではなく,私が中学生だった昭和30年代の中頃,つまり高度経済成長が始まった頃である.
  せっかく掘削された運河は埋めたてられ,その跡地は道路になった.ちょうど市電の路線が次々に廃止され,地下鉄が延長して行く時代にも対応する.象徴的なのは西横堀川が埋め立てられ,その上には阪神高速道路大阪市内環状線の北行路線が建設された.高架の下はほとんどが駐車場になっている.長堀川も埋め立てられ,地上は道路,地下は駐車場になった.船の水路であったのが,自動車専用施設に置き換わったのである.

 その消えて行った運河の象徴である長堀川と西横堀川の合流点に架かっていたのが『四つ橋』である.『合流』には違いがないが,自然河川のように合流して一本の川になるのではなく,それぞれがさらに南下,西下して行くのであるから川は交差していた.西横堀川の南北には下繋橋(しもつなぎばし),上繋橋(かみつなぎばし),長堀川の東西には炭屋橋,吉野屋橋である.その橋のあった場所に,今も句碑が建っている.

  涼しさに 四つ橋を四つ 渡りけり(來山)

 風情のある句碑とモニュメントが建設されているのだが,今はこの辺りに長く立ち止まっていることをお勧めしない.昔は夏に涼を求めてそぞろ歩く人もいただろうが,今は東西南北に大通りが走り,頭の上には高速道路が走っている.東西南北に水が流れていたころとは違う.アスファルトが照り返し,炭酸ガスが吐き出され,窒素化合物が巻き散らされている.ヒートアイランド化の元凶〔げんきょう〕のような地域である.

 2008年に構想されていた大阪オリンピックは北京に破れ,最近は聞かなくなったが,『集客都市・大阪』の構想が言われていた.外国からの観光客を含めて大阪を観光の街にしようという構想である.
  そのとき,『もし運河を埋め立てずに残しておいたら,水都大阪をアピールできたのに』,という話があった.
  もう一つの<もし>もある.イタリアのヴェネチアは街の中を縦横〔じゅうおう〕に水路が走り,他の都市からやってきた自動車は街の入り口の駐車場で乗り捨てられる.街の中の移動は徒歩か舟である.ヴェネチアは今も地盤沈下が続いており,街の中央の広場はしょっちゅう水につかる.
  大阪も戦後,地下水の汲み上げで地盤沈下し,大阪の西部は『大阪ゼロメートル地帯』などと呼ばれ,大きな台風が来るたびに水浸しになっていた.西区や此花区などには防潮堤があちこちに築かれている.堂島川や土佐堀川周辺を歩いて見れば,高潮対策で両岸の堤防は道路から見てはるか頭上にある.大阪はこうした浸水対策にとてつもない巨額な投資をしてきた.もしこうした投資をしなければ,大阪はヴェネチアのような水上都市になっていたかも知れない.

 運河を行く船は重い荷を積んでもわずかな動力で動かせる.ヴェネチアのゴンドラは船頭さんの鼻歌まじりの棹さばきで行き交う.運河を埋め立ててできた道路を走る車は,ガソリンを消費し,空気を汚しながら疾走する.
  人々はそんなに早く移動しなければ生きていけないのだろうか?水都・大阪の復活はともかくとして,もっとスローに生きていける街にしたいなと思う.
(5月9日)

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