直言曲言 第46回 「種子と落ち葉」
こんな話を聞きました.ある引きこもりの若者の親御さんからです.
「私の家には庭があり,草花を植えています.ある年の春,その花は見事に咲き誇りました.翌年の春,隣の家の奥さんが抗議してきました.『お宅の花の種子が,家の庭に飛んできて,こんなに咲いてしまった.どうしてくれるの?』
隣の奥さんの言い分によれば,『花を咲かせるのであれば,花が咲いた後,種子ができる前に摘〔つ〕み取ってしまい,種子が飛んで行って近所に迷惑を掛けないように配慮するのが常識です』ということでした.」
もうひとつ話を聞きました.これも引きこもりの若者の親御さんから聞いた話です.
「家の子は引きこもりです.いつも二階の部屋の自室に引きこもっています.隣の家の庭に大きな柿の木があります.柿の木は隣の敷地にあるのですが,枝は半分くらい家の庭にせり出していて,秋になると真っ赤な柿の実が塀を越して家の庭の上で実っています.冬になるとその柿の実や落ち葉が家の庭に落ちてきます.あるとき家の子は,二階から降りてきて柿の葉や腐った柿の実を掃〔は〕き集め,隣家の玄関のブザーを押して,出てきた奥さんに『お宅のものですからお返しします』と押しつけて帰ってきたようです」
この話には続きがあります.
「隣の家のお嬢さんは,音楽大学に通っていて,たいていの土曜日や日曜日は夕方5時頃になるとヴァイオリンの練習を始めます.家の子はそのヴァイオリンの第一声が響き始めると,待ち構えていたように窓を開けて『うるさい!』と怒鳴〔どな〕ります.私は,ヴァイオリンはお上手だし,それほど『うるさい』とは思いません.それに,なぜあんなに弾き始めたとたんに怒鳴るのか,訳がわかりません」
この話はすべて実話です.私は時々この話を人に聞かせることがあります.私としては「そんなに,隣の家に神経質にならなくてもよいのにね」という程度の相槌〔あいづち〕を期待しているのですが,中にはその隣の奥さんの言うことはもっともだとか,引きこもりの若者が落ち葉を隣の家に返しに行ったのは立派だという意見を言う人がいて,面食〔めんく〕らってしまうことがあります.
こういう意見を言う人は,大体において,私などよりもものの考え方が常識的で,こちらの方が世間一般で通用する意見のようだからです.つまり,私の考え方はむしろ少数派なのです.
私の意見はと言うと,そんなに隣の家の草花や落ち葉の侵入が嫌〔いや〕なら,高い塀をこしらえるか,いっそのこと,コンクリートの箱のような家を作って住めば良いという極端なものです.また,隣家のヴァイオリンがうるさいというのなら,自分の家の窓を防音にでもすれば良いと思ってしまいます.
隣のお嬢さんが弾き始めた途端〔とたん〕に怒鳴るというのは,きっと聞き耳を立てて待っているのです.これは,かなり神経質というか,≪病的≫な,反応だといわざるを得ません.
しかし,現実には隣家の草花や落ち葉,それに騒音が迷惑であり,それに抗議するのは当然と考える人の方が,今では主流派のようです.
あなたはどう考えますか?私は別にあなたの考え方を聞き出して反論し,あなたに説教をしようとしているのではありません.ただ,このように隣家や隣人,街角ですれ違う人や,どこかの会合で同席する人の行動にあまりにも神経質,あまりにも過敏なのはいかがなものか?と考えます.
『他人に迷惑を掛けない』というのは確かに≪現代人のマナー≫です.他人に迷惑を掛けておいて,知らん顔をしていても良いとは申しません.しかし,その『迷惑』と感じる範囲を私たち現代人,特に高度経済成長時代以後のニッポンの大都市に住む人は,随分勝手に拡張してきているのではないでしょうか?
騒音,悪臭,廃棄物,日照権…確かに,不法な公害や環境被害に快適な生活を侵害されれば,『迷惑』程度では済まないので抗議して当然です.詐欺商法や,ダイレクトマーケティングと称するセールス電話,勝手に送りつけてくる出会い系サイトのメールなどには,私も迷惑しています.喫煙,犬の大小便などでは,私は加害者サイドなので,私の『迷惑論』など説得力を持たないかも知れません.犬に関しては,<うんち>を放置するのは良くないと思いますが,<おしっこ>の方はもう少し寛容〔かんよう〕になっていただけないでしょうかね?
実際,犬を飼っていて公園で『犬の大小便禁止』なんて書いてあると,むしろ腹が立ちます.『犬の公園利用禁止』の方がまだ理解できます.むしろ,市町村別に『犬飼育禁止法』でも制定していただいたほうが納得できます.喫煙の方も,これだけ禁煙区域をしたりする公共施設や嫌煙権を主張する人たちは,なぜあの昔のアメリカの『禁酒法』時代のように,『禁煙法』を制定しようとしないのでしょうか.『禁酒法』が悪法だったことをご存知だからなのではないでしょうか?
ヘッドホン・ステレオのあのシャカシャカという音は,確かに周りの人間には耳障〔みみざわ〕りです.携帯電話も電車内などで傍若無人〔ぼうじゃくぶじん〕に大声で話しているのには怒りを感じることがあります.しかし,最近では携帯電話の騒音よりも,『携帯電話は他の人の迷惑になりますから…』という車内アナウンスの方がはるかに迷惑です.
要するに『迷惑』と考えられる範囲は日毎〔ひごと〕に拡張され,人々はその辺りに『迷惑』と摘発〔てきはつ〕できる行為はないかと,<鵜の目鷹の目〔うのめたかのめ〕>になっており,『迷惑』を掛けられるのも『迷惑』と指摘されるのにも,恐怖心を抱いています.もちろん冒頭に書いたように,落ち葉も花の種子も迷惑の『種』になり,そのような考え方のほうが主流になります.『迷惑』は掛けても掛けられても嫌ですが,このように『迷惑』に過剰な反応が増えてくると,人と接して生きること自体が困難になります.私は,今の若者に多い引きこもりや対人恐怖の原因は,こうした『迷惑恐怖症』でもあると考えています.
これは『迷惑』の範囲を越えた『防犯』なのでしょうが,家の塀などにいかめしい鉄条網を張り巡らせた家をよく見ます.泥棒よけか,ひょっとして野良猫の侵入防止なのか知れませんが,私はこのような家を見かけると,ここの家の住人さんは心にも鉄条網を巻いているのではないかという『妄想』に駆られることが,良くあります.過剰な『迷惑恐怖症』は心に鉄条網を巻いている状態だと思うのです.
私はやはり,無防備で鈍感で,他人に迷惑を掛けがちな少数派です.
(4月20日)