NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第31回 「人間アレルギー」

By , 2001年12月7日 4:43 PM

 精神医学の領域では「対人恐怖」というのがある.神経症の一種である.「人間アレルギー」とは医学用語としてではなく,≪他人に対して過敏な人≫という程度の意味で使いたい.明確な神経症として区分される人も少なくないが,病気ではないけれどある意味で普通の<人間的交際><対人接触>のできない人が増えており,神経症とは別の概念で考えておく必要が出てきたように思う.

 アレルギーとは免疫反応の一つで,ある抗原に対する抗体反応のことを言い,結核菌に対する予防としてのツベルクリン反応もこの一つである.昔から鯖などの青身魚を食べると蕁麻疹を発症する人は多くいたし,最近では杉花粉症(アレルギー性鼻炎)やアトピー性皮膚炎なども深刻な流行を見せている.杉花粉症などが『病気』であるのかどうか,門外漢である私には分からない.『対人恐怖』が病的な状態の一種であり,神経科医などが治療の対象としているが,『人間アレルギー』はむしろ,一人一人の個人の病というよりも,そうした人を大量発生させる社会が病的な状態にあると言えるのではないか.

 アレルギー性鼻炎にしても,アトピー性皮膚炎にしても,30年も以前にはこれほどその症状に悩む人が多くなかったのは事実であろう.アレルギー性鼻炎は杉の全国的な人工植林と成長が原因と言われるし,アトピー性皮膚炎にしても家屋の密閉構造化や農薬栽培などが仮想敵にされている.いずれにしても,ある意味で社会構造変化が何らかの意味で影響しているとも言える.

 人間アレルギーの方は,もっと単純に原因が類推される.何しろ人間そのものがある種の抗原化するのである.ただし,この抗原は血液や細胞内に浸入するのではなく,空間的に過密で人間と人間の距離が異常に狭められたりすると発症する.いわば接触そのものによって抗体反応が起きるとも言える.接触しないまでも,例えば過剰なコミュニケーションなどに対する拒否反応も人間アレルギーの一種である.こうしたことから,都市における過密人口が人間アレルギーの原因の一つと仮説できる.
  しかし,都市への人口集中はむしろ峠を越えている.しかも,繁華街の雑踏や初詣の人ごみなどは苦痛をともなうこともあるが,むしろ無名の群集の中に自分自身も匿名の一人となって溶け込んでいる状態はある種の快適ささえ感じる場合がある.通勤の満員電車もひところほどの殺人的ラッシュアワーという状態ではなくなっている.そのころでさえ,身動きできない満員電車の中で居眠りを決め込む剛の者がいた.ところが,今では隙間がある程度の混雑の中で,少し肩が触れただけで,全力で相手を押しのけようとするような『対人接触過敏』とも言える人が増えている.

 となると,単なる人口密度や人間と人間の距離の問題だけではなさそうである.

 人は,狭い道で自動車がすれすれに通って行くような道を歩かされると,ストレスを感じる.逆に広い草原でも,そこに地雷が埋められているとか,蝮やハブが潜んでいるかも知れないなどと言われても強いストレスを感じるだろう.要するに自分に危害を与えるかも知れない存在に対し身構えるし,できるだけ距離感を取ろうとする.
  このことから考えれば,人間アレルギーとは,他の人間を自分に危害を与えるかも知れない存在として意識しすぎる人が陥る症状だとは言えないだろうか?錯綜した利害関係や,多重な競争関係に取り巻かれている現代は,いつどこで危害を加えられないとも限らない危険な社会なのだろう.

 他人に危害を加えられるとの≪妄想≫は,自分が加害者にされてしまうとの過度な≪用心≫とも表裏一体である.出会い系サイトで少女買春し,逮捕される教師がいるかと思えば,セクハラ疑惑を掛けられるのが怖くて女子生徒に近づけない高校教師もいるらしい.これもある種の人間アレルギーか?

 高度経済成長時代以後,都市に人口が集中し,団地やマンションに人が住み,床や壁越しの隣家への騒音を気にし『他人に迷惑を掛けない』ことに極度に神経質になってきた都市住民は,ある意味ですべてが人間アレルギーになる素質を持っている.親が子に,幼時から『他人に迷惑を掛けないように』と言いつづけている家庭では,子どもが他人と距離を取るように心がけてしまい,友達ができにくい.引きこもりの一つの要因でもある.また,現在は親戚や他人が家を訪問したりする機会が極端に少なくなっており,子どもは親と学校の先生以外の大人を知らずに育つ.大人になっても,対人関係にまったくの免疫力を持っていないのも,引きこもりや対人恐怖の原因である.

 アレルギー=過敏症には抗体を注入して免疫を作ってしまうのが一般的な予防法だと思うが,人間アレルギー=対人過敏症の場合どうだろう?
  そんなアホなことをしなくても,親が地域のコミュニティを大切に,子どもの頃から対人関係を大切にし,家庭を自閉集団にしてしまわずに,家族を開いて行けば良いのだが,これだけ人間アレルギーが蔓延してしまっては繰り言になるだけである.

 人間免疫作りのためにやっている事のひとつが『鍋療法』.要するに鍋の会であり,大勢の人間が集まって鍋料理を食べるだけである.
  これも昔なら特別なことではないのだが,今は他人と一緒に食事をする習慣が減っている.そもそも,≪共食共同体≫としての家族ですらいっしょにテーブルにつくことは少なく,個食などという言葉が流行り,一人用の食材や土鍋などが売れていると言う.会社でも宴会などというのも下火になり,せいぜい気の合ったものだけで居酒屋に行く程度である.つまり,気を使う他人と食事をともにするなど,人間アレルギーの人にとっては,春先に花粉症の人が杉林の中を歩くようなものである.私達は引きこもりの人達を敢えてそこにご招待する.なぜか好評である.

 鍋の会に参加し,見知らぬ他人と同じ鍋の中で箸をつき交わしながら,肉や魚を取り合う.潔癖症だったはずの人がなぜこんなことが出きるのだろうか?楽しい!外に出たり,電車に乗ると,他人に監視されているようで,外出も避けてきた自分が,車座になって向かいの人と笑顔を交わしている.うれしい!自分はひょっとすると,人間嫌いではなかったのか.対人恐怖症ではないのかも知れない.人間アレルギーや対人過敏のように振舞ってきたのも,自分の錯覚だったのか?

 鍋の会は引きこもりに立ち向かうニュースタート事務局だけの専売特許ではない.どこの家庭でも,どこの職場でも『鍋の会』を復活させて欲しい.特許権など主張しません.特に,人間アレルギー気味のあなたと,あなた,特にお奨めですよ!

(12月7日)

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