直言曲言 第28回 「J.W.の『私の履歴書』」
ニュースタート事務局関西のホームページの掲示板に,<J・W>さんの署名で『組織運営でもっとも大切な事』という書き込みがある.「私はジャック・ウェルチというものです.アメリカのコネチカット州で会社員をしています」.と書いている.『日本経済新聞』を読んでいる人なら,最終面の『私の履歴書』に 10月に連載していた米国GE(ゼネラルエレクトリック)社の前会長ジャック・ウェルチ氏の名前をパロディにした,『冗談』だと知れる.
『冗談』だと目星をつけながらも,『それにしてもジャック・ウェルチさんて西洋人っぽい名前だけど,本当は日本人じゃないかな?』とボケをかます人もいる.ジャック・ウェルチを知っていようといまいと,大したことではないが,『私の履歴書』の読み方については注意して欲しい.ただし,これは,『掲示板』に書きこみをした人に対する<批判>ではない.
実は私も日本経済新聞の『私の履歴書』を愛読している.政治家や学者や小説家などの半生記はたいてい面白い.生臭い政治家も『私の履歴書』を書く頃には引退していて,泥水をかぶって生きてきた人でも枯淡の味がにじみ出すような文章が多い.時には生きた昭和史証言といえるような貴重な記述もある.企業家でも苦労人の一代記は面白い.これも世相史や産業史になっている.
ところが,ときおり企業家のサクセスストーリー自慢があり,鼻持ちならないことがある.日本ではいわゆる戦後の成金,それにアメリカの新興企業家である.GE前会長のジャック・ウェルチもその一人である.
『純朴で働き者の父親,厳格で教育熱心な母親に育てられ…』と,書き出しはたいていこうだ.子どもの頃は腕白だが正義漢,学生の頃はスポーツ好きで勉強は熱心ではなかったが,成績はトップクラス.なるほどなるほど.就職をしてから次第に能力を発揮して,上司に認められる.工場の生産効率を上げて昇進.ジャック・ウェルチ氏もこの辺りを延々と書き連ねている.生産性を上げたのに,昇給がみんなと同じだと上司に文句をつけ『公平な昇給』に異議を唱えて,自分だけ大幅昇給を勝ち取る.えてしてこういう人が出世路線に乗ると,特急列車並のスピードだ.部長になり,取締役になり,副社長になり,会長選挙も勝ちぬく.採算性の悪い事業は閉鎖し,利益最優先でリストラの断行,有望事業に投資し,買収や合併が大のお得意.これらがすべて彼の『先見の明』だという.そうとも言えるが,別の読み方をすれば,非情,裏切り,容赦のなさ,手練手管の連続である.
大成功をした<偉人>から『成功の秘訣』を学ぼうという人は,どの様に読んでくれても構わない.事実,日本経済新聞の読者のほとんどがそのような読み方をするのだろう.
彼一人の成功の陰で,彼に打ちのめされ,裏切られ,敗北して行った人々の死屍累々の姿が目に浮かばない人は,いささか想像力に欠けている.
引きこもる人間とは,逆に,こうした想像力の過剰な人々である.だからと言って,引きこもりがこのジャック・ウェルチ氏のような出世欲,上昇志向とは無縁な人々であるとは言えない.むしろ旺盛な上昇志向を持ち,少なくとも親や教師や周囲の社会の価値観がそのような『上昇志向』を押しつけ,そのように努力しようとするのだが,彼の想像力故に敗北して行く人の姿,とりわけ自分の敗北の姿が想像力を刺激し,立ち竦んでしまうのが「引きこもり」の実態なのである.
企業人の成功とはとりわけ経済的な成功である.競争に打ち勝ち,自分や家族が普通に生活して行くのに必要なお金の何十倍,何百倍のお金を稼ぐのがアメリカンドリームである.
<夢>というからには,誰もが実現できないから<夢>でありうる.日本でも多くの人がまだまだ貧しかった頃,人より多く学び,一流の大学に入り,一流の会社に入れば,人より幸せになれると信じられる時代があった.そんな高度経済成長の時代もかなり成熟しつつあった1968年,こんな歌が流行った.
テストが終われば 友達に
全然あかんと 答えとき
相手に優越感 与えておいて
あとでショックを 与えるさ
(詞;中川五郎 曲;高石ともや 『受験生ブルース』)
これは既に受験戦争に一生懸命,というよりも,友達を欺いてまで競争を勝ち抜くことに自嘲的な歌詞である.しかし,彼らが企業社会に入ってからの,生存競争はこんな牧歌的なものではなかったはずである.同じ課内での競争,社内の他の部門との競争,他社との競争,異業種との競争や国際競争.欺き,出し抜き,裏切り,寝返り…ありとあらゆる背徳こそ,ビジネス社会の武器であり,出世の道具であった.そして,その先にある仲間の首切りやリストラ,他社の乗っ取りや合併.多分,引きこもりの若者の親達もまた,ある程度まではこの生き残り戦争を闘い,そして,リストラされたか定年を待つ年頃である.
そして彼らは今,自分たちが勝ち切れなかった戦いの<敗者復活戦>に参加するように子ども達を仕向ける.しかし,最早<ジャパニーズドリーム>の夢を見られなくなった若者達は<引きこもり>という拒絶(ストライキ)で対応する.しかし,引きこもり青年達の心のうちは,それほど確信に満ちたものではなく,常に揺れ動いている.一方で生存競争への参戦を拒否しつつ,他方でビル・ゲイツやジャック・ウェルチなどの<成功者>に憧れつづける.その辺りの自家撞着が引きこもりの堂々廻りする考え方であり,なかなか脱出できない桎梏でもある.
ジャック・ウェルチの『組織運営』論は企業が最大利潤を得るための原理に過ぎず,これを信奉しようと,拝跪しようと,それぞれ勝手ではある.
しかし,アメリカン・スタンダードの押し付けが今のグローバリズムの実体であることは承知しておいて欲しい.株式会社の論理が横行する中で,引きこもりを克服して行くことは難しいし,『私の履歴書』の成功者の言葉の中からNPOやNGOの運営原理を導こうとすると,根本的な矛盾に遭遇してしまうだろう.
(11月6日)