NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第19回 「Boys be ambitious! 少年よ大志を抱け.」

By , 2001年7月2日 3:04 PM

 札幌農学校を去るとき,クラーク博士が生徒たちに残した言葉だという.青年は大志,大望を抱くべきだという考え方は,洋の東西や今昔を問わずあるらしく,どうも私のような初老期を迎えた人間や,21世紀の《成熟社会》の今日には,少し眩しすぎて,そぐわない気のする言葉なのである.

 ただし,大志・大望の中身はと言えば,時代や国によって異なるのは当然である.

 男子青雲の志を立て郷関を出ずる 学若し成らずんば死すとも帰らじ

 こういうのは東洋的であって,貧乏臭い田舎を捨てて都に上る,つまりは,官位官階を得て故郷に錦を飾ろうというのである.『青年は荒野を目指す』というのもあって,こちらのひとつはアメリカ的開拓者精神であり,もうひとつはロシア的な革命の曠野である.フロンティアスピリットも革命的精神も,青年らしい理想と悲壮の結合である.

 青年にして,こうした理想も悲壮も持ち合わせず,与えられた環境に唯々諾々と従うだけ,などというのは,多少は物足りない,覇気のない青年と見られた.少なくとも前の世紀までは….
  今は,地球上に開拓すべき荒野などないし,革命的精神などというのは,成熟社会においては迷惑千万な代物であり,事実,多くの若者は行儀正しく,パラサイトシングルなどと蔑まれつつも,意外とつつましやかに生きている.

 ただ,一部には前世紀の遺物とでも言おうか,大志・大望を胸に抱いて悶々とした日々を送る青年たちの一群がある.
  それがわが愛すべき『引きこもり』の若者たちである.なぜ『引きこもり』の若者が大志・大望を抱くのか…?

 引きこもりの若者の多くは,『あなたは《できる》子だ!』と褒められて幼年期・少年期を過ごしてきた.本人もまた,多くは幼時の頃からの《万能感》を引きずったまま,成長してきている.
  ところが,何らかの壁にぶつかって挫折し,引きこもった.それは人により,受験の失敗であったり,いじめ体験であったり,先生に理解されないことであったり,家庭の不和であったりさまざまである.一番《大事》だと思っていた《学業》がうまく行かなくなる.《万能感》と《挫折感》の矛盾に引き裂かれ,他人の目を畏れるようになる.引きこもりの《初期症状》である.

 簡単に言ってしまえば,この段階で《万能感》を捨てれば《矛盾》はなくなるのだが,多くの場合,親は受験の失敗などを慰めるつもりで,依然として『あなたはできる子だ!』と励ましつづける.
  父親の方はこの段階で冷静になり,突き放すケースもあるが,母親の方はそうは行かず,わが子の挫折を見て不憫になり,何とか他の方面に才能を伸ばしてやりたいと思う.本人も内心では『自分は出来るはずなのだ』と考えているプライドの高い人間だから,目標(例えば志望大学)を下げたり出来ない.たとえ,低い目標に到達しても満足できず,周囲の仲間達を見下ろすことになり,結果として自分から疎外されることを選ぶことになる.

 《大志・大望》を抱くのはこの段階である.自分は良い大学に行くこと(あるいは卒業すること)は失敗したが『自分は出来るはずの,一流の人間である(はずだ)』から,目標を切り替えて<別な分野>で<一流を目指そう>とする.《大志・大望》である.

 『一流のミュージシャンを目指す』若者は結構多い.(TV)ゲーム作家を目指すというのも時代の反映であろう.イラストレーター志望も同様である.チャンピオンを目指してボクシングジムに通う若者もいる.大学には行けなかったけれど数学者や哲学者を目指すというのもいる.小説家志望も当然多い.ビルゲイツを目標に年収5000億円を目指すというのもいる.タレント・歌手というのはむしろ平凡かも知れない.発明王を目指す人もいる.

 Iさん,Kさん,Hさん,Mさん,Tさん!あなたのお子さんのことを書いてしまってごめんなさい.S君,キミのことを書いてゴメン!でも,これはプライバシーの暴露じゃないよ.あなたのお子さんだけではないのだ.『引きこもり』の若者の多くが,『一流』であることを目指してこんな《大志・大望》を持っているのだ.

 《大志・大望》を抱くのは青年の特権である.無論,今の時代だから,『革命家を目指す』人はいない.開拓者になるどころか,『農業』で一流を目指す人もいない.何かの『職人』を目指すという人も少ない.職人は職人だろうが,ゲーム作家とかイラストレーターとか,何処かアーティストとしてのカッコ良さを求める.でも,何処かほほえましい青年の夢なのである.
  私は《馬鹿》にしてはいない.たとえ『革命家』を目指そうと『百姓』を目指そうと,せせら笑う人には笑わせておけば良い.ボクシングジムに通って傷つき,自分の力のなさを思い知れば良い.小説を書いても書いても誰からも評価されずに,ついに文学青年が文学老年になってしまっても構わないのではないか?

 だけど,『引きこもり』の若者に,これだけはひとこと言っておきたい.
  ミュージシャンになりたい君は『一小節でも良いから,キミの楽器を演奏したのか?一小節でも良いから,キミのメロディーを作曲をしたのか?』 発明王を目指す君は,たとえ特許が取れるかどうかは分からないけれど,『特許申請』の最初の一行を書いたのか?

 今ではない何時か,ここではない何処かでと言うだけでは駄目だ.

 一流を目指すと言う君なのだから,せめてその努力の第一歩だけでも,《一流》以上のものを見せてくれ.昔から永遠の文学少年など沢山いて,『書かれざる第一章』というのは掃いて捨てるほどあるのだ.
  もし小節の第一章,音楽の第一小節が書けないのなら,《一流》などという幻想の蹴飛ばし方だけでも,見事に見せて欲しいものだ.
(7月2日)

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