直言曲言 第8回 「過信と不信」
自分が若かった頃を振りかえってみても分かる.青春というのは,愛しくなるほど未熟なものである.若い人の未熟さを蔑む心があるとすれば,それは,若さを失った心の嫉妬ではないか?
もはや堅い膠質の皮膜に覆われ,やわらかな春風が吹いてきても,夢見心地のような甘い気分にもなれず,どこか知らない場所に吹き飛ばされてしまいそうな不安に疼くこともない.不確実性の時代などと言いながら,明日も明後日も確実に過ぎて行く日々のための蓄えを確認しつつ,したたかに生きている.それが<大人というもの>だと言えばそれまでだけれど,若者たちを支えようとしながら,日々狡猾さを重ねて行かなければならない自分の老いに驚いている.
私にも不登校体験と引きこもりの日々があった.
私は小学校を卒業していない.親が事業に失敗し,最終的に住む家も失ったのが小学校3年のときだった.それまでも夜逃げを繰り返していて,ほとんど学校に通っていなかった.その後住みついた釜が崎で『不就学児一掃運動』というのに引っかかり,小学校に行かないまま地域の中学校に入れてもらった.中学に入れて有頂天になった.小学校からの勉強の積み重ねがないのでハンデも大きかったが,英語などは横並びのスタートだった.古本などの乱読で,文字や社会に関する知識は同世代の生徒よりも進んでいた.人並みに中学,高校時代に青春を楽しみながら,大学を目指した.
模擬試験の偏差値は高くなかったが,関西では最難関と言われる国立大学を受験し,幸いにも現役で合格した.難関を突破したことの誇りが,未経験な残りの人生すべての成功が約束されたかのような自己過信と錯覚を私にもたらした.しばらくして人並みに五月病に罹った.小学校にも通えなかった浮浪児の頃から夢見ていた『最高学府』というものの現実に,激しく落胆し,落ち込んだ.ノイローゼ(神経症)状態になり,非現実的な妄想にも取りつかれた.下宿からほとんど出ない日々が続いた.
私の場合,それを救ったのも,ある種の自己過信だった.不就学児から難関を突破した自分に<不可能はない>と思いこんだ.一方で,妄想を吹き飛ばすために飲酒に耽った.アルコールは自分の体質に合っていたのかも知れない.やがて,勉学とアルバイトとサークル活動,それに夜は酒場通いという超人的スケジュールが,ノイローゼから自分を抜け出させた.
学部での単位も順調に獲得していたが,学問に対する幻想は,例の『五月病』以来失っていた.法学部なので司法試験受験という選択肢もあったが,弁護士という<聖職>にも幻想をなくしていた.四年生のとき外資系石油会社の就職面接に行き,即座に<内定>が告げられた.しかし,やがて<不採用>の通知がきた.釜が崎にある実家周辺に興信所の内偵があったと聞いたが,自分が本当に就職したかったのかどうかも分からなくなり,何もかもがどうでもよくなった.
大学には8年間在学したが,卒業の期限ぎりぎりのところで授業料未払いを理由に中途退学した.結局,小学校も大学も中退という奇妙な経歴になり,以後,履歴書というものを書いたことがない.決して謙虚に人生を歩んできたわけではない.確信犯的に大学やその他の権威に背を向けたのだから,傲慢ですらあったと思う.しかし私自身の経歴についてここで語ろうとしているのではない.
私自身も若い頃に猛烈な<上昇志向>に囚われていた.困難な状況の中での難関突破ということで,根拠もなく人生に対する漠然とした自信を深めてしまった.自己過信にも陥った.もちろん,世間はそれほど甘いものでない.一方でいわれもない<万能感>を持ち,他方で激しい<劣等感>に苛まれた.自身の貧困からの脱出という<利己主義>と,社会的矛盾に立ち向かうという<使命感>が,<万能感>と<劣等感>に引き裂かれて立ち往生した.今から考えてみれば,そのいずれも他人の責に帰すべき種類の問題でないのは明らかである.もちろん親の責任でもない.しかし,自家撞着のような神経症的堂々巡りの懊悩から抜け出せないまま,私の20代は過ぎて行った.
私は今,『若者の引きこもり』に対する無理解にも,逆に,「引きこもりは悪くない」とするような一見無責任な評論家的言説にも,激しく反発を感じる.
引きこもる若者たちが真面目な理想主義者達であるのは明らかである.理想を持たずに予定調和的な<通過>を期待する親たちには,<自己不信>と<自己過信>の間を往復する振り子のようなわが子の青春を慈しんであげてほしいと思う.
あなた自身がどのような青春を生きてきたのか.あなたもまた同じような苦悩を生きてきたのなら分かるはずだ.あなたが社会の趨勢に流されて経済優先の生き方をしてきたのなら,そろそろ気づくべきだ.
自分たちの青春を<運良く>ほどほどに通過しながら,達観したように若者たちの苦悩を論評する識者には言いたい.『あなたの良識は間違っていない,だけど,同時代を生きる仲間として,この時代の苦悩を共有する血と汗の友情を求めたい』と.
(4月2日)