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直言曲言 第13回 「子を持って忘れる子の心」

By , 2001年5月9日 2:51 PM

 『親の心,子知らず』『親思う心にまさる親心』『子を持って知る親の恩』…….
  いずれも『親の恩は山よりも高く,海よりも深い』と子ども達に言い聞かせる教訓であり,このように親の側から子どもに押し付ける《恩着せ》的な格言,箴言の類は数え切れない.それだけ人間というもの,親不孝な子ども達が多かったということなのだろう.

 『子を持って知る…』などは,その語られる場面も彷彿とするようで「なるほどその通りだな」と思わせるような説得力がある.私などは親の恩はともかくとして,子どもを持ったときに<神の恩寵>のようなものを感じ荘厳な気分にさせられたのを覚えている.

 さて標題の『子を持って忘れる子の心』というのは,明らかに先の『子を持って知る…』を踏まえた逆説的な箴言である.
  この言葉を知ったのは十年ほど前になるが,大阪の御堂筋に面した『北御堂』という浄土真宗の大阪別院の門前である.黒板に週に一度くらいの割合でこうした格言の類が書き出されている.普段は<くだらない>と思って気にも留めずに通りすぎるだけだが,このときは子ども達の『反抗』や『自己不全』について考えていたときなので,なぜか心に響いた.

 解説するまでもないが,「自分が親になるまでは子どものように自由な心を持ってのひのびと生きてきたのが,子どもを持ってしまうと,ついそのような心を忘れて,子どもを厳しく叱りつけてしまう」という反省や自戒の表現なのだろう.

 不登校や引きこもりの子の親たちにも,残念ながらこのように『子の心』を忘れてしまった大人が多い.わが子の引きこもりに気が付かなかったり,無関心な親ではない.むしろ,わが子のことをひどく心配し,私どもに相談を持ちかけ,お話しを聞いてみると,良識的で物分りの良い親御さんに多い.事務局と面談し,こちらのアドバイスも受け入れてくださり,納得してお帰りになるのだが,一向に解決の兆しが見えてこない.

 こういうケースでは,『親という立場(心)を捨てて,お子さんと向き合ってみては…』と言わせていただくことがある.<良識的で物分りの良い親御さん>は,常に子どものために『良かれ』と思って育ててこられたのであり,自分の考え方や言動が子どもを引きこもりから抜け出しにくくしているとは気がお付きにならないのである.

 子どもが『引きこもり』になってしまうのが《親の責任》と言っているのではない.ただ,引きこもりの若者はほとんど例外なく『真面目で,誠実,親のいうことを聞く子だった』という共通項をもっている.『親の期待に沿う』ことを<人生の第一目標>にしている.『親の期待に沿う』ことが《悪いこと》などであるはずもなく,それが実現できれば,それはそれなりにハッピーであろう.この数十年間の日本で《親の期待》の最大公約数は『良い学校を出て,高い給料をもらう』ことに集約される.それを願う『親の心』が結果として,子どもを引きこもらせる遠因になろうとは,思いもつかないで当たり前である.

 それが『引きこもり』につながってしまうのは今の所,私なりに考えて二つの道筋がある.

 ①『良い学校を出て,高い給料をもらう』には『良い会社』に就職しなければならない.その『良い会社』らしきものが,今の若者には見つけられなくなったことである.
  これは,親とか子とかいう前に,人間として今の社会や株式会社というもののありようを真剣に考えれば,そして,それに『真面目,誠実』という条件を付け加えれば,明らかなのである.『引きこもり』が単に『怠け』や『思考停止』でないのは,現実と目標の落差に激しく葛藤し,矛盾と戦った結果,深く傷ついている若者を見ればわかることである.

 ②目標を実現できずに落伍するのは青春の特徴でもある.
  こんなことは今の時代に限らず人類の歴史とともにあったと言って過言ではない.では,なぜこの時代に引きこもりは増えているのか?
  過去30年ほどの日本の経済は,未曾有の発展を遂げた.親たちの世代は,経済的な豊かさが《幸福》をもたらすということを,ほとんど信念に近いほど《確信》してしまった.子ども達もまたそうした親たちに育てられ,『親の期待に沿う』ことが《幸福への切符》を手に入れる近道だと思いこまされてきた.なぜなら,親たちはかっての彼らの親たちのように,《貧乏》で《乱暴》で《絶望》的な親ではなく『良識的で物分りが良く』て豊かな親たちであるからである.
  『親の心』は絶対的に説得力を持ってしまっているのである.その《親の期待》に背くことは,昔と比べ物にならないほどのストレスをもたらすのである.

 『良識的で物分りの良い』はずの親たちには,自分達が確信してしまっている『子どものために良かれ』と思う将来設計図の陥穽が見えない.受験勉強の押し付けや,過度な上昇志向の植付けには気づいて,手綱を緩めようとはするのだが,競争社会に生きてきた《社会観》や経済優先の《豊かさ》についての考え方は変わらない.
  そんな『親心』で接しようとする限り,子どもは親を拒絶することによってしか,自分の新しい生き方を発見することができない.
  子どもは直観的に『子の心』を忘れてしまった『大人』を見ぬいている.これは上辺の言葉や態度で飾ることのできないほど人間の本質なのかも知れない.

 『親の立場(心)を捨てる』ためには『子どものためになる』という発想法を捨てることでもある.
(5月9日)

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