3月の定例会(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
3月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
3月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
最近は週に2,3回はカレーを作っている。家で週1回作り、あとはニュースタートの集まりも含めて、人の家とか店とかいろんなところに行って機会があれば、カレーを作ることにしている。カレーを食べることは嫌いではないが、とりわけ大好物でもなかった。でも、カレーを作るのは昔から好きだった。実家から出て、独り暮らしをして、初めて自分で作った料理は、野菜炒めを作ろうとしてカレーになった。野菜を大きく切りすぎてうまく炒まらず、そのフライパンに水を入れて煮物にしようとしたが、味が決まらなかった。それで、カレールーを買ってきて、それをフライパンの中で溶かしたらカレーになった。煮物にしたときに、砂糖やしょうゆをそこそこ入れていたので、あまりおいしくはなかった思い出はあるが、それでもカレーは失敗から生み出された。それからはカレーを作るときはルーを変えてみたり、ソースなどの調味料を足してみたりした。独り暮らしだったので、一度作れば3日くらいカレーになるか、ご飯と一緒にいつでも食べられるように冷凍庫にストックしたりした。残ったカレーを食パンと一緒に食べたり、昆布や鰹出汁で溶いてカレーうどんにしたり、、応用もできるし便利であった。なんというか当時も納得できるカレーではなかったが、具材や味も変えることができたのでよく作っていた。煮込んでいる時間が幸せだった。次にこだわったのが、たまねぎの炒め方だった。たまねぎをたくさん使い、あめ色になるまで30分でも1時間でも炒めた。最初に電子レンジで水分を飛ばしたり、塩を入れたり少量の水を入れるタイミングを計ったり工夫するようになって炒める時間は短くなっていった。今でも野菜を切るのは好きになれないが、たまねぎを炒める作業は楽しかった。だが、カレールーの中にすでに炒まったたまねぎが入っていたので、なんというか過剰なカレーになっていった。にんにくを入れたり、ショウガを入れたり、調味料や蜂蜜やインスタントコーヒーなどさまざまなものを試してみたが、コクを通り越してなんだかコッテリしたカレーになった。当時、北海道にいてスープカレーなるものが流行りだして、そのコッテリしたカレーをチキンスープに溶かし、野菜を別に素焼きにしてのせたこともあった。まだ北海道の地方タレントだった大泉洋がスープカレーの宣伝をしていて、スープカレーというと今でも彼の顔を思い出す。いや、彼の顔をみるとスープカレーを思い出すのだった。家ではカレーをよく作るし、親からの届く荷物にレトルトカレーが入っていることも多く、外で食べるときはカレーはできるだけ避けていた。外では安い食堂のカレーや立ち食いそばのカレーうどんをたまに食べるくらいであった。ネパールやインドの人がナンを出すカレー屋さんがこのころからだんだんと増えていったのを横目で見ていた。
それでもカレーをカレー粉から作ることは数えるほどしかなかった。あまりうまくできなかったし、高価で小売にされているカレー粉はカレーを作るためにあるのではなく、他の料理をカレー味にするためのものとして考えていた。今のように週2,3回カレーを作るようになったのは、知り合いがベンガル料理のレシピ本を出したのが大きかった。彼が北インドのベンガル地域で下宿していたときに、そこの家族の食事を担当して覚えたようなレシピで、実際に彼の大阪の家でご馳走になって、とてもおいしかったのだった。それで、スパイスをそろえて作ってみると、とてもシンプルなのだが奥深いというか、今まで作ってきたカレーはカレーで美味しいのだが、大げさに言うとイギリスから海軍経由で伝わった日本のカレーライスは間違えではないのかと、インドからやり直そうと思わせるようなものであった。それにスパイスは漢方のようなもので、自律神経系によい効果があるみたい。昔から作文や論文に、「カレーの作り方」を書いて、お茶を濁すなんて冗談があったが、カレーの作り方は十分に作文や論文に値すると思ったのが、今回この文章を書こうと思い至ったところではある。とはいえ、この文章を書きながら考えていたことは、引きこもる行為にはそれぞれの理由があり、それぞれの都合が解消されれば引きこもる行為は収束することになるが、引きこもる原因はそれぞれにあるわけではなく社会問題であるということだった。引きこもる原因は分かったところで、その原因はなかなかに取り除いたりすることがすぐにできるものではない。ただ、原因が理解できなければ、引きこもらなければならないそれぞれの都合や、引きこもるという行為を続ける理由は分からない。親や社会はコミュニケーションがとれないことを問題にするが、コミュニケーションをとらない理由や都合はちゃんと本人にあって、コミュニケーションを取れない原因は本人も気づいていないことも多いが、親や社会の側にある。私がカレーを作る理由は以上に書いたようなことでもあるが、私が現在カレーを作り続けている原因は他にある。その結果が実れば、またどこかでお知らせすることはあるだろう。
マスタードオイルを熱したところに、ホールスパイス(カルダモン、クローブ、シナモン、ベイリーフ、ブラックペッパー、クミンシード、フェンネルシード、パクチーの根っこなど)をお好みで焦げないように投入します。それで、たまねぎを入れよく炒めます。塩や砂糖をここで加えてもいいでしょう。次に、にんにくとしょうがを入れます。水分を飛ばすようにして炒めます。ここで、鶏肉なんかのたんぱく質を入れてまた炒めます。ここでパウダースパイス(ターメリック、クミン、コリアンダー、レッドチリ、パプリカなど)を加えます。その後、トマトを加えてもいいでしょう。なくても美味しいです。炒めて水分を飛ばします。最後、水を適量加えて、お好みの野菜などを入れて煮込んで、塩加減を調整したら、できあがり。
2020年2月14日 髙橋淳敏
2月7日、この日はフランスから、日本の引きこもりの人たちと身体を動かして表現することを通じて何かできないかと、フランスで活動されているアーティストのお二人がニュースタートに話をしに来てくれました。
彼らは、日本とフランスの間で行われているアートインレジデンス(日本国内にもアートインレジデンスを開催している場所はあります。)の企画の一つで引きこもりの問題に取り組もうとしています。
お互いの自己紹介や、フランスでどんな活動をされているか、それをふまえて日本で何ができるだろうかという話をしました。
私はこの話を聞いた時、引きこもりの状態にある人と、ダンス(身体を動かして表現すること)というのはかなり遠いところにあるもので、巻き込んで一緒に何かをするというのはかなり難しいだろうなと思いました。でもだからこそおもしろいチャレンジだなと。
引きこもりの状態にある人にとって人と会話するという事に関しても、自分の本当に思っている事をあまり出さずに自分を制御しながら話す人も多いと思います。
それができるからまだ話をするというのはどうにかなると思うかもしれません。
ですが、身体を動かしたり物を作ったり絵を描いたりして自分を表現したりする事は、どんな自分が出てしまうか分からないから頭で考えてやろうとしてうまくいかず、自分には無理だと思う人が多いと思います。
だからこそもし、頭で考えずに心で感じて何かを表現できたらきっと自分の中で何かが解放されたりするのかもしれません。
でも何よりそんな風にうまく心のままに表現できない時にこそ、お互いに本音で話せたり、自分の頭で制限してしまっていることに気付いたり、何かができるところがゴールというよりは、その過程が大事な時間になるだろうなと思います。
何か集まりやイベントをやるにしてもまずはご飯を食べたり一緒に時間を過ごしていくことが重要だと思う事も話しました。
どんな出会いが待っているのか楽しみです。
1月25日(土) 「生きるのに理由はいるの?」映画上映会@カフェコモンズ
「津久井やまゆり園事件」が問いかけたものは?この事件が起こった今の社会にある問題、
生きにくさを感じる多くの人にも繋がる問題。そして自分もその社会を作る側でもある。
みんなで考えたいと思います。
この日は15名ほどの方が参加されました。
夕方の周りが暗くなった17時半過ぎから50分の映画を見て、
その後、監督の澤さんが年明け始まった植松被告の裁判の動きなどをふまえて問題提起してくださいました。
映像の中に出てくるエピソードに対する違和感についてや、
監督に対してどうしてこの問題に関わっていこうと思ったのかという質問など、
自分はどうしてこれたか何ができるのか考えさせられる時間でした。
答えが出るわけでも、何が良くて何が悪いかそれだけで解決する事でも無く、
でもこうして集まって、一人一人と話をしていく事しかできないのかなと感じました。
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