4月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
4月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
4月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
3月18日(土)の定例会、参加は12名でした。(内3組の方がご家族)この日は元当事者の方や今まさに少しずつ動き出しているという方など若者が多く参加してくれていました。
冒頭はこちらから話をしました。親と子の考え方の違いについて。親は、自分たちがいなくなったらこの子はどうやって生きのびていけるか心配しています。でも子の方は、自分はこの先何をしてどのように生きていくかを悩んでいる。ここにおいて親と子のコミュニケーションは難しい。
皆様の話からは、中学頃から不登校気味で高校行けなくなったり行かないことを選択したりして引きこもったりした後、高卒認定資格を取ったという方が何名かおられました。そのことは本当なら自分で考えて決めた選択で誰に何を言われることもないことなのに、自分の中で気づかないうちに、人よりできていないなど否定的な気持ちを持ってしまっている。動き出す時に自信が持てなかったりしんどくなってしまう。でも人に出会っていく中で自分の引きこもっていた状況を肯定できるようになれたら、それは大きな力になる。自信を持てたり自分のことを好きになれたりしていくうえでやっと、自分が何をしたいか、何に興味があるかを考えられるようになるだろう。その後も人と関わっていると何度も自信なんてくじかれてぺちゃんこになるだろうけど、その都度また誰かのふとした言葉や態度に励まされたりもしてなんとか動いていけるだろう。(くみこ)
・4月9日(日)お花見鍋の会@芥川桜堤公園
時間:12時~16時 第479回
〇今回は持ち寄り鍋の会になります。
手作りの物でもお勧めの一品でも甘いものでも大歓迎です。
皆様の一品をお待ちしています。飲み物と、おにぎりなどはこちらでも用意しておきます。
初めての方もぜひご参加ください。
場所:芥川桜堤公園
待ち合わせ:11時30分JR高槻駅改札口
参加費:カンパ制
参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加
※場所についてなど説明が必要ですので参加希望の方は必ず事務局までお申込み下さい。
4月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
テレビ野球観戦
現在WBCなるものが開催されている。あれは野球とは言わずベースボールというのか、その野球という競技かスポーツの観戦生活に一家言ありそうなので、書いてみようかと思う。2年前に他界した団塊世代だった父親は、関東出身で根っからの巨人ファンであって、家のテレビでよく野球観戦をしていた。平日はほとんど仕事で家にいないので、野球を見る暇もなかったと思うが、毎日朝は新聞で結果やなんかを確認して(他の欄はろくに読んでいなかったんじゃないだろうか)、日曜日の夜には決まって19時前からソファーに寝転がって肘をつき片手で頭を支えながら、ああだこうだと言って、テレビで野球観戦をしていた。文句は言っても江川投手が好きだったようで、投球ホームをまねしてみては、斜めからではなくもっと頭上近くから振り下ろすのだと、合っているのかどうかも分からないが教えてもらったこともある。そんな私は野球を観ることに、関心はあまりなかったが、友達との遊びなんかで、できるだけ速く正確に球を投げることとか、野球漫画は読んでいるような子どもであった。野球をやったことはあるが、観ている時とも同じで、なんか間延びのする競技だなあと思っていた。守備をしている時はピッチャーやキャッチャーでもないなら、球がこなきゃ暇だし、打つときは自分の番すらなかなか回ってこない。チーム対抗であり、チームプレーとは言うものの、駅伝のようにそれぞれが役割をこなして、はいっ次!とバトンタッチするようなところがあって、プレーしていて思うのは待たされている時間が長い。そういえば、父親は駅伝も好きで正月は必ず観ていた。観戦もそうだが、それを「待たされている」と思うような自分は、たぶんこの競技に向いてもいなければ合ってはないだろうなと漠然とは思っていた。「チームとしての一体感とはいうけども、どういうことなんだろうか」とか、野球をしている間にも考えてしまうのだった。バットやグローブやら、ベースやらなんやらと、準備する物が多い競技でもあった。
関西に住んでいた時期が長いせいか、親が巨人ファンであるのがなんとなく恥ずかしくて、といって阪神を応援する気にもならなければ、その時代たまに巨人に勝つこともあったあまり目立たない別リーグの西武ファンにでもなろうとしたけど、野球の面白みをあまり感じず、ニュースでハイライトだけを観ては、いったい自分は何を確認しているのだろうかと不思議に思ったりもした。でも、父親やその世代は私が観ているよりも何か特別な思いで、それぞれの球団や選手を応援しているように見えた。アメリカから輸入されたスポーツをなぜ?これが占領されるということなのか?とか。それがなんなのか分からなかったが、大人になるということは、そんなこともあるのかと感じていた。平日も休日もゴールデンタイムと言われるような時間に、チャンネル数の少ない日本の民法やNHKもこぞって中継し、野球はその試合内容をすべて届けるに値するコンテンツであった。巨人や阪神がメインだったが、一日に2試合4チーム、多いときは3試合もテレビ中継されていることもあった。毎年のようにしてドラフトやら、推定年俸やらが発表され、その度に選
手は記者会見があり、年俸1億円を超えては「お気持ちは?」なんてインタビュアーから聞かれて、選手もまんざらではなさそうだった。そしてサラリーマンであった父がなぜか、自分にはできないからかそのような選手なのか球団経営に思いを寄せていた。甲子園だとか東京ドームへ観に行くこともなく、野球の試合観戦というよりも球団とか選手の物語を追いかけていたのだろう。私の同世代的に現れたイチロー選手は、良くも悪くも「野球」を変えた。注目されていなかったパ・リーグの選手でもあって、チームプレーというよりも個人技でとにかく一人塁へ出続けた。派手なホームランとかではなく、与えられた自分の役割を問題なくこなす姿はスマートなベースボールではあったが、こういう選手を野球ファンは素直に喜べるのだろうかと。すぐに阪神大震災があり、「がんばろう神戸」という標語を腕に入れ、振り子打法で球団を優勝に導き、一世を風靡した。そして、彼はすぐに大リーグへ行くのだった。
そういうイチロー選手を羨望のまなざしで見ていたような人もあったが、野球世代で自らもアメリカに留学したこともある父親なんかは、どのように思っていたのかわからない。依然、長嶋だとか江川にこだわっていたように思わなくもない。日本人選手が大リーグに行くようになり、サッカー人気も出てきたからか、野球のテレビ観戦は廃れていった。以前よりは中継しなくなった。だけど、晩年の父親は何故か母親と阪神を応援していたようだった。母親もそれまでは野球なんてあんまり知らなかったし、むしろ嫌っていたようなところもあったはずなのに、父親と一緒にああだこうだ言いながら、二人にぎやかに阪神を応援していたと聞いた。闘病しながら、二人リビングで、野球観戦をしていた。父親がベットから動けなくなる直前、阪神の試合があるからとリビングに行く父親を介助した。そこで観た試合は阪神戦でもなく巨人戦でもなかったが、父親はソファーに腰かけて観るとも観ないとも言えないような表情で、少しだけテレビに顔を向ける時間があった。私はまだその時になっても、希望を持っていた。だけど、それが父親が歩いてリビングに来た最期になった。私がやってきたテレビでの野球観戦生活はこのときに、終わったことを知った。今のWBCでは、そのような野球観戦はもうできないと思う。
2023年3月18日 髙橋淳敏
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