NPO法人 ニュースタート事務局関西

「クローズド・モノローグ」髙橋淳敏

By , 2023年5月20日 5:00 PM

クローズド・モノローグ

「あなたは今この状況にあることが、自分を責めたりすることになっているのかな」
「具体的に言うと、私があなたの部屋のドア前にこうして居ることや、こうやってあなたに話しかけたりしていることが、あなたを責めることになっているのかな」
「あるいは抽象的に言うと、ひきこもりという言葉で名指される社会や、あなたが部屋から出ないでいることは、責められることになっているんじゃないかな」
「何が言いたいかと言うと、私はあなたを責めるためにここに居るのでもなく、あなたが引きこもっているのはあなたの責任ではないんじゃないかということを伝えに来ました」
「意味がわからないかな、ここからはダイアローグで話し合いたいのだけど、難しいかな。その前にモノローグになるけど自己紹介をさせてください、、(略)」
「他人や自分に対してでも、責めることは責任を問うことだよね。一般的に、引きこもることの責任は問われている。だから、学校に行かなくてはならないとか、働かなくては生きていけないとか、そんなこともないのに人は考えられず、自分や他人のことを追い込んでしまう。」
「でも、もっと単純に、私たちの責任なんてものは、最初からはないんじゃないか?親には子を養っていく責任があるのかもしれないが、子にはいったい何の責任があるというのだろうか?あるとすれば、責任がないところから繰り広げられるであろう対話や関係の中から、責任らしきものが感ぜられるくらいだろう。でもそれは誰かから責められてそのままをもらうようなものでもなければ、人から言われて押しつけられるものではない。それこそダイアローグの中に新たにも発見されるようなことなんじゃないか」
「エピソード、具体的に。そうね。例えば私は、今の沖縄に米軍基地が集中していることを沖縄の問題だと思っていた。沖縄が解決すべき問題を抱えているのだと勘違いしていたんだ。だけど、県民投票とかあったでしょ?沖縄は米軍基地はいらないと言っている。もちろん基地があっても構わないと思っている人もいるけど、結果では半数以上の人がいらないって言ってる。でも、基地はなくならないどころか、環境を破壊するような形で新たな基地が沖縄に作られようとしている。いったいそれは誰の責任で?基地ができたらそれは誰が責任を持つ?沖縄でもなく、米軍でもなく、沖縄にはいない私たちの責任なんじゃないかと思うの。それは誰かから責められて感じた責任ではなく、長く解消されずに堆積された対話の一端に自分が関われたから知れたことだった。沖縄を知ったのではなく、自分のことをそこで知ったんだ。日本に米軍基地があるのは当然だが、沖縄に米軍基地があるのは当然ではないんだ」
「そう。あなたは自分のことは自分が一番よく知っていると思ってはいないか?」「当然。それは一面では正しくて、その反面は間違いかもしれない。それが間違いでもなければ私たちは生きている意味の多くを失ってしまう。誰か特定の人が自分のことを自分以上に知っているなんてことではなくて。たくさんの人があなたは知らない、あなたのことを知っていることがあるんじゃないか。たしかにそれは怖いことかもしれないけどね。例えば、あなたがなぜ引きこもっているかについて、私はあなたよりも知っていることがあるかもしれない。反面、私が今こうやってあなたと会おうとしている理由については、私よりもあなたの方がよく知っているのかもしれない。」
「元に戻すけど。もしかしたらあなたは自分が今引きこもっていることを自分のせいであると考えているのではないか。世間がひきこもりと名指すことで多くの人を責めているように。怠けているから、気力がないからとか。努力できない、能力がないとか。あげく病気だ、障害だとか。今の社会が好んで、とてもしっくりきてしまっている自己責任という自立したオープンモノローグだ。でも、もし引きこもることがあなたの責任ではないとしたら、そもそも引きこもることが悪いことでもなく正しいことだとしたら、どうだろう?」
「引きこもることが悪いことだなんて思っていない?そうだね。じゃあ、自分を責めてはいないってことなんだったら、あなたはどういう了見で今の私と会おうともしないんだ?断りもなくドア前で話しかけるような人にまともな人間はいなかったか?それとも、まだ会えてもいないが私のような人は嫌いか?私とのダイヤローグで自分を知ることや、新たな責任を発見するのが嫌か?自分を知るのは怖いかい?あるいは絶望しているのかい?」
『うるさいな!ドア前でごちゃごちゃ言わないでくれ』
「ああ聞いていなかったの、ヘッドフォン。音楽聴いていたのね。ごめんね。私も音楽好きよ、何聞いてんの?」
『帰ってくれ』
「何、私とのダイヤローグよりもそれ大事?今、その音楽聴くことが」
『なんだよダイヤローグって、気持ち悪いな』
「そうね、気持ちが良い方がたぶんいいのだろう。曲名でもないし。ほんじゃあ、もう一度説明するところからやるね」

2023年5月20日 髙橋淳敏

5月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2023年5月13日 7:27 PM

5月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

5月20日(土)14時から (290回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】

5月鍋の会は21日に延期になります。

By , 2023年5月13日 7:26 PM

◎5月14日に予定していました鍋の会ですが21日に変更にさせていただきます。

・5月21日(日)おしかけ鍋の会

集まってからみんなで何鍋にするか考えて買い物に行って準備します。

初めての方も是非ご参加ください!

時間:12時~16時 第480回

場所:カフェコモンズ(JR摂津富田駅近く)

待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口

参加費:カンパ制 

参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加
※場所についてなど説明が必要ですので参加希望の方は必ず事務局までお申込み下さい。

5月14日鍋の会開催します!

By , 2023年5月10日 12:56 PM

・5月14日(日)おしかけ鍋の会

集まってからみんなで何鍋にするか考えて買い物に行って準備します。

初めての方も是非ご参加ください!

時間:12時~16時 第480回

場所:カフェコモンズ(JR摂津富田駅近く)

待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口

参加費:カンパ制 

参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加
※場所についてなど説明が必要ですので参加希望の方は必ず事務局までお申込み下さい。

4月定例会報告

By , 2023年4月26日 8:24 PM

 4月15日(土)の定例会、参加は10名でした。(内4組の方がご家族)冒頭はこちらから定例会を始めた頃の話から引きこもり問題について話しました。「大学生の不登校」という言葉が出てきたのは1990年後半。今では特に違和感のない言葉だが、当時はこの言葉自体がおかしかった。どういうことかと言うと、それより前には毎日大学に通っているかどうかを親や社会がそれほど注目していなかったということ。だからこの問題が出てきたときも、本人が困るというよりは親が困って問題となった。世間からは、本人が怠けているとか、気力がないとか病気なのかなど言われたが、そうではなく社会の側に問題があるのでは、という仮説を持ったところからこの定例会が始まった。社会の側に問題があるというのは具体的には、競争社会やそれによる人間不信など。点数を上げるためだけに勉強することに問題はないのかと。そんな社会に参入しない彼らこそまともな感覚を持っているのではないか。例えば勉強がもっと身近で誰かと競うわけではなく、その勉強によって生きていく力を身につけていけるような学校であるなら。自分が社会に関わることでこの社会を変えていく主人公に(誰かがなるだろうではなく)自分がなれるんだと思えれば少し立ち止ったとしても動き出せるのではないか。
 皆さんからは、引きこもりだしてから子どもとコミュニケーションが取れないというお話が多くありました。母親とは少しは話せているが父親とは一切話さないし顔も合わせない。他にも母親とも会わないように生活しているということもあります。親と子のコミュニケーションにおいて親は子を外の世界から守ろうとしている。例えば本人が嫌がるので親戚や知り合いの人を家の中にいれないようにしたり、必要なものは親が買ってきたり、本人がネットで買ったものを親が受け取るなど。こういう状態では、コミュニケーションにはならない。コミュニケーションを取りたいならその方法は1つだろう。自分の気持ちを正直に話すこと。良いようなこと正しいことを言うのではなく、自分が思っている本当の事を言わなくてはならない。知らないこと分からないことも正直に言うというのは親としては難しい。初めに子どもに対して、何を考えているのかこれからどうしたいのかを聞くのではなく、まず自分の考えていることや思っていることを話して聞いてもらう。たとえそれに返事がなくてもそこからコミュニケーションは生まれるだろう。当事者でもあって動きだせるようになってこの場に来てくれていた方が隣に座っている、子どもと同じ家の中にいるのに全く会えないというお母さんに一言、「顔を見たい」って正直に言っちゃあだめなんですか?と言ったのを聞いて、(あぁ本当だ。)と身体にすっとその言葉が入ってきました。子どもの顔を見たいし会いたいし話したい、そんな当たり前の気持ちさえ押し殺して、(きっと嫌がるだろうから)とか(いつもいない時間に自分がいたら怒るのではないか)など本人に聞く前にそういう風に考えてしまっている親御さんたちが多いのではないかと思いました。正直に自分の気持ちを伝えるというのは、そういうことなんだと改めて感じました。(くみこ)

Panorama Theme by Themocracy | Login