NPO法人 ニュースタート事務局関西

今日のお鍋はなんですか?5月、6月

By , 2015年6月24日 10:00 AM

5月24日(日)は、無事に晴れてお出かけBBQ鍋の会でした。詳しくは☆BBQ鍋の会感想☆をごらんください。
6月14日(日)は、久しぶりのいつもの鍋会でした。17名参加で、お鍋は水炊きにしました。鶏のだしが効いていて美味しかったです。
人と一緒にいて沈黙の時間が怖くて話そうとしてしまう人、話さなくてはいけないという雰囲気が嫌でしんどくなってしまう人。私が初めて鍋会に来た時、話さなくても、もちろん面白い事なんか言わなくてもそのままの私でここにいていいんだと感じました。鍋の会はそんな場所でありたいと思います。「鍋はもう暑いね」というおきまりの嬉しい(毎年なので笑ってしまいます)せりふが聞ける季節になってきました。
ぜひご参加ください。

例会&父母懇親会 一言報告コーナー5月~6月

By , 2015年6月23日 10:00 AM

定例会報告
5月16日(土)に12名参加(内御家族さん3名)でした。
偶然ですが母子家庭である参加者が多く、僕自身もその一人でした。母親だけの家庭では経済的な問題もあると思いますが、親の存在という見方をしても母親一人でまかなっていく事は容易ではないと思います。しかし親という立場は一人でも同じです。自分の子供なのだからしっかり向き合って話をしていきましょう。
父母懇談会報告
6月6日(土)に11名参加(内親御さん6組)でした。
参加された親御さんから「ケンカできる事がうらやましい」との発言がありました。確かにケンカとなると悪いイメージと見られがちですが、ほとんど親子の会話が無い親御さんにとっては親子が主張し合える良い機会だとも考えられます。時にはケンカになる事も覚悟して親子で向き合う事も大事です。

支援の地平

By , 2015年6月22日 8:12 AM

引きこもりの支援のことではなかったが、とある場所で支援者といわれる人が話していた。その人が言うところの被支援者を、その支援者も立っているとされる社会へと、一人でも多く引き上げることが、「支援」であるというような内容であった。この場合、支援者が被支援者よりも上の社会に居て、下に居るとされる被支援者を上の(健全な?)社会へと、特定の専門家が支えるなり、お金なり、薬なりを使って引き上げることが「支援」であるという話なのだろう。もしかしたら、今でも多くの人が、それこそが「支援」の在り方だと思われているかもしれない。しかし、現代における問題の当事者(被支援者)とされる人への支援として、従来からも行われている一見わかり易いようなこのやり方は間違っているのではないかと思うことが多く、事業所の経営などとは別に、支援としてこのようなやり方ではうまくいかないだろうと思っている。そして引きこもりの支援はその最たるものではないかと考えている。

 

上のような支援モデルは、狭義であるかもしれないが福祉に代表されるだろう。企業を中心とした社会を、健常とされる核家族や単身の非正規雇用者などが支え、それらから税金を徴収しいわゆる社会保障費などとして、被支援者に下駄をはかせ企業社会に消費者として登場してもらう。医療費や薬代、収入のない人には生活費として、それこそ被支援者を引き上げる専門家とされる支援者の仕事などに当てられる。特に、今の国の政策を見ていれば、それだけが国民生活を支える唯一の手段であると考えられている節がある。だからこそ、実際困っている人には目もくれず、金融や大きな企業を優遇しその下で働く人が奴隷のように扱われても無視し、さまざまに出てくる問題は神経質に増殖する専門家などと呼ばれる人や事業所に丸投げする。一方で、当然成果が上がらないわけだが財源もなくなり、そのことを理由に社会保障費は削減され続け、福祉にまで自己責任や競争原理を持ちこんでいる。

 

まず上のような支援の仕方が成立しない大きな理由の一つは、支援者といわれる人が立っているとされるその社会が、構造的に上に位置していないことだろう。もちろん、社会保障費や助成金などで下駄をはいた支援者や事業所が一見、上の社会にいると思うことがあるかもしれないが、それはまやかしである。たとえ、被支援者自らも下駄をはく手段を得て、上の社会といわれるようなところで生活できたところで、そこは支えあって生きていく場所でもなければ支えてくれる人もいない上でも下でもない孤立した世界である。そのような孤立した世界でも、命があるだけましであると思うような状況なら、それらを利用するのが手であるだろうが、引きこもりに現れる問題などは明日食べるものがないなどの話ではない。孤立した世界では、引きこもっているときと同じく、人としての尊厳もなければ、自らを卑下する中であらゆる過去も保留にされたまま現在も未来もない。心配は10年20年後の安定した生活くらいであるが、それに対する自らはあまりに非力であり、世界は無責任である。

 

それでも、だからこそ私たちは社会に出て行かなくてはならない。その社会とはいったいどこに現れるのか。まさに被支援者とされる人たちが立っているその地平にこそ現れるのではないだろうか。そして、支援者は被支援者と同じ地平に立っているということを忘れてはならない。国がどんな政策を立てようとも、私たちは被支援者が置かれている地平でこそ支えあうことができ、あらたに社会を作り続けることができ、それこそが現実であるということを確信しなければならないだろう。それらは、弱く小さく病的かもしれないが、同じ地平で支え合える場所を、公民館や公園、ビルの中や店の中、自宅や路上にも、作り続けていくことが、支援の肝心要だと考えている。

 

それは、例えば引きこもりを発達障害などとして、病院や企業や家に囲い込むことなどではない。発達に障害を持っているのは上だとされる社会の方なのだから、支援者も被支援者も恥じることなく、うつむかず今置かれたその地平を見据え、もっとやりたいように現在を楽しくもやればいいのだ。

2015年6月19日 高橋淳敏

7月の定例会(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2015年6月21日 10:00 AM

7月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

7月18日(土) 14時から (197回定例会)

場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室

当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。

参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら

※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。

【高槻市青少年センターと共催で行っています】

6月の鍋の会

By , 2015年6月12日 1:45 PM

★6月の鍋の会★

第351回  6月14日(日)13時~17時

第352回  6月28日(日)13時~17時

暑くなってきましたね。

まだまだ鍋がおいしいです。

鍋の会は、家族ではなくて、色んな人がいて、お鍋を囲んでゆっくりと話したり、食べたり。

参加申込みは事務所まで、電話かメールでお願いします。

詳細はこちら

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