5月17日(土)8名参加(内家族の方は4名)でした。1998年頃「引きこもり問題」といわれたのは、競争社会や受験勉強の後に表れてきた大学生の不登校など社会の問題を指したものだった。この問題の当事者は、社会の側だった。しかし2001年ごろから「ひきこもり」とは名詞として個人を指す言葉に変わっていった。ひきこもりの定義などもできた。この当事者は引きこもっている本人であり、自己責任などの言葉もよく聞かれるようになった。ではもし引きこもりの問題の当事者が社会の側に、引きこもっている人以外の人であるなら、引きこもっている人は自分一人ではその問題は解決できない。でも何もしなくていいのではない。なぜならその人は自分以外の引きこもっている人にとっての社会の側であるのだからその問題のために動かなくてはならない。そのために出て動く。誰かがなんとかしてくれるわけではない。人ごとでもない。自分が当事者だと言い切って人と話をしていく。
皆さんの話から。子に「死にたい」と言われることについて。子にとっては学生時代に学校に行く以外の生き方なんてわからない。学校に行けてないということはもう人じゃない。生きていけないぐらいに感じてしまうからだろう。一人でこもっている状態ではその気持ちは変わっていかないだろう。家族以外の他人と出会い、同じように悩んでいる人がいることを知ったり、自分の親とは全く違う生き方をしている大人を実際に見ることがとても大事なことだろう。
親は子にさせたいこと(勉強や学校生活など)があるから、やりすぎてしまう。家にいたら勝手に目の前にいろんなものが出てくる状況では自分が本当に何がしたいのかわからなくなる。
100%じゃなくてこれくらいで「いっか」「まぁいっか」を重ねていけるといい。(くみこ)
6月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
6月21日(土)14時から (315回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
6月の鍋の会
日時:6月8日(日)12時~16時 第506回
みんなで集まってから何鍋にするか考えて買い物に行って鍋を作ります。実はこの時期が一番熱い!暑い!鍋の会だったりします(^^)(真夏はクーラーをつけていて優雅な鍋の会になることもあり。)
初めての方も久しぶりの方も大歓迎です。参加される方は必ず申し込み下さい。
場所:「へそでちゃ」(JR摂津富田駅から徒歩15分弱)
待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口
現地に来られる方は12時までに来てください。
参加費:カンパ制
参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加
当々云
表題の「当々云」と名付けた集まりが「へそでちゃ」で始まった。当々云も、へそでちゃも聞き慣れない単語ばかりで、一体何のことか分からないと思う。「へそでちゃ」は前にも書いた新しく作った場所の名称で、今回はそこでやる「当々云」と云う集まりについて書く。当事者が云う、この当事者とは一体誰のことか。引きこもり問題であれば、引きこもっている人は、その問題の当事者と云われている。では、引きこもり問題における当事者は、引きこもっている人だけなのか。ここでは何度も書いているように、引きこもり問題において、問題は「ひきこもり」にあるのではない。社会や「ひきこもり」と言われる人以外の問題であると考えられる。なので、例えばその家族は、引きこもり問題の当事者である。それならば逆に、引きこもっている人は当事者ではないことになるが、引きこもっている人は自分以外で引きこもっている人の問題の当事者となる。要するには「引きこもり」と云われていることが社会問題である所以である。引きこもっている人は、自分が引きこもっている問題ではなく、自分以外の引きこもっている人の問題の当事者である。何か狐につままれたような、あるいは詭弁のように聞こえるかもしれないが、それは世間が引きこもり問題を当然のようにして、病気や障害、能力や怠慢、気力など個人の「ひきこもり」を問題としていること(思考停止)による。
この自己責任的な問題とされている「ひきこもりはどのようにすればその状態から抜け出せるか」と云う命題については、みなさんご存じのように30年以上、未解決のままである。例え、一人の人が学校へと通学したり、会社などに就職できたりしたとしても、その数も少なければ、新たに引きこもる人も絶えない。自己責任的な「ひきこもり」という名称は、その問題のとらえ方がおかしい。引きこもり問題を「ひきこもり」個人の問題として、解決できないように転倒して考えている。灯台下暗しと云うのか、この問いの答えは、この問いが立てられた足元にある。問題は、個人にではなく「ひきこもり」と名指した社会にあり、「ひきこもり」はその問題が、自分にないことが分かれば、その状態から解放される。「ひきこもり」を自分の責任にしないこと、それが唯一この問題を解く第一歩であり、そこから踏み出すことによって引きこもっている状態から抜け出さなくてはならなくなる。なぜならば自らに押しつけられているひきこもり問題は、自分だけでは解消することができないからだ。引きこもり問題が自分では解決できないと考えることが、「ひきこもり」から抜け出す機会になる。ただそれは、問題や自らの存在を他人や「ひきこもり」と名指してくる社会を前提にすることであり、対人恐怖や人間不信などに悩まされている場合は、それはとても困難な問いの立てつけにもなる。でもやはり、人との関りの中でしか、その不信や信念が解消されていくことはないだろう。少し脱線したがもとい、少なくとも日本の社会問題であるとすれば、すべての人が引きこもり問題における当事者である。これはきれいごとではなく、そのように考えられなかったことが、未だに引きこもり問題が解決できない根本的な原因である。悪しき「ひきこもり」の定義にも、家族以外の人と半年以上会ったこともないなどの条項がある。家族以外の人と会うことのできる「当々云」は、来ることができたところで「ひきこもり」でもない。引きこもり問題とすれば、それぞれにその問題の当事者として云う集まりになる。「ひきこもり」(と云う言葉)を生んだ社会とは何か。
もう一つ、引きこもり問題とは直接関係はないが、分かりやすい社会問題の例をあげてみる。沖縄問題とされることが多い米軍基地問題である。日本地区にある米軍基地の70%以上が沖縄県に集中している。それも、沖縄が日本に「復帰」したとされる1972年5月15日以降、沖縄への負担は増えている。沖縄県は県知事選や、県民投票まで行って、新基地建設などにも反対の意を示してきた。その意をずっと聞き入れないのは、国や政府であり、沖縄県以外の日本である。だから、沖縄に遍在する米軍基地問題は、沖縄以外の日本にその原因がある。なので、これら沖縄問題とされる当事者は、沖縄以外の日本に住む人たちとなる。沖縄が何度、米軍基地を減らそうとしたところで、その問題は解決するどころかひどくなってきた。これも問題が転倒していて、沖縄に問題があるのではなく、それ以外の日本に問題があるために未解決のままの社会問題である。沖縄に民主主義がないのではなく、日本に民主主義がなく、単なる多数決になっている問題である。では、これらの社会問題を解決していくにはどうしていけばいいか?それが「当々云」の集まりで、そこで当事者と云うことが大事で、云い切ってしまうことからしか始まらない。私は、沖縄に遍在する米軍基地の問題の当事者である。これは何も自意識過剰なのではなく、問いの立て方や問題認識として成立している。だから、私には沖縄に遍在する米軍基地問題を解決することができる。最後に、前回も書いた障害者の話しも添えておく。特別支援学級や通級など、分離教育がすすんでいる他、障害者問題と云われることがある。ここまでくれば分かると思うが、これも障害者が問題なのではなく、学校教育のしかも障害者ではない健常者と云われる生徒への教育が問題なのである。なぜ、障害者と分離しなければならないことを教育と云えるのか。障害者問題における当事者は、ほとんどの場合は健常者である。段差(障害)がある度に、車いすを持ち上げるようなことを制度化するのではなく、段差をなくせるところはなくし、それでも残る段差があれば近くにいてできる誰かが、当たり前のように持ち上げるなど協力すれば良い話しである。障害者問題における当事者は、自らに押しつけられている障害以外、全ての人がその障害者問題の当事者なのだから。あらゆる社会問題は、自己責任から抜け出せない社会の中で、このような転倒が起きている。それをコペルニクス的転回でもって、正立させて、問いを立て直すことが何よりも大事であることが、引きこもり問題30年の反省である。私は、引きこもり問題や沖縄米軍基地問題や障害者問題の当事者である。そう、当事者と云い、当事者として何が云えるのか。
2025年5月17日 髙橋淳敏
5月11日(日)鍋の会開催しました。6名参加でした。この日は、これからこれ以上暑くなったら鍋食べれるのか…という不安がよぎる、まぁまぁ暑めの日でした。豆乳鍋が食べたいという声があり、異論はなかったので豆乳鍋の方向で話が進みました。どうやって作るのかはっきりとはわかりませんが、とりあえず和風だしの鍋汁を作ってそこに豆乳入れたら何とかなるだろうということで、買い物組が帰ってきてから野菜切って少し味をつけたお汁に入れてお肉も入れてから最後に豆乳を入れ、沸騰させないようにしてできました。でも二回目以降は継ぎ足した野菜やお肉に火を入れるためにどうしてもふつふつと煮るので豆乳がもろもろっと固まってもきましたが、それはそれで美味しい。この日の自己紹介テーマは「思い出の味」。実は豆乳鍋と言い出したのは私なのですが、私にとっては友人とお泊りする時にお金を出し合って材料を買って自分たちで簡単にできて嬉しかった味でした。意外と悲しいことに思い出の味というのは親が毎日用意してくれてたご飯というよりは、自分の力で作ったり食べに行ったりした物の方が強く覚えている気がします。自分で得ようとして得たものと、座ってたら勝手に前に出てきたものを食べることの違いなのかな。みんなの話では、部活終わりに先輩からもらって食べたおにぎりの味や、ハンバーガーが65円で買えたあの時代に4個も5個も買ってお腹いっぱいにしたことや、学生の時に寮生活だったときのご飯に髪の毛が入っていたことなど、おいしいだけではない思い出が聞けておもしろかったです。鍋の会の鍋はたくさん食べすぎてどれか一つと言われてもあげれませんが、400回記念でオールナイト鍋の会(夕食、朝食、昼食と鍋でした)をした時の最後の方のつぎたしてこってこてした豚キムチの味が印象的です。そろそろパン食べたいなと思いましたね。それではまた来月も暑くても鍋の会やります。ぜひご参加ください。(くみこ)