NPO法人 ニュースタート事務局関西

12月例会報告

By , 2024年12月27日 9:07 AM

12月21日(土)10名参加(内家族の方は4名)でした。30年前に引きこもりという問題が表面化し始める。今80代くらいの当時の代表からみると大学は勉強してるなら行かなくても(通わなくても)いいような場だった。なのに大学生の子どもが大学に行かずに家にこもっている、どうしたらいいのかと困る親たちがいた。「大学生の不登校」はここから社会問題となった。引きこもりは今でも主に個人の問題とされている。原因としては病気、障害、怠け、無気力、ゲーム依存、昼夜逆転などがあげられる。昔から、その人個人をどうにか変えて社会に戻すという支援のための政策はあった。福祉の観点からみると、あなたは支援する側です。される側です。と分けることをする。
 この30年間問題は解決していない。やはりこれは社会の側の問題なのだととらえ直す。とはいえ今日明日すぐに社会が変わるわけではない。社会が変わってから出るのではなくて、引きこもっている人が社会の引きこもり問題を解決するために一歩出る。この問題は自分だけではどうしようもないと気づき外に出て行くことでしか社会も動いていかないのかもしれない。引きこもっている本人は自分だけではどうにもできない。だからだれかと関わる中で考えていかなければならない。
 みなさんの話では。親が引きこもっている本人と話をしたいができない。これからのことは考えたくないという。そう言われたら考えられるようになるまで待つべきか。何もないところでは考えがないのは当たり前だろう。例えば行けなくなった学校について親が「やめなさい」という。親が自分の意見を言えばそれに対して本人は考える。何でもいいからあなたがやりたいことをやればいいと言っても何を考えているのかわからない。そうなると考えるとっかかりがない。この時親として難しいのは、本人の考え、欲望は強制してはいけないこと。親が意見を言う時は「私はこう思う」と私は、私が、という主語を忘れずに考えた方がいいだろう。「あなたがこれを選びたいって思うだろうからこうしたら?」というのは相手を尊重していそうで、相手の欲望を操作しかねない。特に親と子の関係においては。そして例えば学校をやめてどうしていくかというのは、正直親もわからないし不安でもある。(例えば高校→大学→就職というレールに乗るなら親も本人もある程度想像はつくしわかりやすいが)だから他人と関わったり仲間が必要だと子どもに本気で伝えられる。自分たちだけでは力不足だと認めて。そしてすぐに答えが出るわけでもなければ何が正解かもわからない。だから一日一日生きていきながらそれを考えていくしかない。そのためには道中たまには横にいて話ができる仲間が必要だ。
 引きこもっていて自分で決めて出て行くことは難しい。自分で決めて出て、もし失敗したら自分で責任を取らなくてはいけないと思ってしまうから。失敗してもやり直せる社会ならいいが、自己責任と言われるような今の社会では出て行けない。失敗してもまた考えてやり直す。これこそが生きる楽しさでもあるだろう。(くみこ)

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