9月例会報告
9月21日(土)11名参加(内家族の方は6名)でした。5月に能登に行った時に骨折してその後3,4カ月ぶりに先週能登に行っていた。外から入っていくと3,4カ月前の状況とあまり変わらない景色に気持ちは落ち込んでしまうが、中で暮らしている人たちはそうではなかった。子育て世代のある母親に話を聞く機会があった。昨日までできなかったことができるようになったり、昨日まであった瓦礫が無くなっていたり、そこで暮らしていると少しずつの変化を感じることができて希望を感じている。自分たちのような子育て世代は半分くらいが金沢に避難して暮らしているが、そういう人たちの方がつらそう。全然変わらない状況にいつ戻れるかもわからない中で希望を感じられずこれからどうしていけばよいか思い悩んでいるようだと。
引きこもりの状態は外から見たらいつまでも変化のない動かない状態。その渦中にいる本人は日々色んなことを考え変化はしている。それは明るく元気なわけではないだろうが、家を開いて家族が変わっていけるなら少しずつ変わっていく。日常の変化も大事だろう。
皆様の話からは、大学生の不登校について。望んでた学校に入れなかった。大学生活に馴染めなかった。大学に気持ちが向かず行けなくなる。留年すると周りの人たちと学年が変わっていく。本人に行きたい気持ちがないのなら、せめて親や周りはやめたらと言う。そこから本人がどうするか考える。何の肩書もなくなるということは勇気がいることだけど、そこからしか「何をして生きていこう」という問題に向き合えない。
学校や仕事に行けなくなって動けなくなってしまう人というのは正直で嘘をつけない人が多い。なので親や本人はコミュニケーション能力がないと思っているかもしれないが実際はとても分かりやすく会話がしやすいと感じる。でも建前ばかり気にするような、本音は言わないような今の社会では生きにくいだろう。
親と一緒に暮らしている中で自分のことを自分でするというのは難しい。親が子どものことを絶対にできないという状況になかなかならないから。親が「私が」やりたいこと(どうしても子どものためにと考えてしまい純粋に自分が何がしたいかなんてわかりにくい)をやろうとしたときに家のことでできなくなることがあるなら、そこで初めて家族で話し合いができるのかもしれない。(くみこ)