8月例会報告
8月17日(土)11名参加(内家族の方は2名)でした。フランスからアーティストの二人が参加していました。彼らとは5年くらい前からの関わりで、引きこもりの人と表現活動をすることで彼らが動き出せるのではないかと何度も日本に来てニュースタート関西の活動に参加し私たちと長い時間を一緒に過ごしました。その中でニュースタート関西の活動の映像と、そこで出会ってつながりができた3人との遠隔での出演による演劇をつくり、2年前くらいからフランスで公演を重ねています。「HIKU」というその演劇はフランスで1年間に25公演ほどあり、評判も良くこれからは他の国や来年の春には東京での公演も予定されているそう。日本において「引きこもり」とは個人の問題であり深刻で、外に向けて表現することはほぼないが、彼らはそれを社会問題として表現活動をするところが面白いし学ぶところが多いです。
8月の中頃に千葉のニュースタートを訪問して、代表の二神さん、スタッフの方々とも話をしてきました。ニュースタートは「ニュースタートプロジェクト」から始まっている。引きこもりという言葉もまだなかった頃にそんな状態の若者10人ぐらいをイタリアの農家に連れて行き2,3か月過ごすというもので、そこでは地域の人たちが何の偏見もなく関わって彼らも役に立てたりしただろうことは想像できる。その間元気に過ごした彼らは日本に戻ってきてまた同じように引きこもってしまった。その時、出てこれないなら迎えに行こうと事務局のスタッフが訪問したところから訪問活動が始まり今のニュースタートの活動が始まった。この「迎えに行く」ということの重要さ。誰も迎えになんて行かない。医者も相談窓口も困っている人が来るのを待っている。迎えに行くということは、自分たちの側(社会の方)が変わっていきますと言っていることになる。「待っている」ということは、そっちが変わってから来いとうこと。力の強い方が待つことになるのなら、訪問活動というのは引きこもっている人のホームにアウェイの他人が入っていく。そのことに意味がある。
学校に行けなくなった人には学校に行こうより、行くな(個人が傷つけられるような差別されるような状況の場所なら行かない方が良いと親が本心で思えるなら)と言った方が本人はじゃあ自分はどうするかと考えなくてはならなくなる。自分で選ぶこと。本人に勇気もいるし、親もその子の選択を応援できるか試される。緊張のやりとりだ。
就職氷河期には社会から「いらん」と言われた多くの若者がいた。そのことから引きこもりになった人も多かっただろう。しかし今は逆に若者が少なく「必要だ」と言われているのに若者が拒否している。そのことで少しずつでも社会は変容してきてはいる。若い人に寄り添って会社の方が変わってきているところもある。それなのに働きたいと思えないのはなぜか。働くことのその先に幸せがあるのか見えづらい。昔は一生懸命働けば幸せになれる、というような社会全体からあふれる雰囲気があったのかもしれない。
親と一緒に暮らすことについて。親と子は違う人間で全く別の価値観をもつ。だからずっと一緒に居続けることは困難で、離れたいと思うことは自然。親は子にやりたいことを好きなようにやって欲しいと願うが、その子のやりたいことは親にとっては全く価値のないようなものに見えることもあるかもしれない。そうなると親の気持ちを考えるような優しい子であればあるほど、親が好まないことはわかるからやりたいことがあっても言えないし動けなくなる。子が家から出ていく一番大きな原動力は「家にいたくない」だろう。「家は居心地よいけれどやりたいことがあるか出よう」というのはよほど具体的にやりたいことがあり目指していることがなければ難しい。しかも引きこもっている状況では誰からも大人として扱われることはなく、家から出られる自信などできない。もし子が家を出る話をする時は、どうやって出てどう暮らしていくか話し合い背中を押せるかは、一人でも生きていけると信じていないとできない。子を信頼するということ。
他に話の中で、大変になっていくこれからの時代に「引きこもっている場合じゃない」という言葉がありました。社会の生きにくさに気づいた私たちこそ社会を変える力がある。1人でやるのではなくてみんなで話そう。考えて自分たちでやっていこう。(くみこ)