6月の例会報告
6月15日(土)9名(内家族の方が4名)の参加でした。冒頭こちらからは。能登へボランティアに行った時に足の指を骨折したこと。支援しに行ったのに逆に骨折した足を冷やしてくれたり助けてもらった。新しく能登に住みだした人たちのコミュニティーで、支援する側、される側を分けずに自分たちの力で何とかしようとしている人たちがいた。災害が起こった直後には災害ユートピアとも言われるような各自で助け合う場が生まれる。しかし能登では7割ほどの人が集団避難をしていて人がいない状況で相互扶助にならない。この地震によってよく聞くようになった「公費解体」という考え方があり壊れた建物に誰も手をつけられない。
従来の「支援」とは支援する側が上にいて、下にいるされる側を引き上げるという考え方。引きこもりに関してはそういう支援が必要なのか。誰かが支えてどうにかなることなのか。生きていくための能力も知識もある。生きる目的がわからないことが問題だとすれば、支えることは問題の解決にはならないだろう。「人間関係がうまくできない」という人は多いだろうが、うまくできていそうな人が誠実に人と付き合えているかと言えばそうでもない。引きこもっている人の方が真面目に考えている。能力のなさではなく、過剰に適応しようとするからしんどい。それを「うまくいかない」と感じるところが繊細で真面目なのだろう。そんな人たちを「支える」というよりは逆に「助けてもらう」ような関り。ボランティアに行って逆に助けてもらうように、一方的に支援するというよりはお互いにこれからどう生きていけばよいか話し合っていく。
皆さんの話からは。学校に行けなくなったり、就職できなかった時、親が行けと言っているわけではないが本人が学校に行きたい就職したいと言っているという話がよくありました。それは本人の想いではあるだろうけれど、その根本にあるのはそれしか生きる道がないと思っているからではないだろうか。学校に行く。就職する。以外の道、選択肢について学校ではもちろん教えてくれないし、親もわからないことが多い。そうではない生き方をしている大人を身近で見たり、話したりできる機会があれば、(あんな生き方もあるんだ)(あれでいいんだ・・・)と頭だけではなく、身体で感じられる。それからやっと自分はどうしたいか考えることができるのではないだろうか。(くみこ)