NPO法人 ニュースタート事務局関西

5月例会報告

By , 2024年5月24日 11:50 AM

 5月18日(土)9名(内家族の方が3名)の参加でした。今回は冒頭に、フランスで「引きこもり」について研究しているタンギさんにフランスの引きこもりについて話していただきました。3月頃から日本に来ていてニュースタートの例会や鍋の会などにも参加してくれています。フランスでも2011年頃から「引きこもり」という言葉が使われるようになったが、日本における引きこもりの定義とは異なり(引きこもりは病気ではない)、フランスでは主に「精神病」として扱われるので精神科医が診ることになります。しかし引きこもりが病院に行くということはフランスでも難しく、診察を受けに来てもらうためにも、タンギさんは精神科医と看護師とのチームで引きこもりの人がいる家に訪問して病院に来るように説得しに行ったそうです。何軒も訪問して精神科医が本人と話をしたり、看護師や他のメンバーが家族と話したりしたが、引きこもりが解決することは難しく、日本でのNPO法人による引きこもり支援活動に関心を持って今回NPO法人の活動を知りたいと研究しに来たということでした。病院に来ることができない引きこもりを医療で診るということは、一人一人に手間や時間がかかる。おそらく日本ではそんなコストのかかることはできないという考えもあってか、NPO法人などの民間の団体がどうにかしようと立ち上がって活動してきたのだろう。フランスでの関わり方は「医療モデル」になり、今日本で多いのが「福祉モデル」だろう。個人に何らかの障害(発達障害など)があるとして障害手帳を持つことで年金を受給したり就職の際に障害者枠を利用したりすることなど。利用できるものは利用したらいいとは思うが、引きこもりの問題をその人個人の能力の問題とみていくことに本当にそうなのかと疑問がある。引きこもり問題とは、その引きこもっている個人の問題ではなく社会の側の問題だという「社会モデル」という考え方。この例会に何年も参加されている親の方が、自身の子はもう引きこもっている状況ではないのになぜずっと参加しているかという話しをしてくれた。終わりはないという気持ち。生きにく想いを抱えた人は少なくならない。この社会の在り方に問題があるなら知り続けて考え続けて話し合っていくこと。それを聞いて自分ももちろん生きにくさを感じて苦しんだ方でもあるが、その社会を作っていく側の一人でもあることに改めて気づかされた。いつまでも他人事ではなく自分事なんだと。
 皆さんの話からは。本人は行けなくなった学校に「行きたい」と言っている時に周りはどう関わればよいのか。その「行きたい」の気持ちが社会に適応しなくてはならないという強迫観念から来ているのかどうかはお話を聞くだけではわかりにくい。
 「自分の責任にしている」というのはラクなんだという話がありました。「自分のせいで~」と責めるのは自分だけだから。でもそれでは解決しない。自分の外に責任を見出そうとすると向き合わなくてはならなくなり、人と関わって対話しなくてはならなくなる。自分だけを責めて悲しんでいた時とはまた違う辛さしんどさが出てくる。自分だけを責めて20年30年。時間をそのことに使うのはもうそんなに長くなくていい。外に向かっていくことに時間を使いたい。周りの家族も本人だけを見て心配するというより、本人と一緒に外に向かっていく。彼らの生きにくさを通して社会を見る。(くみこ)

コメントをどうぞ
(※個人情報はこちらに書き込まないで下さい。ご連絡が必要な場合は「お問い合わせ」ページをご覧下さい)

Panorama Theme by Themocracy | Login