NPO法人 ニュースタート事務局関西

10月例会報告

By , 2023年10月25日 9:32 AM

 10月21日(土)の定例会、参加は8名でした。(内3名の方がご家族)
 初めに25周年祭の報告をすこし。「めんどくさいことを手放さない暮らし」という映画を見たり、暮らしについて考えた。祭りと言えばハレになるが、今回は手間をかけてみんなで一泊二日をどうにか過ごすという、華やかなものではなく皆の身近にある暮らしでもあり、ハレとケが混在したような祭りだった。
 今回の文章にもある「責任」について。友人の話で、施設にいるときは何をしても施設の管理の責任になる。施設を出て一人暮らしを初めてすぐの時に車いすでこけて傷を作った時に、初めて自分の責任になったこと。引きこもっている状態も同じで、何かできなかったり失敗しても親の責任になる。学校生活でもそうで、校内でケガをしても、成績が上がらなくても、学校の管理や教え方の責任ともなり、管理の中では子は自分で責任を取れない。自分がやったことを自分で引き受けられるようになること。生きる上での責任を持つことが大事になるだろう。
 皆様の話からは。引きこもりの状態の子が家にいる。家のことは親が全てしてしまっている。「よくできた親をある日突然やめること」「親が変わること」は難しく、「子を外に出すこと」もできないなら、このままの状態が続く。それなら親が出るしかない。子と別々で暮らすことができるならそれもいいが、現実的にそれは難しいなら1週間でも親が家を空ける。子のために不便だけどどうにか家を出て行く、のではなく、親が自分自身のために、自分が行きたかった場所や会いたかった人に会いに行ったりするために時間もお金も使って家を空ける。それは「1週間私がいなくてもあなたは大丈夫。あなたはやろうと思えばなんだってできる力を持っている」というメッセージになる。逆に家のことを親がやってただ家にいる状況というのは「あなたは一人では何もできない」というメッセージを毎日送り続けてしまっていることになる。親が家のことをやらないようにするというのではなく、親が本気で自分の人生を生きようとしてみたらできなくなる家のことを子にも役割を持ってやってもらうということ。
 社会に適応できる=普通の人、適応できない=障害を持っている人その個人のせい、そうではなく、社会の側に障害がある。その社会に適応できず、生きにくさに気づき立ち止まった人たちこそがこれからの生き方を作っていけるはずだろう。難しいことをするのではなく、とりあえず集まって話しをしよう。(くみこ)

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