6月例会報告
6月17日(土)の定例会、参加は14名でした。(内7組の方がご家族)冒頭はこちらからお話しました。少子化対策と言うが、少子化は今に始まった訳ではなく、第二次ベビーブームといわれた時代にすでに始まっていたことではないか。核家族という形で都会に移り住み、地域や他の家族や親族たちに頼ることなく自分たちだけで子育てを始めた。子どもは一人か二人が多くなり、親だけでできるわけのない、するべきでもないだろう子育ては負担となり、外注せざるを得なくなった。離れて暮らす親たちの介護もまた同じように。そのことは子育てや介護を商品化、サービスとして考えることになり、どれだけコストがかかるかの心配になり、お荷物だと考えられてしまう。問題はそこから始まっているのではないか。
差別問題においてはされる側を理解して知ることが重要だとされるが、問題はする側にある。加害をしている自分たちのことをより知らなくてはならない。「引きこもり」と名指すことは差別であると考えるが、その時社会は引きこもる人が何ができないのか、なぜ引きこもったのかなど原因を探そうとするが、それでは良くならない。引きこもっていないとされる社会の側やシステムを理解しなくてはならない。1人の引きこもっていた人が学校に戻ったり、就職したとしても社会の側が変わらなければ何も解決していかない。
皆様の話から。元当事者の方が、親が生きるか死ぬかの本気でぶつかってきたこと、自分の代わりに家族を頼むと言われたことで背中を押され外に出ていろんな人に会うことを始めたと話してくれました。本気でぶつかるというのはその子を信じていないとできないことなので、「お前のことを信じている」なんて言葉はなくても、身体全体で親は自分にはできると信ていることを感じることができれば、子は動き出すことができるのだろう。子が家に引きこもっているともちろん心配だし外に出てもらいたいとは思うが、別にそのことで生きていけないわけではないし、本当の意味で困っているわけではない時、子に対してどうぶつかれるだろうか。自分がどう生きているか生きていくかに関わってくるだろうと感じました。(くみこ)