4月定例会報告
4月15日(土)の定例会、参加は10名でした。(内4組の方がご家族)冒頭はこちらから定例会を始めた頃の話から引きこもり問題について話しました。「大学生の不登校」という言葉が出てきたのは1990年後半。今では特に違和感のない言葉だが、当時はこの言葉自体がおかしかった。どういうことかと言うと、それより前には毎日大学に通っているかどうかを親や社会がそれほど注目していなかったということ。だからこの問題が出てきたときも、本人が困るというよりは親が困って問題となった。世間からは、本人が怠けているとか、気力がないとか病気なのかなど言われたが、そうではなく社会の側に問題があるのでは、という仮説を持ったところからこの定例会が始まった。社会の側に問題があるというのは具体的には、競争社会やそれによる人間不信など。点数を上げるためだけに勉強することに問題はないのかと。そんな社会に参入しない彼らこそまともな感覚を持っているのではないか。例えば勉強がもっと身近で誰かと競うわけではなく、その勉強によって生きていく力を身につけていけるような学校であるなら。自分が社会に関わることでこの社会を変えていく主人公に(誰かがなるだろうではなく)自分がなれるんだと思えれば少し立ち止ったとしても動き出せるのではないか。
皆さんからは、引きこもりだしてから子どもとコミュニケーションが取れないというお話が多くありました。母親とは少しは話せているが父親とは一切話さないし顔も合わせない。他にも母親とも会わないように生活しているということもあります。親と子のコミュニケーションにおいて親は子を外の世界から守ろうとしている。例えば本人が嫌がるので親戚や知り合いの人を家の中にいれないようにしたり、必要なものは親が買ってきたり、本人がネットで買ったものを親が受け取るなど。こういう状態では、コミュニケーションにはならない。コミュニケーションを取りたいならその方法は1つだろう。自分の気持ちを正直に話すこと。良いようなこと正しいことを言うのではなく、自分が思っている本当の事を言わなくてはならない。知らないこと分からないことも正直に言うというのは親としては難しい。初めに子どもに対して、何を考えているのかこれからどうしたいのかを聞くのではなく、まず自分の考えていることや思っていることを話して聞いてもらう。たとえそれに返事がなくてもそこからコミュニケーションは生まれるだろう。当事者でもあって動きだせるようになってこの場に来てくれていた方が隣に座っている、子どもと同じ家の中にいるのに全く会えないというお母さんに一言、「顔を見たい」って正直に言っちゃあだめなんですか?と言ったのを聞いて、(あぁ本当だ。)と身体にすっとその言葉が入ってきました。子どもの顔を見たいし会いたいし話したい、そんな当たり前の気持ちさえ押し殺して、(きっと嫌がるだろうから)とか(いつもいない時間に自分がいたら怒るのではないか)など本人に聞く前にそういう風に考えてしまっている親御さんたちが多いのではないかと思いました。正直に自分の気持ちを伝えるというのは、そういうことなんだと改めて感じました。(くみこ)