「マドリードの心理学廃絶集会ルポ」髙橋淳敏
マドリードの心理学廃絶集会ルポ
ヨーロッパ文明の根っこには、植民地主義がある。そして、近代化や戦争も植民地主義と共にある。ポストコロニアリズムと言ったが、「先進国」のやっていることは変わらなかった。今回、ヨーロッパへ行って出会った人たちは、自らをも蝕ばんでいる植民地主義に抗っていた。移民や病者、犯罪者とされた人の受け入れについて話し合い、暮らしの中で実践をしていた。ヨーロッパでは、アフリカや中東、中南米、東南アジアなど植民地化した国々からの移民が5割を超える都市もある中、今も戦争に加担し続けるEUの国々は内部崩壊をしていた。そして、宗主国の因果といえるこの国家の崩壊が、いわば希望であった。
深夜にフランスのトゥールーズを高速バスで出て、ピレネー山脈とサラゴサを越えた5月9日朝、友人と合流しスペインのマドリードの中心部にいた。「CSO La Rosa」というスクウォット1された社会センターで開催される「心理学の廃絶」の集会に参加するためだった。コンクリートむき出しの4,5階建ての小さなビルに、元精神科医や元セラピストをはじめ、刑務所に捕らえられている人を救援する活動家や学生など、幅広い年齢層の様々な人たちが、延べ100人以上出入りしていた。昼ごろから「心理学の廃絶の理由は…」と題され、そこでは約50名が車座になり、立って参加する人もある中、会は進行した。小声での日本語通訳が邪魔になるくらい、次々と変わる話者に集中して静かで、それでいて話しの熱気が伝わっていく興奮があった。この日を、待ち望んでいた人たちが各地から集まってきたのだ。心理学や精神科医療の具体的な害悪について、なぜ廃絶しなくてはいけないのか、どのようにして廃止すべきかなど。改善策や苦情を話す人はいなかった。精神科医療や心理学が病院や社会全般、コミュニティーや運動の中に蔓延している条件を、一つまた一つとつぶす意見交換がされていた。背景には、管理や監視、薬物による精神医療の被害はもとより、あらゆる運動コミュニティーの中に蔓延るセラピストや心理学が、関係性や自治を阻害してきた各運動内の問題が存在した。
医師や専門家の介入、警察や国家の刑罰制度や行政機関を使わず、コミュニティの力で「病者や被害者へのケア」と「病者や加害者への寄り添いと起こったことの責任」や「問題の構造的解決」を同時にめざす草の根の実践があった。正しさの変革というのか、トランスフォーマティブ・ジャスティス(変革的司法)という概念がしばしば登場した。奴隷制を例に挙げると分かりやすいが、悪いのは制度であり、目的は制度の改善にはない。現代の奴隷制である移民に対する取り締まりや、精神医療の制度を廃止する。重要なのは、精神的に病んだり事件が起きた原因を、個人に帰するのではなく社会やコミュニティ全体の責任として考えることにある。孤立や貧困に貶められている「移民」が、違法薬物を使用した場合、個人を責めても意味がない。罪を犯したものを罰することは問題を隠ぺいすることである。精神科の薬を投与したところで、その人の病が治るわけではない。だが現状は、専門家の介入や制度が強化され、関係が分断されている。そこで制度を直接的に廃止し、一方で受け皿となるコミュニティーを作る。あるいはできたコミュニティーが、制度を廃絶する足掛かりとなる。
この集会に賛同する気持ちを伝えたいために、旅の途中で私が書いたマニュフェストがあって、それをスペイン語に訳してもらった文章を、昼の集まりの最後に読んでもらった。社会問題であった引きこもり問題が、病気や障害・無気力を所有する「ひきこもり」個人の問題に帰された日本社会の状況を説明した。医療や福祉制度による専門家や支援者が便乗し、「ひきこもり」として個の問題へと無力化され、「ひきこもり」を生みだした社会は強化された。「ひきこもり」は差別的に再生産され、あってしかるべき私たちの関係は失われた。かつては山の上の病院で看守役をしていた精神科医は、彼らが作った病者を山に軟禁したままに、自らは駅前のクリニックを開業して、「ひきこもり」などを捕捉するエージェントとして町へ降りてきた。私が普段どこにも告白できなかった日本の心理士や福祉業界を訴える内容を、他の参加者と同じように受け入れてもらえたのがうれしかった。
1不法占拠、「住む」ことは大事なレジスタンスである。
2026年6月25日 髙橋淳敏
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