「歩みをすすめる」髙橋淳敏
歩みをすすめる
まっすぐ前を向いて歩くとき、後ろ髪をひかれるような、何かを置き去りにしていったのではないか、そんな感覚にとらわれることがある。進んでいく先が正しい未来なのか、幸せになるのかも分からない。岐路はあったが、踵を返して戻ることもできず、今立っている道が唯一、立ち止まることはできるが、歩みを進めるしかない。今の私の心境ではないが、日本はこの150年ぐらいそういった歩みを進めてきたのではなかったか。たまに立ち止まったりもしただろうが、何のことを話しているか。明治期になってからの近代化と、その延長にある戦後の新自由主義に至る資本主義国家、常に歪で成し遂げられることのない民主化、その三身が一体となった一本道のことである。日本地区は、ヨーロッパ諸国が、世界の植民地支配を続けていく中で、今の国家の枠組みを迫られた。他の多くの国家も似たような生い立ちだが、日本も例外なく外から要請されることによって、国は形づくられた。今ある国家としての道は、外圧による要求が始まりであった。もちろん戦争など岐路はあったが、他に進めたかもしれない道は、今となってはただの可能性であって、振り返ってみるほどにこの道は、建国から一本として必然であった。アメリカに負け占領されたことさえも、結局はその先に続く道が歩きやすく補装されたのであった。
自らの体感から言うと最後に立ち止まったのは1990年前後であったと考える。欧米が推し進めてきたのとは違う道を歩もうとしていたソ連が崩壊した。直後、すでに日本は良くもいや悪くも、この道でJapan as nunber oneと、外から囃し立てられていたが、高度経済成長はバブルとなって崩壊した。この時の日本は、岐路どころか立っている所には、歩ける道がないところまで来ていた。登ってきたその道の反対側に何かがあると信じて転げ落ちるしかなかった。私たち、引きこもり第一世代、人口の分厚い団塊ジュニアがこれから成人していく時代、企業は労働者を雇うことができなくなっていた。売り手から買い手などと言われ、180度転換した労働はマーケット化し、就職氷河期と言われる時代の到来。核家族化により推し進められてきた新自由主義経済で、若者は仲良く共業することなく、消費者として競争させられ孤立した。それらが要因で、いじめや不登校や引きこもりなどが社会問題となる。私たちは下り坂になった道を転げ落ちるようにして、それぞれ進んでいくしかなかった。立ち止まることさえできなかった。引きこもる行為は抵抗にもならなかった。今まで歩いてきたのだから、この先も続いているはずだと、道なき道をこの30年は転げながら歩いた。A rolling stone gathers no moss.そのように言うと格好は良いが、気がついて振り返ってみれば誰もいないし、道にもなっていない。みなバラバラに分断されていた。この先はあっても崖というのが「失われた30年」と言われている状況だと考える。
日本は国家としての道を失った。個人的な感想でしかないが、たぶんそれは多くの人が感じている。そして、このこと明示しておくのは引きこもり問題においても重要なことと考えてきた。それは例えば、「ひきこもり支援」を医療的、福祉的、教育的に国が、地方自治体やNPOや企業にまで金で委託する様々な形で、この30年やってきたが、引きこもり問題は全くといってどうにもなっていない。中途半端だからではない。国の政治が変わればいい話でもない。引きこもり問題だけの話ではない。今でも「ひきこもり」が個別の問題であるという見方を国は変えていない。道は変えられないのだ。個別を問題とするので、支援する側と支援される側に分けることを事業とする。それが引きこもり問題においては最大の悪事である。「ひきこもり」を対象として、当然だが定義すらもままならなければ被支援者は特定することすらできず、支援は支援者に対するモノでしかない。それもこれも、ここまで歩んできた道の責任を取る主体がないことに尽きる。私は裸の王様が裸じゃないかと、取り返しがつかなくなった後になって、あの頃叫んでいたと主張するためにこれを書いているのではない。今の私たちが引きこもり問題を通じて、どのようなことをしていく必要があるのかを一緒に考えたい。この道中でバラバラにされてしまった私たちが、転がり続けるだけではない歩みが、どのようにて可能なのかを、少し踏ん張って立ち止まって共に考えるしかない。踵を返すこともできない、もう取り返しのつかないところまできていて、しかも私たちは孤立している。
前にも書いたが国にとっては「失われた30年」であっても、私たちNPOの活動にとっては、この30年こそが歩みであった。全てのNPO法人が国政の下請け事業をやって、支援者と被支援者を仕分けするような事業をやっているわけではない。ロストジェネレーションなどとも言われてきたが、私たちの活動は確かに下山の道中にあった。ここは下り坂の一番底なのか、ずいぶんと長い間、待っているようにも思うが、また少しずつは歩んでいる。冒頭にも書いたが、今の私たちには後ろ髪をひかれる、何かを置き去りにしていくような感覚がある。ただ、私がニュースタート事務局関西の活動に初めて関わった時に、直面したことと今の課題は変わらない。人はなぜ人と関わろうとするのか。関わる必要からという外的な圧力からだけではなく、内的に人と関わろうとする、あるいは拒否する能動的な行為や感情がある。自分のそれを信じたいし、人のそれと出会いたい。全く能動性がなかったわけではないだろうが、外圧から始まって、少なくともこの30年で形骸化した国家は、私はもう十分に付き合ったし、いわばもうオワコンである。亡霊のようだが存在している限りは、色んな反動もあるが、そんなことを気にしている時間はないのかもしれない。今度こそは一緒に歩き出そう。
2024年12月21日 髙橋淳敏