NPO法人 ニュースタート事務局関西

「集団的トラウマ」髙橋淳敏

By , 2024年10月19日 5:00 PM

集団的トラウマ
 以前ここにも報告したが、今年の正月に地震で被災した能登地域に、最近何度か行っている。寝泊りする場所も毎回同じ公民館で、前回で4度になるので、通っている感じがある。去年一緒に周年祭イベントをした、子どもの貧困問題などに取り組んでいるCPAOが、3月から2週に一度という頻度で能登へ通い詰めていて、その炊き出しや子ども支援に便乗しているので、珠洲市には顔見知りが増え、行けば会える人たちが何人もいる。その人たちに会いに行くのもある。9月には豪雨による被害が重なって、能登にとっては踏んだり蹴ったりの状況になった。あまり報道もされないが、外浦と言われる輪島市と珠洲市を結ぶ道路は、地震後もまだ開通の目途もたっていない。その奥にあるいくつかの塩田は、困難な中で再開し始めた時に、今回また豪雨によって土砂が流れてくる被害を受けた。外浦は、地震で地表が隆起した箇所が多くみられ、前までは海面下に隠れていたごつごつとした岩が、広く無数に表れていた。そこへ、豪雨による土砂が覆いかぶさり、新たな海岸が生まれ、海岸線が後退する。元がどんなところかも分からない、地球規模の変動である。私は30年前に阪神淡路大震災を経験したが、その時は自然に対した人工物や文明の脆弱さを思い知ることが多かった。二階建ての家の一階部分がつぶれたり、高速道路とかビルなどの巨大な人工物が目の前で倒れているとか、木造家屋が密集した場所で火災が起こって焼け野原になり、人工島や埋め立てた海岸が液状化するなど。今回の能登大地震は、海岸線の自然後退もさることながら、山が大きく削れている箇所が多く見られたり、一見普通に立っている家も地面がいたるところで隆起して傾いていたりと、地殻の変化や自然の脅威を直接見ることが多かった。なんの映像であったか忘れたが、豪雨で家に入ってきた泥をくみ上げる人が、マイクを向けられて「自然には適わない」と二度の被災後につぶやいた一言が、全てを物語っているのかもしれない。
 阪神淡路大震災は、ボランティア元年といわれたが、そこでまた言われたのがPTSDで、「心のケア」などの言葉が流行した。PTSDは、元々はベトナム戦争のアメリカの帰還兵の半数くらいが患ったという心的外傷後ストレス、個人の精神障害として定義されたトラウマ概念である。日本では阪神淡路大震災後に、多くの人に知られることになる。例えば、地震で被災した子どもの描く絵が暗かったり、おどろおどろしかったりと、その前後では表現が大きく違うことがあって、普段は抑圧されて見えなくても、被災した出来事で内面は深く傷ついた。それによる身体症状や心身症なども現れた。それで、避難所にカウンセラーなどが派遣されたりもしたのだった。能登では、地震から4カ月ほど経った避難所で、私は子どもたちが避難ごっこをしているのを実際に見た。子どもが親を演じ、ぬいぐるみを子どもに見立て、家の中で避難する場面や役所に手続きに行く場面などが演じられていた。それを見て、なるほどそういうことがあったのかと勉強になったが、それもトラウマによるものなのかもしれないし、治癒のための必要な遊びなのかもしれないとも思った。だが一方で、この経験が個人化され、個人が治癒して元の社会に戻っていくというのは、変な話しだと考えていた。能登ではカウンセラーが派遣されているような話は聞かない。復旧もままならず、そんな余裕もないのが本音だろうが、このトラウマは個別の経験ではなく集団で経験された出来事によるものである。なので、個人がそれぞれに元の社会に適応するために治癒されるのではなく、この出来事を経験した人たちが、それを乗り越える必要がある。そして、被災した経験を集団で乗り越えられた社会というのは、元あった社会とは違っているはずである。それが例えば「復旧」ではなく、「復興」と言う言葉になっていた。元通りではなく、この出来事を乗り越えた社会を創造することが課題になる。30年前の社会は今よりも強固なものだったので、乗り越えたというよりも元あった社会に吸収されるようにして、更地化した神戸は開発された。でも能登はそうはいかない、人口が指数関数的に減衰した社会は、能登を抱えることができない。逆説的に、弱体化した社会を乗り越えるヒントは、震災後の能登にある。
 引きこもるという行為も、集団的トラウマによるものではないかと私は考えている。例えば、「ひきこもり」や「不登校」という言葉が流行る直前は、不良や非行や校内暴力などが主なる社会問題であった。外の社会や大人や学校や先生など権力に向けられていた暴力が、学校内や小さなコミュニティー内の横の関係に発生するようになり、弱い者同士がたたき合う「いじめ」などが社会問題化する。子どもたちは、その時代における社会から受けるストレスを集団的に持っている。それが外に発散されず、より内に鬱屈し始めたのが、この時代である。登校拒否が不登校と言い改められたり、自殺や自傷行為、引きこもりなどが問題行動だとして表出することになる。30年も前のことになるが、一体この変化がなんであったのかが、個別ではない引きこもり問題を考えるヒントになる。暴力は上から下にか、あるいは下から上にあり、多くの人が目撃する中で行われた分かりやすいものが、友達同士の横のラフな関係で起き、クラスなど小さなコミュニティ内や密室など、陰湿で分かりにくいものになっていく。その要因として考えられるのが、生徒同士が結託したり協力するのではなく、競争や個別に分断をさせるような受験教育システムがあげられる。この時期、「受験戦争」という言葉が流行し、のちに受験勉強は、現在まで先鋭化され、定着することになる。ひきこもる大きな要因の一つは、この学校の受験勉強教育システムの不信によって、学校内で「いじめ」など加害被害傍観する集団的な経験が、多くの子どもの心的外傷になっているのではないかと考える。そのストレスを、良い成績を取るなどで発散し克服した気にはなっても、結局は外傷としては治癒しておらず、引きこもるなどの行為として後にも表れるのではないだろうか。あくまでも仮説のような話しではあるが、受験勉強やいじめなどがパッケージ化された学校社会は、例え傍観者的であったとしても、そこに所属していることによる心的外傷と、のちに現れるストレスも相当であると考える。そして、この集団的に経験された心的外傷が治癒されるのは、個人が社会に適応されることによるのではない。心的外傷によるストレスをできるだけ多くの人が分かち合い、それを集団で乗り越えることで、今までとは違うあらたな社会になっていくことでしか、PTSDが克服されることはない。この集団的トラウマをない物として社会に出た人は、今の社会を変える力はないが、自分だけではなく世代的に乗り越えようと思えるのなら、社会を変える力を持っていると、30年もの幅があり200万人とも言われている「ひきこもり」に期待している。

2024年10月19日 髙橋淳敏

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