NPO法人 ニュースタート事務局関西

「傷の中に入っていく」髙橋淳敏

By , 2024年9月21日 5:00 PM

傷の中に入っていく

 もう9月も終わりに近づいているが、大阪は連日35度を超えている。夜も暑い。異常気象と言われるのは、日本だけでもないらしい。東欧や東アジアの水害も報道されていた。毎年のように異常気象なのだから、何が正常なのかもわからないが、地球全体が異常な状態なのだろう。私たち人間が気候の変化に神経質になっているのかもしれないが、神経質にさせられるほどには、この変化に警戒すべき根拠はあるようだ。気候は毎年のように少しずつ変わってきている。ここ50年100年のスパンで地球上を見ると、昔と同じ場所を探すことの方が困難であろう。でもまあ地球規模では何億年かければ変化はするものだ。ただ、どうも人間が住み始めてから、特に近代と呼ばれるようになってからの100年200年ほどの変化の加速度的なものは、異常と考えるのが良さそうだ。私たちが毎年のように異常だと感じているのは、去年からの変化の加減(+-)を言っているのではなく、ここ最近の変化の加速(×÷)について感じているのだろう。もしかしたら温暖化などの変化は、長いスパンで地球からすれば正常なのかもしれない。何億年単位で見ると人類はいずれ滅亡する運命にあるのかもしれない。だが、今の気候の変化の加速度的な具合は、人間にとっても地球にとっても異常なのだと思う。近代になって人類は地球の癌のようになったのかもしれない。まだ世界の人口は増えてはいるようだが、地球は年々人類が住みにくい方向へと変化しているみたいだ。そして、住みにくくなる変化へと加速させているのは、皮肉にも近代的な人間の暮らしや経済といっていいだろう。自らで自らの首を絞めている。とはいえ、人間が地球を滅ぼすことはないだろ。未だ地球にとって人類は微々たる存在である。地球が人間にとって住めない場所になっていくことで、ノアの箱舟を作ろうとしたり、火星に脱出するなど考えている輩もいるが、果たしてそんなことでいいのだろうか?
 今年に入って、珠洲市などの奥能登に何度か行く機会があった。元旦の能登半島地震がきっかけだ。外浦を見ると分かりやすいが、地表が全体的に隆起し、いたるところで海岸線が大きく後退している。大部分の海底がせりあがって陸というか岩場になっている。地球から見れば大したことではないが、人間にとっては住めなくなるほどの大きな変化である。金沢から車で三時間ほどかかる奥能登は、昔から北前船などの海路で発展した経緯がある。半島とはよく言ったもので、半分は島みたいなものだ。船や漁港が使えなくなるだけでなく、漁場が変わり、能登の生業の一つの漁業にも大きな打撃を与えた。そんな場所にピンポイントで原発を建てる計画があったのだから、改めて国家政府の政策の浅はかさに呆れるしかない。大きく黒い能登瓦でつぶされている家が、車道沿いに延々と続く、輪島の朝市周辺は焼け野原になっている。隆起した地表や津波や家の倒壊は、今回の能登の地震の被害の中でも深刻なものだが、もっと深刻なのは人災ともいえる被害だ。様子が違うのは被害の風景に時間の感覚が紛れ込んでいることだ。つぶれた家は時間をかけて朽ちていて、何度もひっくり返された家は跡形もなく、無残な瓦礫は行き場を失い、そこかしこに山積みになっている。焼け跡からは草が生え、露わになった鉄筋は錆びて赤くなり、炭は色を失っていた。復旧や復興にあるはずの音がなく、とてもしずかで見ている景色とのコントラストが異様だった。この被災地はすでに半年以上が経過し、被害は人の手が入らないことによって風化している。

 珠洲市の仮設住宅に住み、私たちがボランティアの拠点にしている公民館に来てくれた子育てをしているお母さんたちに興味深い話しを聞いた。「知人や親戚には金沢などに避難している人が多くいるが、彼らは変化のない状況に絶望しているしとても疲れていて暗いと、能登に残った私たちの方が日々のちょっとした変化を見れるので元気そうだ」と。私も外から来ているので、何度来ても変わらない町の光景に暗い気分になっていたが、その話を聞いて少し安心した。それ以上に、避難に留まることの意義を教えてもらった気がする。もちろん、外部の人間が、中の人に避難に留まれと言うのは暴力にも近いことなのだが、避難に留まることによって、日々の変化や関係作りに向き合い、外から見られるような復興や復旧ではなく、新たな生活や身体が回復していくことはあると思う。必ずしも悪いとは言えないが、金沢で新しい生活を始めたことによって、今回の地震で向き合わざるを得ないことを後回しにしてしまうことは仕方がないが、その生活にはあまり希望がないのかもしれない。新天地で生きがいのようなものが見つかればいいが、ただ遠くの故郷を心配し、とってつけたような新しい生活をしなければならないのであったら、回復とは程遠いことなのかもしれない。
 神経症と言われたり、神経質な気質が日常生活の障害になっていて、それを克服するやり方として、薬などでこだわりを解くのは一般的な治療法ではあるようだが、神経症の中に入っていく方法もあるらしい。地震などの被害でえた心的外傷を、遠く離れた地で癒すのではなく、新たな被害が及ばないくらいは避難はしても、被災した近くでこそ癒えていくことはある。私は常々、引きこもるという行為はそれに近いものであるように思っていた。学校や職場などで得た心的外傷(いじめなど直接的な被害だけに及ばない、傍観者であったという間接的被害加害にも及ぶ)を、その経験と共にあった家や部屋にとどまって癒そうとする。家族など周りの人は、家でなくてどこか遠くへ行った方が、その傷は癒えるのではないかと家から出ることを勧めるが、特に本人はそのような気にはなれない。被災したお母さん方が教えてくれたのは、その時に傷が癒えるのに大事なのは、日々同じ日が繰り返されるのではなく、外からは見えないくらいの日々の変化である。公費解体が5%から10%になったというのではなく、昨日あった瓦礫が少しなくなっているとか、昨日までは食べることができなかったものが食べれたとか、あるいは少し後退したとか。そういった小さな変化は、神経症の中に入ったり、避難生活の中に留まることでしか実感がしにくい。冒頭、私たち人間が気候の変化に神経質になりすぎているのかもしれないと言ったが、火星などに移住することを考えたり、ノアの箱舟で未来に何かを残そうと考えたりするのではなく、私たちはこの気候の変化の中にとどまることにこそ、希望を見ることができると考えている。引きこもる状況にあることは、そこに留まることではあるが、大事なのは小さくとも変わっている日々であって、その変化は自分の内側から起こせるものではなく、危機の時に外からもたらされることがきっかけになる。

2024年9月21日 髙橋淳敏

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