NPO法人 ニュースタート事務局関西

「ニュースタート事務局」の支援活動について2髙橋淳敏

By , 2024年8月17日 5:00 PM

「ニュースタート事務局」の支援活動について2
 この夏、ニュースタート事務局を訪問した。私たちニュースタート事務局関西とニュースタート事務局は、別法人である。最後に千葉県行徳にあるニュースタート事務局へ訪問したのは、直後に安全保障関連法案に反対する国会前を観に行ったので、9年前の2015年だったか、ニュースタート事務局20年の記念集会へ行ったのだと記憶している。そのニュースタート事務局は、来年の12月に活動を終了すると今春に宣言した。ニュースタート事務局は30年ほど前に行ったニュースタートプロジェクトが、今の活動の原点にある。当時は「ひきこもり」という言葉はなかったが、引きこもっている状態にあった10名くらいが、2,3ヶ月イタリアの農家に長期滞在しに行くプロジェクトだった。そこでは、皆が引きこもることはなく地域の人たちと交流したり、農業体験などして過ごしたというエピソードがある。そのプロジェクトの名前が、そのまま法人の名称になり、私たちがニュースタート事務局関西と名乗っているのも、それが由来になる。だが、このニュースタートプロジェクトには、もっと核心部分の続きがある。イタリアの農家では引きこもらずに活動できていたのに、日本へ帰ると、ほとんどの人がまた引きもる状態に戻ってしまう。なので正確には、ニュースタート事務局の活動は、日本に帰って若者が引きこもる状態に戻ったことから始まっている。ニュースタートプロジェクトではなく、日本社会で引きこもる状態にある若者と向き合うことから、この社会の引きこもり問題を解消していくことが、この法人の使命であった。そこで、プロジェクトの事務局員にあったスタッフが、事務局に来ないのなら家に迎えに行くと言って始まったのが「レンタルお姉さん」の名前で有名になった。レンタルとは、俗っぽく言われているが、ただ事務局から人を借り出すことで、そのネーミングがされたと聞いている。ニュースタート事務局の活動のほとんど重要なことは、このプロジェクト前後のエピソードの中にあると私は考えている。今回は、関西では「訪問活動」としている家へ迎えに行く活動、レンタルお姉さんのことではなく、イタリアでは引きこもらなくなった人が、日本でまた引きこもる状態になったことについて考える。
 当時は「ひきこもり」という言葉はなかったが、引きこもる状態にあった人たち、そういう人たちのことを私たちは想像することはできる。もちろん、人格も別々であるが、それはたぶん今とさほど変わらない。そういう状態にあった10人が、イタリアの農家に長期で滞在するのは、まず行く気になるかがなかなかに難しく、すべての人ができるわけではない。だが、今の状態で変わらないのなら、行ってみようという気持ちになる人のことは、分からなくはない。引きこもっていたからこそ行ってみる気になり、そういう人が10人いることは、不思議なことではない。行った先にもよるが、行った先の農家で農業体験などしながら、外で元気な姿をみせることも想像はできる。外で身体を動かすようになれば、慣れない言語の中でも、多少のコミュニケーションができることも分かる。あるいは、慣れない言語だからこそ、片言だったりボディーランゲージだったりで、日本語よりも多弁になることもあったかもしれない。そういった異国で、地域の人から声をかけてもらうことは怖いというより、楽しみになったかもしれない。そして、日本から一緒に行った人たち同士で、喧嘩もあったかもしれないが、少しは仲良くなっただろう。農家で、迎え入れてくれたホストがいた話しだったから、一方的な旅行なんかに比べると、少しは深い関係を築くことができたかもしれない。だが、そういう経験をした人たちが、日本へ戻ったら、また引きこもってしまった。このことが、一体何を意味するか。すばらしく単純明快で、とても重要なことである。
 要約すれば、「ひきこもり」とされている問題は、そういう状態にある個人に問題があるのではなく、日本社会:地域や家や学校や職場に問題があるということだ。同じ人が、イタリアの農家では引きこもることはなかったが、日本の社会ではイタリアでの経験の後でも、再び引きこもる状態に戻ってしまった。これは、個人の問題ではなく、社会の問題である。「ひきこもり」と個人を名付け、「支援」する活動のほとんどすべては、このエピソードと180度逆のことをしてしまっている。「ひきこもり」とし、個人を「支援」し、個人を変えて、社会に「適応」させ、「自立」をさせようとしている。このエピソードが示唆しているのは、「ひきこもり」とされる問題を解決するのは、個人ではなく社会の方を変容させることである。少なくともニュースタート事務局や私たちニュースタート事務局関西は、個人支援をしないとは言わないが、その前提として引きこもり問題によって変容する社会を考えている。それは、個人が親の敷いたレールに戻ることではなく、適応することではなく、既存の社会の中で自立を目指すものではない。個人を変容させ、社会に適応させれば、「ひきこもり」を生み出す社会は強固になっていくしかない。端的に「ひきこもり」を自立させることは、「ひきこもり」は増加させることに等しい。そして、これは支援が自立を促した現状と見合っている。30年経って、「ひきこもり」支援は増え、「ひきこもり」も増えた。この茶番に対抗できるエピソード、ニュースタートプロジェクト後の神話が、私たちの法人にある。ずっと最初からあった。
 さて、それでは日本の社会が、イタリアの農家のようになれば「ひきこもり」はなくなるのかと言えば、そういう問題ではない。引きこもっていた10人が、日本の農家に滞在したところで、そこでは引きこもらずにすむ人があったかもしれない。大事なのはいろんな経験をして戻った後、私たちの日常のことだ。問題は、今ある社会である。社会が変わっていく目指すべきゴールが最初からあるのではない。何度も言っているが、「ひきこもり」という問題を通して、社会の方が変容するのである。そういう人権意識を、社会に問うていかななくてはならない。一人の人の生や人権を通して、社会が変わっていく。学校に行かない生徒を変えるのではなく、学校に行かない生徒によって学校という場が変わっていく。それができて引きこもり問題は、ようやく解消する方向へいく。多くの「ひきこもり」が個人支援によって、今の社会に「適応」し「自立」していくことは不可能なのだ。この30年の引きこもり問題の歴史がそれを証明しているし、むしろ問題はより深刻になっている。「自立」とか「支援」とか「適応」などの言葉を、根本から問い直し、その概念をこそ治療していかなくてはならない。「ひきこもり」を問題にしたのは、日本社会であって、そこに何もなかったと逃れることは出来ない。端的に「ひきこもり」は差別用語である。それを日本社会のほとんどすべての人が差別意識を持ち、そのことを黙認してきた。社会の問題を、個人に押しつけ、差別者でありつづけた。そして、「ひきこもり」と差別された被差別者は、引きこもる自らを否定し、自らが差別者となることで、自立する道を選ぶものもあった。引きこもりを生み出す差別社会は問題とされず省みられることもなく、「ひきこもり」は増え続けた。そのような悲劇は、断ち切らなくてはならない。このような立場から私は、現在検討されている「ひきこもり支援法(仮)」成立に断固反対する。
2024年8月17日 髙橋淳敏

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