「引きこもり「支援」活動について」髙橋淳敏
引きこもり「支援」活動について(23年度報告と24年度計画に代えて)
昨年23年度の総会では、「今後の引きこもり支援について」というタイトルで、個別の引きこもり支援を経ても、拡大し続ける「ひきこもり」について、従来の支援が新たな局面にきていることを考えた。そこで、「ひきこもり」を社会に自立や適応させるなどして、個人にその問題の責任を押しつけ、人を変えていこうとする支援は、逆に今の「ひきこもり」を生み出す社会を再生産し、強化しているだけではないかと指摘した。引きこもり問題は突如として「ひきこもり」と呼ばれる個人が現れたのではなく、30年前に社会問題として始まっている。鍋の会や、訪問活動を通して、個人が社会に自立、適応していくのではない。そこでの関わりが、今までの関係や地域生活、ひいては社会を変えていく。そのためには「ひきこもり」と名指された個人が、むしろ変わらないことの方が大事なことだったのかもしれない。そこで、独りでいるのではなく、人々の関わり、デモなどの主張や表現活動、自分たちの暮らしを自らで作っていくことを私たちの活動としてきた。それが、地域拠点としての「ニュー自治」という考えに至った。昨年度最後に、引きこもり問題だけにとどまらず、たくさんの人の協力があって「へそでちゃ」と名付けた場を作ることができた。
昨年度は、Shonen社による「Hiku」のフランスでの上演が頻繁にあった。上演自体は私たちの活動ではないが、私たちの活動の一部が記録された映像が、今年度もフランスだけにとどまらず、他地域で観られることになる。その「Hiku」の上演の関連で、フランスからジャーナリストや研究者が訪れる機会があった。フランスでも「ひきこもり」は社会問題となっているが、端的にひきこもりは「病気」とされ、精神科医が治療行為をすることが、ほとんど主な支援になっているとの報告だった。そこで、私たちの活動や、日本のNPOなどの活動に彼らは注目している。フランスの精神科医グループが主にやってきて、行き詰っている「医療モデル」と、日本のNPOなどで現在は主流になっている「福祉(障害)モデル」と、私たちがやってきている「社会モデル」とに分けて、引きこもり支援や「支援」自体について議論する機会が多くあった。彼らにとっては、福祉モデルと社会モデルは分かりにくいようであったが、その西側諸国の「支援」や「福祉」という言葉の概念の不適切さが、そのまま日本の引きこもり「支援」の課題に繋がっていると考える。今年度も、フランスの精神科医訪問グループにいた若手研究者との「支援」について議論をしていく。夏は富田地域の2つの祭りに屋台を出し、9月に園部へ行って「めんどくさいことを手放さない暮らし」をテーマに、「CPAO」や「てれれ」と合同で周年祭キャンプを行った。
本年度初めには、千葉にある「ニュースタート事務局」が2025年12月にその支援活動の終了するとの宣言があった。すでに前から別法人ではあるが、私たちはここ「へそでちゃ」と名付けた場所をスタートし始めた矢先であったので、素直な驚きであった。代表の二神能基さんがその活動を辞める理由として「ニュースタート事務局で、たくさんの若者の自立(個別支援)をしてきたが、(中略)ひきこもりは増えた」という話しがあった。「ひきこもり」が増えた要因として、親子の会話を進めていく支援の拡大を挙げていたのは政策的な考えとして忌避する所だが、「支援」の在り方自体を問うている点では共感するところはあった。ただ、少なくとも去年からは説明しているように、私たちの支援活動は「ひきこもり」と言われる個人に押しつけてくる「自立」からは、逆の方向に舵を切っていたので、千葉の支援活動の終了が、私たちの「支援」に影響することはほとんどないと考えている。具体的に言えば、子どもを自立させたいと望む親の相談は減ると考えられるが、それは私たちの相談者への話しの聴き方や、「支援」の体勢には、ほとんど何も関係はしない。むしろ、名目上は多くの若者を「自立」させたニュースタート事務局の活動が終了してしまうことは、他の引きこもり支援活動においては、危機でもあり機会でもあり、転換点になると考えられる。先の議論にしても、今の日本のNPO法人など公民の引きこもり支援活動のほとんどは、福祉モデルとして「ひきこもり」を障害者などとして支援することが主流となっている。そもそも「ひきこもり」を障害者として支援することが可能なのか、そうして支援できたとして「ひきこもり」と名指した人たちが減っていくのか、福祉的支援の拡大が引きこもり問題の解消に向かうのか、そしてそれらがうまくいったとして、これから行政の福祉政策は、今よりももっと弱くなっていくことが予測される中で、今以上に必要となるだろう制度はどうするのか。次には、そういう問題がまた明らかになっている。一方で、私たちの社会モデルとしての支援活動は、「ひきこもり」や障害者と名指された個人の社会参加ではなく、引きこもり問題を通じた地域社会を新たに創造し、変えていくことを、その目的としている。
今年の初めに能登で大きな地震があり、今年度に入ってから被災した奥能登などに行ってきた。倒壊した家など、5カ月経ってもほとんど手付かずで、多くの人は遠くへ避難して、外から来るボランティアも少なく、そもそも人口も減少の一途だったところで、そこには他人事とは思えない衰退していった社会の未来が広がっていた。そこであった2つの出会いを紹介して、最後は計画らしきものについて述べて終わりにしたい。2つとも、被害の大きかった珠洲市でのことだった。一つは、比較的新しく珠洲市に移住した若い住人である。そこでは被災した危機を機会として、自分たちの暮らしを自分たちの手で再建しようと、自治をしている人たちと出会った。彼・彼女らの中には、ボランティアで他県から泊まり込で来ている人も多く、被災した住人も各地へ行って支援活動をしていた。そんな中で、被災者から「支援するとか支援されるとか(分けることが)めんどくさい」という発言を聞いて、私は今の引きこもり支援を思い出すことがあった。被災すれば、ただ助け合うと思っていたが、主に行政は支援する者と支援される者にすぐに分ける。そのことにより、支援されるのを待つことになり、それでお互いが助け合うことがままならなくなる悪循環が生まれる。被災地でもそうなのだから、私たちの日常は悪循環の仕組みの中で、相互の関係や、社会や経済を行き詰まらせている。本来は相互扶助が生まれるところを、金で社会的関係を断ち切って、経済を破滅の方へと逆流させている。もう一つの出会いは訪れた避難所で、最後に残った80代半ばになる女性だった。話しを聞けば50代の息子がいて、この母親と一緒に避難所へ来ることなく半壊となった家の一室で、孤立した生活をしているとのこと。息子はうつ病らしく、30年も閉じこもりがちな生活をしていた。その母親は自身も癌になり長い闘病生活があり、その前には40代の娘を癌で亡くしている。今回、地震に遭ったこともあってその女性の人生は波乱万丈だが、最後息子のことだけが気がかりで死にきれないような物言いであった。偶然、初めて話しが聞けた避難者が、8050問題と言われていることを抱えていたし、いつも身近でよく聞く引きこもり問題がそこにもあった。お米を茶碗によそって食べるのも正月以来とのことで、今度会った時は刺身を一緒に食べましょうと言って別れた。先の新しい移住者の人たちが、能登のキリコ祭りを今年9月にやろうとしていて、復旧復興が全く進んでないので、実現も一筋縄ではいかないが、その祭りがやれるなら大阪からもいろんな人たちと行って、参加したいと思っている。今年も、できれば去年もやった富田地域の2つの祭りに加わる予定である。「へそでちゃ」でも、すでに8月に祭りが予定されている。その他、新しい拠点としたここ「へそでちゃ」で、地域や様々な社会問題や海外の人たちと交流する中で、今年度はここの場を作っていく過程を、新しい事業としたい。そして、新たに「支援」を問い直し、「相互扶助」などについて考えていく集まりを、月一回ほど開催する予定である。
2024年6月15日 髙橋淳敏