NPO法人 ニュースタート事務局関西

「再びカレーレシピ」髙橋淳敏

By , 2023年7月15日 5:00 PM

再びカレーレシピ

 カレーが食べたいと思って、カレー屋さんへ行く。今夜何が食べたいかと聞かれて、カレーと答える。カレーを食べようと思って作る。スーパーへ行って、カレーに入れる食材を調達する。作り方を変えてみることもあれば、定番の具材や調味料を入れたり入れなかったり、いつしか食べたカレーなのか、まだ食べたことのない試作なのか。本屋に行けば山のように置かれてある料理本、ネットを検索すれば無尽蔵に出てくるレシピ。料理のほとんどは簡単に好きなメニューを好きな時に食べられるように書かれている。料理名と食欲は直結してある。最寄りのスーパーへ行って、陳列している野菜や肉や調味料を購入すれば、カレーでもなんでもできるように書かれている。だが、毎日毎食食べることや、毎度のようにして調理することは、このレシピと食欲のダイナミズムとずれている。痛みかけている食材をどうにかしてうまく食べるとか、畑で取れた食材をおいしく食べる方法は、鍋の中に何を投入すればカレーになるかなどの料理名ありきではなく、名もない料理であったりする。普段、食卓を彩っている料理は、そのような名もない料理がメインである。麺を美味しく食べようと揚げ焼きしていたら、それへ加える野菜の様子で、カレー味にしてみたり、ソースを加えたり、塩味だけにしてみたり、料理の楽しさもそこにある。既成のものを再現するだけではなく、その時にあるものを工夫して経験や知識を活かして調理する。目的はカレーと言う料理を作ることではなく、素材を生かすことにある。豊かさはそのようにしてある。
 ところが、スーパーに陳列された食材たちを見てみると、元気のようなものが感じられない。同じような形に育てられ、見栄えは良くても嘘っぽく、レシピ通りになるよう調味料に染まりやすい薄味の表情のない記号のような野菜たち、同じく薄味で原形が分からないように切られてある肉や魚にスポットライトが当てられている。まるで行きたくもないのに行かされている子どもたちばかりがいる塾の授業風景のようである。スーパーに並べられた野菜や肉や魚たちは、生かされるために並べられているのではなく、当然のように料理の中に殺されるためにそこに置かれてあるみたいだ。食うこともままならなかった戦後を過ぎてから、食うことには困らなくなった団塊あたりの世代からは、さらなる豊かさを求めて第一次産業を捨て都市へと流入し、総中流の核家族を形成し、食文化を大きく変える。西洋をはじめとする世界中の食材がこのスーパーに集まり、外食産業も隆盛した。好きな時に、好きなだけ、食べたい料理を食べる。それが、豊かさの代名詞のようになる。欲望はすぐに満たされる。暑くなって部屋に入るなり反射的にエアコンのスイッチを点ける。そういう豊かな生活を手に入れ、手に入れればすぐには手放せなくなる。手放すことを貧しいことであると錯覚してしまう。あなたの手元にある素材が味の薄い癖もないものなら多少は気の毒ではあるが、それでも調味料は少なめにして、その素材をどうすれば美味しく食べられるのか。今までの経験や知恵は無駄ではないので、工夫してみることからやり直せませんか?好きな時に好きなものを食べることはできないかもしれない。だけど、飢えるのでもないのなら、偶然手に入れた歪な野菜を工夫次第で美味しく食べることはできる。
 政治は多数決なのでいまだに物量の時代は続くが、経済における物量の時代はとうに過ぎたと考える。今も大量生産大量消費がないわけではないが、ピークは遠く昔の事だった。私たちはこの時代に、豊かさが何なのかをずっと間違えてきた。食えるようになって、さらなる物量の豊かさを追い求めた時に、しがらみと同時に自然の豊かさを断ち切ってしまった。野菜の味を多少損なっても、いつでも西洋カレーが食べられる生活の方が豊かだと思ってしまった。豊かさではない物へと向けられた切りがない欲望は、すぐに対人にも向けられ、欲しいときに欲しい友達を手に入れたり、子どもを思い通りに育てることが、豊かさであると間違えた。心とか人間関係の希薄さが問題になった時代は、物量の豊かさとその思い違いがピークにあった時だった。高度経済成長末期、物量が飽和するほどに豊かなのに、なぜ一人一人が満たされないのか。それはいまだに解決しない。
 さて、もう愚問のようになりそうだが、カレーレシピはいつになったら辿り着くのか。それはまず、カレーを作ろうと思っても、ひとまずはカレーを作ろうとしないことが大事なんじゃないだろうか。目の前にある食材、あるいは近くにスーパーしかないのなら、その中で活かせそうな個性的な食材を入手して、活かそうとする中で何度か失敗はしても経験と工夫を重ねていけば、いつかはカレーらしき料理ができるかもしれない。素材を信じて何度裏切られることがあっても、自分の料理の技量や運がないだけであると、常に素材のせいにしないことは重要だ。そして、できたところで美味しければいいのだが、当然それはカレーという料理なのかはわからない。カレーレシピは、カレーを食べたいという欲望を突き放したところに、いつか出来上がるカレーのようなものが都度更新されるところにある。逆に言えば、ジャガイモがないからカレーができないとか、そんなことは全く考える必要はない。そのようなカレーと言う既成概念が、私たちの食を貧しくしている元凶でもある。
2023年7月15日  髙橋淳敏

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