NPO法人 ニュースタート事務局関西

「Voice」高橋淳敏

By , 2021年3月22日 8:12 AM

仕事があっても無職

無職とは否定的には職がない状態や個人を指す言葉としてあるが、肯定的には職種がないことをよしとする言葉としてもある。私たちの生活は一見すると、車や電車による移動であったり物流であったり、食品や既製品である物や、それらを作ったりサービスする職種によって多くを支えられているかに見えるが、料理であったり掃除であったり修理であったり物を作ったり、専業主婦、子育て、自治会、ボランティア、運動や政治活動に至るまで、生活の多くやたくさんの働きを無職であることによっても支えられている。もともとは職種なんてものはなく、職種は私たちが無職であるところから形作られたのである。だが、なんらかの職種に従事しなければ金を稼ぐことができないので生活ができなくなるとは考えても、一般的には無職でもなければ生活ができなくなるとは考えない。一体これはどういうことなんだろうか。世界は反転してしまっているのか?視野狭窄?今でも見渡してみれば職種関係なく、懸命に生きている人がたくさんいる。別に無職に感謝しろと要求しているのではない。あなたにもほら無職の血が流れている。そこには職種の世界で失ってしまった知恵と技術がある。

 

隔離政策のはざまで

精神科病院や障害者施設は、歴史的に収容施設としての始まりをもっていて、いまだにその色合いを濃く残している。医師や看護師は監獄における看守のような役割を担っていて、犯罪者でなくとも自傷他害の恐れがある場合など医師が判断すれば、現在でも人を強制的に隔離、入院させることができる権限を国家から与えられている。昔に比べれば人権意識がその制度に反映されてきたかに見えるが、そもそも強制的な入院というのは本人が望んでいることではなく、家族や地域の治安保全(予防)と考えられるような目的があって、人を人とも思わない、直接的な差別行為は見えないだけで現在にも起こっている。そして、精神科医療では「社会的入院」という言葉がある。精神科での治療ではどうにもならない(むしろ逆効果であった場合も多いだろう)が、地域で生活することができないため、長期入院や入退院を余儀なくされている人が大勢いる。本人を取り巻く環境の違いによっては、地域で暮らしている人もあるが、病気は基本的には治らないとされ、昨今開発された「精神障害者」という枠組みで5分診察のため通院しながら、福祉制度に翻弄されるような生活がある。最近は引きこもりの相談だけでなく、就労移行支援事業などの営業の電話がよくある。職安に行けば、仕事はなく失業者がたくさんいると聞くが、発達障害などの認定を医者から受ければ仕事はたくさんあるようなのだ。フリーターが流行した20年前くらいのころにも似ているが、その頃も良かったわけではないが俄然自由もなくなり、汲々とした状況はますます続いている。

 

隔離政策のはざまで 2

ちょうど一年前に学校が新型コロナウィルスによって2ヶ月ほど閉鎖された。当時はまだ子どもの感染力や感染による重症化が懸念されていたための即断であったと思われる。だがそれは本当のところは子どものためではなかった。私の住む地域の学童は朝から子どもたちで溢れかえっていたという話しであった。学童で働く人は、人員を増やしてもらえるわけでもなく、手当が出るのでもなく、普段は昼からの仕事を朝から晩まで働くことになった。中にはコロナ渦でそういう働き方ができないという人もあり、人員が減ったためてんてこ舞いだったということも聞いた。気の毒なのは学童で働く人だけではない。学校は閉鎖されたのに、学童に朝から行く子どもたちはどんなだっただろう。学校に行くこともできず、家に閉じ込められ、学童に行ける子を羨む子たちはどんなだっただろう。学校がなくなったのが悪かったのではない。普段から、日中の子どもの隔離養育施設としての学校に頼りすぎていたのを反省しなければならない。普段から、不登校の子どもに大人たちが寄り添ってこなかったことを反省しなければならない。一方で、学校閉鎖という事態を経験した子どもたち、普段は見ることができなかった大人の姿をみた子どもたちが、どのように育っていくかは楽しみでもあるが。

 

地方自治とは

ひきこもり支援団体の連絡会のようなものが、高槻市の社会福祉協議会によって招集されることになった。昨年から2回目。多くは行政関連団体や福祉事業体である。そういった性質上、府や国の制度と如何に足並みをそろえるかという話しになりがちだが、せっかく高槻市でこういった集まりを持つのだから、市独自のやり方を皆で考えてはみませんかと提案したつもりではあるが、まだ伝わってはいない。若者(といっても幅は広いが)であること自体が障害化されていて、狭義の福祉政策ではどうにもならないことが引きこもり問題であって、そのことをここでも考えていきたい。制度によらない「ひきこもり」にとっての広義の福祉を、連絡会を通じて少しでも実現させていけないか。

 

2021年3月20日 高橋 淳敏

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