NPO法人 ニュースタート事務局関西

「地域通貨のお話」高橋淳敏

By , 2021年1月16日 8:13 PM

 年明けに高槻市の隣町の島本町を訪れて、島本町民との交流会をした。他県の人に高槻市の位置を説明する際に、大阪府でもっとも京都寄りに位置すると言ってしまいがちだが、国道や鉄道にしても高槻市よりも島本町の方が京都府に接している。JR京都線の駅の中でも唯一(たぶん神戸線を含めても)駅前の開発がされていない比較的新しく新設された島本駅があり、都市へのアクセスもよく人口3万人くらいの水源豊かな町である。町の水の9割が井戸水で自給していて、高槻市が7割を他の水事業から引っ張ってきていることを考えても羨ましいところである。蛇口から出る水も美味しいのだろう。その島本町でウォーターという地域通貨をやっているのを聞いて、久しぶりに地域通貨を思う機会があった。

 

 島本町のウォーターは商工会が発行しているもので、商品券や現金に近く、それを店で使うと特典がついたり割引がされたりと、今でもこういうのはよくあるのかもしれないが、わたし達が2001年頃からはじめたのは少し趣の違うものであった。LETS(Local Exchange Trading System)というもので、名称は横文字でややこしいが、取引したものやサービスをお互いが持っている通帳に記入していく、主に個人間のやりとりであった。単位はpointとかmagとかそれぞれの地域通貨の集まりで決められ、例えば、AさんがBさんに服をあげたとするとAさんとBさんでそれが何pointになるかを相談して、お互いの通帳にその取引を記入する。それが500pointだとするとAさんは+500でBさんは-500と記入して、お互いにサインをし合って取引が成立する。pointやmagが発行されるのはその取引の中なので、ある人の合計がマイナス(-)になることも多く、(-)を負債と呼ばずコミットメント(貢献する必要があるような意味で)と言ったりしていた。(+)の多い人がその集まりに対してより貢献していることとなり、(-)の多い人がよりその集まりの恩恵を受けていると考えれば想像はしやすいか。参加者の全ての残高をあわせると0(ゼロサム)になるのが基本で、わたしたちもそこから逸脱することはしなかった。大変なのは事務運営である。参加者全ての通帳を照合し、一人ひとりの残高を決定(わたしたちの場合は参加者全員に定期的に皆の残高を示した)していかなくてはならなかったし、そもそも自然発生的に取引される場面が少なかったので、偏りを解消するためにもイベントをやって地域通貨が使える場を設けたりした。途中から、通帳を照合する作業が煩雑になったので小切手方式を導入した。基本は変らないが小切手型は、ものやサービスを受けた人がサインした小切手が、(モノやサービスを提供した人が)そのサインの入った小切手を事務局に報告するだけでいいので、事務局としては双方からの通帳報告を照らし合わせる作業がなくなるのだが、それぞれが通帳に記入しないでよくなったので通帳を常に持参しなくなり、自分の残高がいくらになっているか事務局発表を見なければ分からないようなこともでてきた。事務局が取引手数料を双方から取り、それを原資にイベントを開催するようなことはあったが、それはそれで手数料の計算が煩雑になった。手数料の計算をする為に手数料をとっているようにも見えた。結局は、そんなことは目指してはいないのだが、地域通貨で生活できるようなことはなく、からくりのある遊びというか実験のうちに収束してしまったようなところである。

 それでもやっていて面白いことはたくさんあった。ある人は家庭菜園から持ち寄られた大根を、それがお金ではなく地域通貨で入手できたことに今までにはない感動があったと話したり、休日に全くお金を使わずにこれだけ遊べるのはいいと言う人もあった。それに、誰もが普段は使っていてる「通貨」がテーマであったので、「円」での生活に疲れていたり、疑問を持っているさまざまな人との付き合いが広がった。高槻市富田町のカフェコモンズもそもそもは、地域通貨で知り合った人たちが「円」で作った店であった。それから15年以上もやっていて、いまだに地域通貨は使えない不思議な店でもある。わたしはというと、現金を増やしていくためだけに仕事をするような生活に将来が見通せなかった。市場で一方的に値段が決められたものを買うという行為は、払う義務があるといったしんどさくらいしか感じることはなかった。その逆もしかり。とはいえ、阪神大震災後多くの若い人なんかがボランティアで活躍したが、個人の経験の中だけでモノやサービスのやり取りが見えなくなっているのはもったいないとは思い、この地域通貨の個人間で、その都度交換価値を見直せるというやり方に少しは希望を見ていたのだと思う。通貨がなければ生活ができない(実際そうではあるのだが)というのは、生きていく上では本末転倒で、生活がある中で通貨があるのは便利であるという感覚を取り戻したかったというか、ならば田舎で農作物を育てるなりして生活すればいいということでもあるが、そこまでストイックにはなれず、都市郊外の付き合いの中で通貨が面白いものである実感があればよかった。宝くじで何億円と当たったとしても、それを元手にやれることもなければ、欲しいものもなかったと思う。「円」の世界から引きこもっているので、「円」の世界に引っ張り出すのではなく、通貨について考えることと、引きこもり問題を考えることがつながっていた。

 地域通貨は色んな形態があってそれも面白いところだが、もともとは世界恐慌のときに現行通貨が入ってこなくなった村が独自に目減りする通貨を発行したなんて話しもある。モノは劣化したり腐ったりするのに、お金だけがそうならないのはおかしいとの考え方もあり、長く持っていれば持っているだけ通貨としての価値がなくなっていくので、一時的にその村だけで、かなり流通したようである。額面がだんだん減っていくので、時限爆弾のように通貨を早く人に渡したがるようになる。そんな話を聞いて、ならば魚は腐るので魚を通貨にしようなんて、そういう会話も楽しかった。現在は恐慌なのかバブルなのかも分からないが、実際はとんでもない量の通貨が世界に溢れているようであるが、それで窒息してしまっているのか、多くの人の手元にはほとんどないといった状況が続いている。コロナ渦でもあり、手作りしたマスクを渡すときに、知人や近隣や家族でも地域通貨を発行してみるのもいい機会だろう。

                          2021年1月16日 高橋 淳敏

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