NPO法人 ニュースタート事務局関西

なぞなぞ自己責任

By , 2020年6月19日 3:43 PM

 いきなりですが、なぞなぞです。これは今年度5月に「高槻市立小中学校における携帯電話の取り扱いに関するガイドラインについて」という一枚紙のお知らせで、教育委員会や各学校長の連名で保護者に向けて配られたものです。内容は、生徒たちの携帯電話の校内持ち込み禁止のこれまでの方針を見直し、一部持ち込みを解除したものらしいが、さて以下に提示された携帯電話の取り扱いに関する「基本的な考え方」に沿って、教師や保護者が子どもたちにどのような態度で向き合えるかを考えてみてください。重要と思われる部分を枠に囲ってあって、以下(全文)のように書かれてある。

基本的な考え方

(1)携帯電話は、小・中学校における教育活動に直接必要のない物であることから、学校への持ち込みは原則禁止とする。

(2)登下校時に携帯電話を持たせるか否かは保護者の判断とする。

(3)校内での携帯電話の保管は、自己責任とする。

(4)校内での破損・紛失・盗難等に関して、学校は責任を負わない。

(5)ルールに従わずに、校内で携帯電話をかばんから出したり、使ったりした場合は、学校が携帯電話を預かって保護者に直接返却し、学校と保護者が協力して指導する。

 

 この文面からも分かることとして、まず学校教育側が学校への携帯電話の持ち込み禁止を一部解除したのは、昨今の通信技術が盛んになった社会を前提に、その技術の習得や馴れさせるための学習目的ではないことは確かである。登下校時に携帯電話が必要となる理由は、この「基本的な考え方」の枠外に書いてあったが、子どもが登下校時に災害や犯罪に巻き込まれた際の緊急連絡手段や犯罪抑止力のためである。だが、一部の保護者たちが主張したのだろう緊急連絡手段や犯罪抑止力に役立つと学校側が認めたのであれば、(1)のように学校側が携帯電話の持ち込みを原則禁止とするのはまずおかしい。むしろ、全校生徒に携帯電話を持参させなければ指導として示しもつかない。災害発生や犯罪は特定の誰かに決まって起こるのではない。携帯電話程度で安心できるのならば、登下校を地域で見守ってくれている方たちの存在を子どもたちは疎ましく思うことであろう。携帯電話があれば、地域の見守り活動なんて必要ない意見が出てくれば、携帯電話を持たない子どもたちの安全安心は脅かされることになりはしないか。

 そして、この全項から発せられているのは、学校教育側は携帯電話の存在には関知しないとの立場表明である。この紙面は携帯電話を持たせるか否かは全て保護者の責任とする学校責任逃れのためのアリバイ通達なのであった。ここでいう携帯電話とは要するにスマホのことであるが、知らない方も多いだろうが特に今は中学校の部活動などの連絡手段としてLINE(スマホに入れる連絡ソフト)が必須のことも多く、顧問の教師が生徒のLINEを通じて連絡しているのだから、教師たちは生徒がスマホを所持しLINEアプリを入れている保護者や生徒に依存している。それにもかかわらず(4)では破損、紛失、盗難に関しても責任をとらないのは、それが携帯電話でなくとも例えば水筒であっても学校内でそのようなことがあれば、学校側が責任をもって破損紛失盗難の原因に率先して取り組んでもらわなくては困るわけで、いったいどういうつもりなのか。ついでに争いごとやいじめも放置するつもりなのだろうか、教育とはいったい何なのか。学校側が弁償しないといった意味ぐらいのことなのかもしれないが、持ち込みを認めるくせに、無責任な言い方ではないか。

 さて、今回この文面で一番気になった言葉は(3)に出てきた「自己責任」であった。今の学校教育が本音として「自己責任」なるものを教えているのは知っている。それは、私が学生時代であった30年以上も前から続いていて、「建前」「本音」が逆転することはあっても、学校教育は受験学習をベースにしており、他に「教育」としてやることを失い続け、もう涸れ果てていることを知っている。「自己責任」の根本は、学習指導要領に則ったことは教えるが、それ以外は各自勝手にしてくださいという学校側の教育無責任にある。

 たぶん、教師から生徒に対して「自己責任」という言葉は日常的に使われており、今さらこのような文面で見た所で驚きもないが、この文章は保護者に当てたものであり、この直接的な訴えに対しては応えなければならないだろう、それこそ社会的責任について考えたのであった。個人の「責任」は、自分以外の人や社会に向けてあることであって、自己責任のように人や社会から個人に向けられるのであれば、人や社会が個人に対して果たすべき責任として考えなければならない。(3)の文章が携帯電話の保管はちゃんとしましょうという生徒への呼びかけであったり、保管は保護者責任とするなら分からなくもない。でも、ここで生徒に対して自己責任なんて言葉を使うのは、学校教育が生徒に対して果たすべき責任を考えているのではなく、携帯電話の紛失盗難破損も含めた所持利用による結果責任は自分で負えと命令している。そこで(4)項目にも繋がっていくが、紛失しようが壊されようが盗まれようが学校側は、そのような事態が起こったことにすら関知することも放棄すると宣言している。要するに自己責任とは、私たちは知ることやましてやトラブルになった説明をする義務もなく学校側には一切の責任はないとの主張である。ここでも「自己責任」とはその発言主体の無責任を意味するだけの言葉である。(5)では、ここでいう「ルール」というのが何を指しているか明確にされていないし破綻しているが、保護者と協力して指導といっても、そもそもスマホやLINEが子どもたちや教育に及ぼす影響についてすら考える気が微塵もない学校側とどのようにして協力できるのだろうか。さて、このように無責任な学校施設で教育従事者たちは被教育者に何を教えることができるのか。教室管理者たちに同情することもないではないが、それが一番のなぞである。このような学校制度に従属する教育者といわれる者の態度によって、直接被害を受けるのはいつも学生たちである。前代未聞の全国公教育施設停止期間があって、少しは日ごろの反省をする時間があったかもしれないと思っていたが、さらに酷くなるようである。二次被害はすでに教育施設で起きている備えよ。

2020,6,19 髙橋淳敏

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