NPO法人 ニュースタート事務局関西

「引きこもる知恵」髙橋淳敏

By , 2019年12月21日 2:00 PM

 ここでの私の役割は社会、「社会」と騒ぎ立てることにあった。かつては「社会的ひきこもり」とも言われたが、引きこもり問題においても、「社会」と個人がどのような関わりであるのか、個人が社会をどのように形つくるのかは、重要なテーマである。外国から来た人は、日本には「社会」がないと言った。世間と言われるような常識、一般的な価値観とか空気、世間のまなざしはあっても、この社会には私たち一人ひとりが能動的に作っていると思えるような関わりのようなものがないと、外国から来た人には見えるようだった。「HIKIKOMORI」が日本の「社会」を表すのに重要な言葉にも思えた。社会はあっても、それぞれが税金を納めその金でもって、代議士によって法を作成し、行政によって執行、取り締まるくらいでしかないということか。国家や行政が最高権威であって、一人ひとりが逆らえるものではないありがたい独裁体制であるのか。国民主権の民主主義社会であるのにも関わらず、私たちは行政がやるようなことを進んで先取りもしながら、ちゃんと国家に追随しているのかを、お互いに監視し合っているかに見えるのだった。日本人は暇だから、国家が利するように働くのか。人の生活あっての「社会」であり、人の生活に利するために政治や経済があることを今一度、引きこもり問題を通じて考えたい。「社会」のために人があるのではない。人一人の「生」を世間の犠牲にしてはならない。私の知人の言葉を借りると、引きこもりを社会復帰させるのではなく、「社会」こそ(引きこもり問題を通して)復帰しなければならないのだ。否、復帰ではなく、かつてあっただろう「社会」を振り返りながらも、新たな社会的関係をつくっていくのである。人が社会を想像するとき、今まであった「社会」を想定し、その枠に入っていくことやどのような関わりを作るのかの規定路線を考える。だが社会とは、引きこもっていても参入している今のこの場面であり、人やものも含めた目の前の関係により作られていると考えるのはどうだろうか。そのように考えることは、引きこもるという行為を今の社会における、能動的な行為としてとらえることである。あるいは、そのように社会を考えれば、引きこもるという動詞は、「ひきこもり」のような名詞として擬似主体化、固定化されるのではなく、動詞を修飾する副詞(exはげしく引きこもる、、)や違った動詞(ex抵抗する、、)として現れてくるだろう。「ひきこもり」の就職活動ではなく、修飾活動である。「ひきこもり」支援というものがあるのなら、「ひきこもり」を「正社員」や「発達障害者」などと「ひきこもり」でなくすることではなく、引きこもる行為を支援することにある。引きこもる行為はそもそも独りで続けていけているのではない。そういった支援において他者と出会うことで、その行為も変化していく。

 

 「戦争が終わって僕らは生まれた。戦争を知らずに僕らは育った。おとなになって歩きはじめる。平和の歌を口ずさみながら。僕らの名前を覚えてほしい。戦争を知らない子供たちさ、、、」この歌詞は「戦争を知らない子供たち」という歌のもので、1970年に発表され代表的な反戦歌として、学生運動も盛んだった頃に流行った。僕らの名前を覚えてほしいとか、涙をこらえて歌うことだけとか、せつなさもあるが、私がこの歌を意識して聞いたのは、流行って15年後くらいの1980年代後半の小学生か中学生のころで、そのときは言い表すことのできなかった違和感のようなものあったことを覚えている。その違和感がなんであったかは、思い返してみると2つの理由が考えられた。1つは、教師や親は戦争を知らなかったのだということ。1つは、戦争を知らないというこの歌のトーンが妙に明るく前向きである感じ(知らない方が良いといった感じ)で歌われていたことだった。私は、「戦争を知らない子供たち」を知らない世代として、1970年代半ばに生まれたが、学校や家庭では戦争はしてはいけないこととして教えられていた。そこでは、戦争教育ではなく平和教育がされてきたわけだが、それらを教える教師や親は、戦争は経験していなくても戦争のことを知った上で戦争をしてはいけないと教えようとしているのだと漠然と思っていた。だが、そうではなかったのだということを、15年後のテレビなんかでまだこの歌が流れているのを聴いて知ったのだった。戦争を経験していない若者の方が平和を実現できると、私の違和感はその戦争を知らない子ども世代と戦争を知っているその親の世代のコミュニケーション不全の問題だったのかもしれない。戦争の経験は語り継がれていない。では、なぜその下の世代に戦争について中途半端に教えようとしたのか。いや戦争について知らなければ平和なんて考えられないだろうという問いをずっと持ち続けることになるが、そのことを話す機会も社会もつくれずに、長い年月が過ぎていったように思う。この歌が流行った当時、ベトナム戦争の反戦運動が盛んだったが、その運動を支えていたのは「傍らで起きていることだが、すでに他人事ではない」という意識に支えられていたように考える。当時はまだ、ベトナム戦争や先の太平洋戦争の当事者としての意識が「戦争を知らない子供たち」にもあったのだ。だが、「知らない」ことでいいとされ、アメリカや戦争を知っている親世代から与えられた民主主義国家で、今の私たちの「社会」を支えている意識は「傍らで起きていることはすでに他人事である」になってしまった。なぜそのようになってしまったのか。私は近年になって戦争の特に加害性が矮小化されてきた人々の言動に、その原因が何であるかを考えている。「傍らで起きていることは他人事である」という個人が分散しているような国家は、誰がやっても同じで統治しやすいことだろう。だが、望みがあるとすれば他人事とはならない場合で、そこで個人同士が集まってつくられる社会とはいかなるものなのだろうか。

 

 「傍らで起きていることは他人事である」意識を、「すでに他人事ではない」に変えることは容易ではない。要するに、この社会に生きる者すべてが自分事の中で、引きこもらざるをえない状況であるが、「ひきこもり」という生み出された名詞から、このような社会を批判する事は出来る。「ひきこもり」や「発達障害」と名指された個人による事件が相つぎ、国会議員などの発言でも、「ひきこもりが生む悲劇」などとして、「ひきこもり」が主語で語られることがある。「ひきこもり」が主体化し、つくられた主語として引きこもる以外の行為までもが予防されようとしている。このようなことは前からある調子なのだが、当然「ひきこもり」という存在が社会的な悲劇を生んだのではない。引きこもるという行為を「他人事」として傍らに追いやり、引きこもり問題を「知らない」とすることで自らの加害や当事者性を回避する中で、まさにその個人を「ひきこもり」と名指し、そのような個人の問題であるかのように押しつけた人たちが起こした悲劇である。それが、「ひきこもり」と名指した人がした引きこもるにも似た行為である。「すでに他人事である」のならば、「社会」は引きこもる行為をこそ先鋭化させていくことになるだろう。そのような社会で必要となるのは、「ひきこもり」を労働者や生産者のような主語の置き換えを図って、無理やり「働かせる」ことではない。引きこもる知恵によってだけ、他者と出会える。

2019年12月20日 髙橋淳敏

2 Responses to “「引きこもる知恵」髙橋淳敏”

  1. Funabaka22 より:

    次の文を課題として ⇒ に感想を述べさせてもらいます。
    「すでに他人事である」のならば、「社会」は引きこもる行為をこそ先鋭化させていくことになるだろう。そのような社会で必要となるのは、「ひきこもり」を労働者や生産者のような主語の置き換えを図って、無理やり「働かせる」ことではない。引きこもる知恵によってだけ、他者と出会える。

    ⇒ひきこもる、引きこもる知恵にはどうしたら出会えるのだろう?出会う他者とはひきこもることから抜け出た自分の姿なのだろうか?他人事である引きこもりの姿がそれこそかつての独裁者に対するパルチザンのように、社会的な意味と権威をもつようにその行為が先鋭化してゆけば、他者としての社会的な自分に出会えるのであろうか?または、引きこもるという周りをも飲み込む求心力がその社会での必要性を人々に認識させ、それらの人々の視線による異なった社会での当事者としてのすがたを像として結べるのであろうか?ここでは、大変実直に考え、引きこもる「知恵」を動詞の修飾するものとして捉え、親や社会の何に関して反対して、または、自分の時間を取り戻したいために、などの修飾形態に向き合うことにより身に沿う他者に出会えるのだろうか?少なくとも、理を持ち込まず智のフィールドで当事者としての出会いに徹するということは理解できた。
    ありがとうございます。

  2. おほほ太郎 より:

    正直、文章の1割も理解できなかった。
    引きこもりの人は、学校に行ってなくて無学の人も多いと思う。
    もう少しかみ砕いて書いてもらえないだろうか?
    誰に向けて書いているのかな?

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