「終わらない引きこもり氷河期」田中一成
なぜ社会参加しない、できない若者達が存在し続けるのか。
進学率が上昇し人手不足だと言われる現在でもまだまだ不登校や無職の状態になり、引きこもる若者も多く、それが怠慢だとは考えれない理由もある。
単純に学校や職場での競争社会、個人能力重視的な環境からの離脱だと僕は考えています。
そんな社会の状況で周囲より能力的に劣っていると感じながら継続する事は困難で辞めさせられたり、自主的に離脱する人も多いでしょう。無意識に競争する事や能力の品評をされる事を拒絶し社会参加しない人も多いと思います。そんな世界観しか知らない若者達は社会を信用できず他の生き方を知らない者は孤立していく。
これまで自分の働きが通用しないと不安に思っている人とたくさん出会ってきました。簡単に言うと仕事する事を当たり前の事だという意識の人がそれを達成できてなかった時に思うのは自分の技量の無さで自分を責める。やがて自分の事を否定するしかない状態になる。
外の社会や外の人とのつながりで信用や安心感が身につく。お互いの存在を認め合えるような環境がまず初めに大切なのではないだろうか。
引きこもりから脱出して社会に入ろうとする時に生じる摩擦はこれなのかもしれないと思った。人により様々だがその時の状況から圧迫され(経済的や心理的な不安が多い)慌てて世間の流れに乗ろうとしても困難だと思います。しかし現状はそんな考え方は逆流した構造で進んでいる様に感じます。解りやすいと思って簡単で極端にしましたが↓
エリート重視の教育:将来の就職先のため高成績を重視して名門大学を目指す
人間性重視の教育:自分に合った職種や生活を模索、追求する
生産性重視の仕事:いかに優秀な人材を最小限数で雇いコストと生産の合理性重視
→競争が生まれる→個人能力を信用→他人を信用できない(競争相手)
地域性重視の仕事:一人でするよりも多数でした方が大きな仕事ができる
→協力者が生まれる→交流が生まれる→人間関係が信用できる(仲間)
一概には言えませんが僕が考えている事と真逆な社会構造の様に思えます。進学率や求人率だけでは良くなったとは思えません。それに今では防犯意識の上昇で他人を警戒したり、学校なども慎重になり公にならず閉じていく傾向があり、衛生面の意識上昇でもお祭や餅つき大会などもやりにくくなっています。人と直接対面して関係を築く機会が少なくなっている時代に社会から必要とされず接点も持てぬまま、孤立して苦悩している若者にとって大切なものは何なのか本人や支援機関だけでなく社会全体で考えていく必要がある大きな問題ではないでしょうか。
2018年11月15日 田中一成