NPO法人 ニュースタート事務局関西

「ワイルドサイドを行こう」髙橋淳敏

By , 2017年12月19日 9:09 AM

 今年も12月になった。もうすぐ2017年も終わりということになる。次は2018年である。今の一月一日があるいは十二月三十一日が一年の始まりで終わりの日であると誰が決めたのかも知らなければ、一年の終わりと始まりはいつだってかまわないわけだが、今の社会生活に加担をしていると今の一月一日がそうであって、十二月三十一日がそのようなものである気分にさせられる。たぶん引きこもっていても多少の影響は受けている。それで流行語大賞やレコード大賞や今年の漢字1文字なんかで、2017年はどんな年だったかと振り返ったりして、まだ訪れてもいない来年の一月一日が一月一日である意味を強化し、十二月三十一日が1年の最後の日である意味を獲得していくわけだ。その人にとってはただ訪れた新たな一日であったとしても。この文章も毎月の通信に載せてもらっているわけで、今は十二月だが通信の表紙は2018年の1月号となる。なので、来年に向けての意気込みや予想なんかをここで書ければいいのかもしれないが、そんなことは普段から考えていないので、2017年という年があったことを強調し、元旦や大晦日をそれとしての意味を持たすべく、大衆的に振り返ってみようと思う。持ち回った言い方ですみません。早く書けよという声が聞こえてきそうである。

 

 上半期に何があったかは忘れてしまったが、政局や相撲業界の手もつけられない末期的な状況は開腹せずにここはスルーしますが、将棋や囲碁なんかのニュースが気になった年であった。ルールを知っている程度で私は将棋や囲碁をろくに打ったり指したりすることもできないが、今年は14歳の少年が将棋で新たな連勝記録を作り、将棋では羽生さんが囲碁では井山さんが今まで誰もそれぞれの業界で成し得なかった偉業を達成したとのことだ。その一方で、ディープラーニングという繰り返し学習させるやり方で、囲碁や将棋においてコンピューターが人間との勝負に勝ち続けるというニュースが多く聞こえてきた。その上で、人間同士が戦ってきた歴代の棋譜を覚えさせたAIと、コンピューター同士を一から戦わせて学習させたAIを戦わせたら、コンピューター同士で一から戦わせたAIの方が強かったと聞いたから驚いた。AI対AIではあるが、一方は積年の人間の叡智を学習したAIであって、それが時間という概念もろくになくただ勝つためだけにでたらめに学ぶしかなかったAIに負けたということなのか。その業界の人にとっては、ただ勝負に負けたと言うだけでなく世界の歴史を否定されたような心持ちになったやもしれない。もはや相対的にAIが人間よりも賢くなったのは否めない。投資の分野でもAIが入っているとも聞くので、今の金融資本主義ではもうすでにAIの方がお金を稼ぎだせるようになっているに違いない。というか、AIを頼らなければ必ず投資で損をするという時代が来るのもそう遠くはないし、知らされていないだけでもう来ているとさえ思える。

 とはいえ、このディープラーニングというやり方は、将棋や囲碁というゲームを解析するのではないし、将棋や囲碁の絶対的な勝ちパターンが解明されたのではない。要するに原理がわかったのではないので、勝率は100パーセントに近くなってはいくものの負けることはあるのだ。それに加えて物理的な限界があるという話しも聞えてきている。推測するに、どんなにミクロな信号であってもそれを記憶させる物理的なスペースが必要になるので、学習させなければならない情報が膨大すぎれば物理的な限界があるという話しなのだろう。マクロ対ミクロみたいなことで実感として沸かないが、さもありなんといった感じはする。最近の会見で羽生さんが、「将棋のパターンは10の220乗くらいあるとのことで、私が打った将棋はその破片にも満たない」といったような発言をしたのは、このディープラーニングというAIのやり方が前提にあったのではないか。AIにはその物理的な限界があると。その時、AIよりも人間が優れているとすれば、忘却できるとか欠落しているとかそんな能力なのかもしれない。

 

 その羽生さんと井山さんがほとんど同じようなことを言っていた。その内容は、それぞれに将棋や囲碁のことをまだほとんど分かっていないとの発言であった。それぞれの業界にある二人が歴史的にも到達したことのない頂きに立って言い放った言葉としてはあまりに謙虚である。人間だけで勝負している時代なら、ただの嫌味にも聞こえるし、達観した僧侶のような言葉にも聞こえる。いずれにしても、そうは思っていても発言しなくてもいいだろう言葉じゃないか。でもこれが進化するAIを意識しての発言と考えるとニュアンスが変わってくる。彼らはあきらめていないのだ。負けることは多くなっても、勝てる可能性は0ではないと、彼らは挑戦者として、そして何よりも人間である存在としての戦いを挑んでいるのではないか。道なき道を行くのはこれからなのだと。そしてそこで勝てる可能性は彼らが天才だからではなく、欠陥だらけの人間という存在であるからこそ開ける道であるはずだ。だからこそさらに進化したディープラーニングに、勝つべくして人間が勝てる日は訪れるのだと。将棋や囲碁というゲームは、人間の証明を可能にする勝負ができるのだと信じて。2017年、彼らはワイルドサイドで輝いた。

2017,12,14 髙橋淳敏

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