NPO法人 ニュースタート事務局関西

「子どもの貧困」髙橋淳敏

By , 2017年3月2日 11:49 AM

親が子に「好きなように生きなさい」「自由に生きなさい」と言えない。家が貧しいのではなくて、社会が貧しいからだ。「大学くらいは行きなさい」と、大学はやりたいことのために広い知見を得る学びの場ではなく、人並みに見られ普通になるために行くところへと変質した。「就職しなさい」「苦労させたくない」など想像力のない言葉で親が子を拘束する。親が言っているだけなら、家から出ればいいだろう。だが、親の言葉は世間を代弁している。社会による生き方の拘束は、それができる人にとってもできない人にも貧困問題に直結している。多様になったかに見えた生き方は、雇われる働き方のごとくマニュアル化され、コンビニエンスストアーの陳列棚に並んだ商品のように一様で貧しく見える。生きることが合理化され、選択肢は増えてもいずれも似たもののようだ。世間は人の生き方のお膳立てをしている。子どもの貧困は、そのように人並みの子育てができない親の責任であり、その家に生まれ堕ちた子どもの責任にして仕方ないと、この社会は何も手を尽くさずそう判断している。ひどく世知辛い。厳しい状況に置かれている子どもに対して、その環境で生き延びることがこの世の試練なのだと言わんばかり*1だ。

 

一処にしかおられない貧しさである。関係に拘束されれば、何かに従えば、生き永らえる。でもそこから離れられない、出れば生きる根拠を失う。一方的な関係にからめとられている貧しさである。親や家のせいにしておけば、閉じた一処を見ぬふりをすれば、大人たちが統治しやすい社会*2だ。比較的恵まれていると言われながら、好き嫌いや自由を一処で削られる。そして命もまた。他人に迷惑はかけられないと思っていて、困っているとは相談できない。それどころか、今あなたが上手くやれないのは、ただあなたのせいだと厳しく世間に見られている。他の人はやれている我慢しているのだからわがままを言ってはいけない。子どもに対してがそうだ。予見できない考え方や働きをする子どもを、当面は制止できなく一処におられない存在として、社会は目先のことしか考えず、子どもを視界から追いやっては排除してきた。結果として子どもは減り、可能性としての夢や希望も私物化され無くなった。そのように子どもを受け入れられないこの社会こそが、少子化の原因であり、今の貧困問題の核心である。責任は親ではなく、すべての大人にある。

 

子どもの貧困は、大人社会の貧困問題である。大人社会の貧困問題とは、親の所得が相対的に少なく、経済的に自分の子にご飯を食べさせられない話しではない。かつて広まったアフリカの貧しい国の子どもの話しではない。衣食は捨てるにお金がかかるほどあり、空き家も増えている。しかもそれを大人たちは知っている。いまの貧困問題は経済成長期に始まった貧しさである。当時も、近所付き合いがなくなったとか、核家族になったとか、子どもが外で遊ばなくなったなど、その変化については言われてきた。それを関係が希薄になったと言っていた。家の違う子はよその子としてかまうことができず、地域なり近くの大人が子どもの存在を受け入れられない、触れ合うこともない関係の無さである。あなたが勝手に産んだのだと言われた子は、その親だけの元で、すくすくとは育だたない。学校へ行き、習い事に行き、塾へも行き、休日はレジャー施設やショッピングモールで買い物をし、病気になれば病院で治療してもらい、障害をもてば年金をもらい支援してもらう。それだけでも子どもは勝手に大きくなるが、そんなプランターの中で育てて、のちに労働商品として収穫するようなことが、人の生ではないだろう。枠組みの内でサービスを受けるだけでは、その存在はどうしてもはみ出してしまう。地に根を張って、思いもよらない花が咲いたり実が成ったりするには、共に生きていくための社会や地域、他者の存在が必要である。大人として、一つの役割(親とか仕事とか)を演じる話しではなく地域の生活者などとして、よその子にも向き合うのでなければなるまい。大人社会の貧困問題は、大人が子どもの存在を疑っていることにある。

 

役に立つかもしれず地域の仕事につながるかもと期待もあって、私たちは2013年から子ども食堂に協力してきた。でも、どんな子のために子ども食堂をすれば良いか分からなかった。ここにも来ることができない子どものことを私たちは考えていた。目の前にいる子にもどんなことをしてあげれば良いのか分からなかった。来てくれた子どもは、他の子たちがいるし、元気そうに見えた。親たちはみんな困っていた、でもその親の代わりをすることはできない。私たちは同じ大人として、その子どもたちが子ども食堂というその処に、居ていいのだとその場を子どもと一緒につくるしかなかった。そこでの大人たちの振る舞いの一つ一つは、子どもたちの存在にささげられていた。貧しい大人たちの関係はそのことによって少しはましになったかもしれない。大人になれば生きていることの意味は分かっているものだと、子どものころは勝手に大人を尊敬していたが、子どもこそがそういうのを自然に分かっているのだった。大人たちは家に帰れば困った親か、子どもがいなければ孤独な人に戻ってしまうのだった。

 

お腹がすいたと言ってくる子にご飯をあげる話しではない。貧しい大人社会を子どもの力も借りて変えていかなくては、この貧困問題は解決していけない。子ども食堂を子どもたちのためにと大人たちがやったことを通して、今の社会の反省がなければ、そこにも来れない子どもをただ地域から追いやるだけになるだろう。

 

*1そうも言ってくれず、ほとんどは無関心で自らのシェルターを強化することしか考えていないのではないか?と不信に思い、いつも人にぶつけている自分に気づく。

*2国策は、統治しやすいように一処の問題をできるだけ隔離して、専門的な解決を謀ろうとする。そのため、国が助成金などで手出しをすれば、大方は閉じられた一処の問題に留まり、小さな民の互助的な活動や自治のための働きを例外なく弱めてしまう。統治は国や行政の目的であるので、このような行政主導の福祉の罪は山ほどあって、関われば巻き込まれ、人は活力を削がれる。医療や教育も同じである。

2017,3,2 髙橋淳敏

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