「また訪れた統治の時代に誰が抗うか」髙橋淳敏
11月からニュースタート事務局関西[1]のスタッフが減った。日常的に場をつくる今の活動において、その運営には日ごろから関わる人の働きが必要で、働く人の生活のいくらかを保障するため賃金がいる。私たちの活動は、引きこもっている、引きこもっていた人のご家族や、活動を応援してくれる人の寄付から、人件費を含めた必要経費のほとんどを負担してもらっている。そのうえに助けていただいたりで、おかげさまもあり行政や企業から資金などを得なくても自立的に運営させてもらってきた。NPO法人の場合、営利企業と違って法人自体が儲かる必要はなく、株主から人件費の削減やリストラを進言されるようなことがないわけで、スタッフが減ることはニュースタート事務局関西のためではなく、その活動が縮小したことに他ならない。共同生活寮生が少なくなったことの影響が大きいとはいえ、問い合わせが少なくなったのは今に始まったことでない。親元で暮らすよりも、一人暮らしがしたいとか外で生活したい希望を、昔に比べて聞かなくなったようには思う。訪問活動で、上手くいかない中でも家から出たいと引きこもっていても思っているとは10年前には感じたが、最近は交流できても家がいいような話しで、引きこもりといってながらにおかしな言い方だが、今の方が内向きな印象を全体的に受ける。テレビ時代と違って内に無限にチャンネル(入口)を持っているインターネットがあり、外では公に交流できる場が減り仕事以外に出口がなくなったのか。ネットが張り巡らされ、人はなぜか内向きになり孤立したのだった。もちろんそれだけが理由でもないだろうが、寮生が減るとニュースタート事務局関西の活動理念の根幹にあたる友達や仲間などの互助的な関係が、自然発生的にもできにくくなってしまうので、場つくりも生活も日常的により難しくなる。
大方今のマジョリティーは自らのことも含めて「人」のことを多少生産性ある出来の悪いロボット程度に考えているのかもしれない。「子ども」の教育は国にとっては生産力を上げるためのもので、教育熱心な親たちは使われるのではなくロボットを使う意味での人間性を会得させようとしているのか、どちらにしても生産性向上のためのまやかしの教育をやっている。そんなのだから「障害」はただの欠陥や特性などと考えており、いかにコストカットできるかしか大方は考えていないようだ。働いてもらう方がややこしくコストがかかれば、いっそ消費者としてだけ登場してもらおうと、そんな社会のことを見ぬふりをして医者は人助けといって「障害」認定をばらまく。福祉的就労や企業の障害者枠なんかは実態も分からず経営コンサルタントが入ったりして増えていく。正社員しか見えない政治屋が、生産性向上のためにこれからは「女性」に活躍してもらいたいと息巻いたところで、大半が非正規や契約社員で働いていては無謀である。結局はロボットとして優秀な人材を多く雇えている企業を優遇するわけだが、内部留保やらタックスヘイブンやらの金融経済で、一番あてにしたいはずの経済は回らない。そして、これからより深刻になるのが貧困高齢者の問題だろう。まだ勝ち逃げ世代で大ごとにしないようにしているが、年金もなく貯金もなく身寄りもない高齢者が爆発的に増えるのは必至である。この二十年の国政は、与野党他国民に至るまで、日本という大きな地域をどのようにしたいかというビジョンなんてまったくなかったといっていい。その場しのぎだった。相対的には韓国は嫌だの、中国が脅威だ、やっぱりアメリカだなどとネットでもワイドショーを真似してやっている。今まではそれで国を運営できたのかもしれない。でももう駄目なんじゃないか。国民を貧しくさせておいた方が統治しやすいと、問題解決などは全く考えてはおらず助成金を適当にばらまき統治し、民間を分断しながら、政府には不平が出ないようにしてやり過ごすだけだ。私たちもSNSなんてものがあるのにも関わらず、かつてないほど分裂しており、疲弊しても声を上げることもできない。そんなんだから、帝国復活なんていう懐古主義が権力と一緒になってまかり通ってしまうようなおとぎ話で、時代錯誤も甚だしいが、それが夢見ていた新しい時代なのか。
今の世の中は権力者にとってはとても統治しやすい。自分で自分の人生をドライブすることもできなくなったのならば、反抗することもできなくなった。それを例えば悟りの世代なんて言い方をしたのかもしれないが、たぶん悟りなんかではなく、社会をつくることや人に向き合うことを取り上げられた世代じゃないか。孤立させられた上、気づかずに人としての尊厳を奪われる。グローバルになって日本なんて大きな地域の中長期ビジョンなんて誰も考えつきやしないのだから、権力は上手くいかないことを軽く誰かのせいにでもしておけばいいのだ。引きこもらされるのはそのような社会であって、私たちはそんな世の中に抗うために活動してきたつもりであった。でも、大方はそんな世の中に適応しようとしているではないか。今回、トランプという差別主義者がアメリカ国のリーダーになったわけだが、それをむしろ都合がいいなんて言う人もあるわけだが、そんな意見を聞いていると私たち日本地域に住んでいる人たちはどこまでも飼いならされたものだと思うのだ。いや、前提が違うだろうと、アメリカであれ国という単位で考えるのがおかしいではないか、大きすぎる国家なんてのに人が引きこもっているような考え方に、無理があるのではなかったのか。根っこからも自由になりたかったリベラルに、やはり根っこなんてものはなかったのだ。イギリスのEU離脱といい明らかに揺り戻しがきているようだ。
[1]認定NPO法人ニュースタート事務局(千葉)とは法人や運営が別です。
2016,11,17 髙橋淳敏