NPO法人 ニュースタート事務局関西

「十人十色」髙橋淳敏

By , 2016年9月23日 10:01 AM

 今年の夏の旅行は、鳥取の因幡社にある十人十色さんという集まりにお世話になった。代表の方が美鈴さんという名前で、十人十色なので、「みんな違ってみんないい」と歌った金子みすゞに由来しているようだと、今回の縁を持ってきてもらった方から聞いたのだったが、そのことを旅行中に美鈴さんから直接うかがうのを忘れていた。金子みすゞの詩はあまり多くは知らなかったが、「みんな違っていいのだ」という解放感というか自由というかやさしさ寛容さなどがある一方で、若くで自殺したというのもあるが、とても哀しい印象を受ける。

 お魚

海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛はまき場でかわれている、
こいもお池でふをもらう。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうしてわたしに食べられる。
ほんとに魚はかわいそう

 詩を解釈するのは野暮かもしれないが、ここで海の魚は、お米や牛やこいにくらべて、かまってもらうのでもなく悪いことしているのでもないのに、殺されてしまってかわいそうだと言っている。わざわざ海の魚というのだから、川魚や池の魚のように、人間と生きているときに接点がありそうな魚は除外しているのだろう。結局、この詩を書いた金子みすゞは、生きている間に全く関係のなかった人間に食べられてしまうのがかわいそうだというのだ。そういうことは不条理ともいうし、ある人はそれを食物連鎖と言い、弱肉強食と言ったりするのだが、それをかわいそうというのが金子みすゞであり、それが私が哀しい印象を受けるところである。人であれば、生きている間に世話をかけたりかまってもらったり、迷惑をかけたりかけられたりあるはずだ。魚も人間に釣られるまでは、大海で様々な生き物との交流もあったはずだ。でも、それらを歌わず、それらの関りの中のかわいそうな話しでもでなくて、何もなかったことを詩にする。それが哀しい。この歌を「引きこもり」と題して、替え歌すれば。贅沢も言わないし、迷惑もかけていない、でも結局、自分とは全く関係のないところで働かされる。かわいそう。働くこともできなければ、それはまた哀しい。
 そんな金子みすゞの詩の印象とは違って、十人十色の美鈴さんはとても楽しい方でした。十人十色という場所も、根が明るいというか、人の人生を抱えてしまうことは、なんてことはないというくらいのエネルギーを感じ、私たちはとても元気に旅行を楽しめました。そんな出会いを歌にできればいいのですが、同じ魚をテーマにしたボガンボスというバンドの歌の詩の方が、彼も若くして亡くなってしまいましたが、今回の旅行にあっているのではないかと思いました。

 魚ごっこ

 魚じゃないとやってられないよ う~ポリポリポリ
 魚になってお水に住んでいい気持ち 魚なんだから
 うおうおうおうおうおうお 文句言わせない
 これでいいや うおうおうおうお
 あそぼ~よ 魚ごっこ

 水に流れてすいすい泳げば う~ポリポリポリ
 呼び止められて名前聞かれて ば~かだね 魚なんだから
 うおうおうおうおうおうお 名前ありまへん
 これでいいや うおうおうおうお
 あそぼ~よ 魚ごっこ

 十人十色を紹介していただいた中島さんが、7月に痛風になられたこともあって、たぶん家に蓄えてあっただろう大量の「のどごし生」と漁港で調達したサザエを持ってきていただいたのだが、痛風の原因ともされたトビウオの煮つけの話しなどは、今でも思い出しながらそれを肴にビールが飲めるくらい、おいしい話しでした。サザエも私は5個くらい食べた。米も野菜もいただいた。鳥取のスーパーは、トビウオも安く売られていたが、へしこ(さかなの糠漬け)の種類が豊富で、大ぶりのサバの半身やアジのへしこを土産に買って帰ったのだが、それもおいしかった。そして、シーカヤックに乗って、岸壁を背に鳥取の海に臨んだことは、忘れえぬ光景となった。

2016,9,17 髙橋淳敏

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