NPO法人 ニュースタート事務局関西

「子どもの夢」髙橋淳敏

By , 2016年8月25日 5:20 PM

もう400回近く開催している鍋の会だが、先日は滋賀県大津の「リボーン」という新しくできた集まりにお邪魔して、共同で行った。「鍋の会」とはいえ、こんな暑い夏に本当に「鍋」をするのかとリボーンの方々は思ってもいたのだろう、私たちはあまり気構えず、できるだけいつものように鍋をしようと訪れたのだが、部屋は冷房がガンガン効いていて寒いくらいだった。それでも、訪問先の方たちの思いに気づかず、近江は摂津よりも涼しいだろうから暑がりなんだろうなと、歩いてきて火照った身体をひやしつつ、今日は何鍋にしようかとミーティングが始まる。すでにリボーンの人は置いてけぼりを食らっているわけだが、12時を過ぎてしまっていたので、このままでは買い物や調理でお腹がすいてしまうと着いて早々に必死である。ここでも大阪の人よりは滋賀の人はシャイだなと勘違いしながら、鍋の会経験者たちが「辛いのがいい」とか「肉を入れるのがいい」とか「買い物に行った人が決めたらいいとか」、夏の日に何鍋がいいかというファナティックな会合が開かれる。思ったより盛り上がらないと間が空いたところに、「冷たい鍋を一つ用意しています」というリボーンの人たちからの申し出があった。熱い鍋を検討していた面々は「冷たい鍋というのはなんだ、そんな日和った考えで鍋の会が続けられると思っているのか」と訪れた中の半数弱くらいは鍋伝導師としての使命でさらに身体を燃やしながらも、「冷たい鍋なぞ見たこともない」と、これまた半数弱くらいは冷たい鍋に心奪われたようであった。さらには調理の説明を聞いてまずくはなさそうだけど、熱い鍋こそ鍋と主張したい立場からは、まずい状況じゃないかと思ったのだった。ハンバーガーでもちゃんこと言ってしまう現代力士よろしく、なんでも「鍋」だと言うことがあるのにも関わらず、冷たい鍋(アンチ鍋?)を鍋と言っていいのかと半信半疑であった。結果、冷やした醤油だれに、もぎたてのキュウリを輪切りにしたものを底に敷き詰めた鍋で、豚肉も出汁でゆでてから冷やすなどの手間もあって、オクラやらヤングコーンやトマトなどが入って美味しかったのである。われわれは400回近くも鍋をやっていて、鍋に関して思いあがっていたのだろう。ごちそうさまでした。熱い鍋の方は、冷たい鍋のアイデアにひっぱられもして、普段あまりやらない水炊きをやったが、これはこれでおいしかった。いやあ何にしてもよかったよかった。

鍋の会では参加者は話さなくてもよいという決まりがあるが、一度でも参加した人は知っての通り、自己紹介をする時間がある。これが嫌で、時間になると逃げる人もあるが、20人ほど参加していれば座っている場所から動けなかったりして、特定の人としか話せないこともある。そのような場を動かすためもあるが、一番の目的はこの鍋の会は、何者でなくとも参加できるのが、この会の肝であると考えていて、この何者でなくとも参加できるのを自己紹介において、この会の趣旨であり意図を分かってもらうため、むしろ聞き手である参加者がどう応答できるかが正念場である。最近は、進行する人がしゃべってもらいたいあるいはしゃべりたいテーマを考えて、そのテーマをもとに自己紹介が回ってくるのであった。この回は、よくテーマになる話ではあるが「子どものときの夢」であって、自己紹介をするときにそれをテーマにほとんどの人が語ったのであった。今の夢が語られたらいいのだが、どうも難しく考えてしまうだろうから、子どもの時の無邪気な夢が話しやすいくらいにも思うが、これはなかなかに考えさせられる。というのも、子どもの時の夢というのは、たいがいは無邪気とは程遠くそのほとんどが親の願望や欲望なのだ。

今思えば、昔よくあった男の子の「プロ野球選手」なども、結局は一攫千金というような話しだったのかもしれない。今は不景気が続いていて、安定して収入のある「サラリーマン」やら「公務員」という子どもが多いのか、しがらみのようなものを感じてしまう。知人の就学前の女の子が、何になりたいと聞かれて「カブトムシ」と答えたのは、圧倒されたが良いなと思ったが、周りの大人たちはすぐにでもこのような夢には修正をしてくるだろうと感じる。見学する大人の方が多い、幼稚園の卒園式で、園児たちが最後に何になりたいかを大勢の前で一人ずつ語ったのだが、半数以上が「警察官」というので辟易とした。これには、他の式典などによく参加する警官が敬礼のポーズをとって挨拶するのを子どもたちは面白がって真似するなどして喜んでいて、警官が身近で好かれているという種明かしもあるわけだが、それにしても一人が「警察官」と言って、そう言っておけば間違いないという、大人たちの不安のまなざしにさらされた子どもたちのしがらみを感じたのであった。そもそも子どもの時の夢ってなんなのだろうか。

今思えば、私もその時々に親や大人たちに対して、取り繕った夢をそれらしく語ったように思うが、私はただただ遊びたかったのであった。それも分け隔てなく、自分だけが楽しいのも嫌で、楽しそうでない人があれば立ち止まってしまうような遊びであったが、それでもただそこにいるみんなと楽しく遊べたらよかったのだった。私はその夢を今でも捨てないでいるようだった。そしてこの夢は、親の願望や欲望にどれだけ影響されているのかもしれないが、今の夢でもあるのだ。唐突に思うかもしれないが、私はここで相模原であった障がい者施設での事件について話したかったのだ。あの事件の根っこは、労働力商品として使える健常者と使えない障がい者を分離する学校教育にあると考えている。最近は健常者と障がい者の垣根を取り除こうと統合教育などと言われているが、そこだけ取り繕っても、労働力商品としてや商品価値を上げるための学校教育である限り、労働者に対する虐待と障がい者の隔離はさらにすすんでいくだろう。大人たちの子どもに向ける不安のまなざしを、異質な他者を理解しようとするまなざしへと変えなくてはならない。もっと混ざらなくてはならない。鍋も混ざっているからいいのだ。子どもは分け隔てない。そして誰しも、働きたいが働かされたくはないのだ。

2016,8,19 髙橋淳敏

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