「普通なんてどこにある~会社編~」長井潔
「問題は君だ。何を開発したいですか」
新しい課長がにこやかに問いかける。
会社に慣れてきた4年目、清酒開発の部門に所属が変わった。醸造は何一つ知らない。
「どれでもいいです」と答えた。
他の社員が希望を埋め、最後に残った低アルコール清酒の開発をあてがわれた。
(誰もやりたくないテーマだ)
女性向けの日本酒は売れにくいからだ。
ところが新しい常務が女性で、これを最優先課題にした。
(うそ…)
素人の私に補佐が何人も付き、一か月後には試験醸造することに決まった。
「まずは普通の方法でするしかない」
困った顔で課長が仕込み配合を決めた。できた酒から異臭がする。製造部長が、
「次に失敗したら開発中止だ」と言う。課長はにこにこして、
「ここからだ。この結果があるから次に行ける」
普通でない仕込みを検討する。数か月試行して決め、部署の会議にかけた。
「いつのまにこんな仕込みに変えたの?」
驚きの声が上がる。
試験醸造に入る。好奇心で醪をなめると、あまりのまずさにのけぞった。完成時においしくするための工夫だった。
試みは成功し、一番に商品化された。
次の課題はにごり酒の改良だった。
「君は普通でない酒の専門ね」
既存の製造工程を自由に組み替えていく。
午後から他社と打ち合わせる予定の日、昼休みにロッカールームで寝過ごした。全社一斉放送で名前を呼ばれて目が覚め、急いで机に戻る。
課長は大声で笑い出す。
(いや、叱るところでしょ!)
勤務態度も普通でなくてよいらしい。
人間関係に悩む仲間から相談を受けた時には、勤務時間中にも話し込んだ。何も責められなかった。仲間は辞めてしまい、課長は
「解決できればよかったのに」とつぶやく。
部下を管理せず、大切にする。
やがて課長は部長になった。厳しくなった経営を向上させる提案が全社員に求められた。
「部署を超えてチームを作り開発過程を全社員で共有する」これまでではありえない商品開発案を書いた。
この提案だけが通った。
リーダーになった。別々の部署から若手が集まる。見知らぬ営業課長がこのチームを認めるよう上司に土下座して頼んだ。上部から批判は多く、開発過程を全社員に見せている。自分を信じチームを導かねば先はない。本業に手が回らない私を部長は責めず、
「ここまで来たら製品化」とはっぱをかける。
結局、技術的な理由で製品化されなかったが、商品案は高い評価を得た。
この仕事から学んだことは多すぎた。
退職した。
これも普通ではない。いつも普通はなかった。だからいっぱい成長させてもらった。
*
元同僚とはその後もたまに会ったが、部長には年賀状すら出さなかった。10年ぶりに、元同僚との飲み会で再会した。
(全くなつかしくない)
昨日も会っていたような感覚に襲われた。私の今の仕事を根掘り葉掘り聞いては意見してくれる。
「年に一回会うの。じゃあ来年も」
私は今、出会った当時の彼と同じ年齢になる。
…まだまだ普通だ。
2016,4,14 長井潔