NPO法人 ニュースタート事務局関西

精神とお金

By , 2015年9月20日 10:00 AM

表題の件。

誰もがその関係に気づいているのに、誰もが知らないふりをする。その代表が精神科医であるように考えている。精神科医や学者、病院関係者は、それとして社会的に振る舞う時に、精神とお金を関連させることを忌み嫌う。お金の授受については、興味がないと言わんばかり、ままごとのようである。精神を病むということは、お金とは無関係と考えたいのか、病気とお金の関係を引き剥がしにかかる。そこで、抽出された病態だけをどのようなつもりなのか「治療」をしようとする。そして、その治療行為を適当に科目分けし、患者の精神を区別してお金の受け取りをする。たしかに、お金と精神が関係していれば、それが原因もあって病気になったのなら一時的にそれらの関係を引き離すこと区別することに、何らかの効果はあるのだとは思う。当面の生活には困らないほどのお金を保障するのと同じくらいに、お金について考えなくていいことは精神安定剤くらいには作用するかもしれないし、お金に悩まされて精神を患った人なんかはその患者の大半であるといってもいい。だが、精神科医療はいつまで経ってもその引き離された精神ばかりを診察室や病院の中だけで診ているばかりである。いや、それでも精神を診れているのならまだいいのかもしれないが、精神は切り離されたがために当然治らないのだと、むしろお金ばかり見ていて多量の薬を出し、すぐお金になるのでそれが仕事だと考えている。精神とお金の関係改善やその新たな関係を発明することを怠っていて、そんなのはすぐにお金にはならないので仕事ではないと考えている。それでいて社会に復帰させたのは医者や病院関係者の手柄とし、また再発したなどと言っては、今度は本人や社会のせいにさえしている。支援者として私は違うと主張しても、そういうシステムになってしまっているのだ。

 

まず、精神科医療が内科や外科などとともにいわゆる西洋医学のしかも現代の日本的な医療モデルの中で、具現化しているのがとてもとてもおかしなことだと私は考えているのだが、兎にも角にも精神科医療はお金のことにできることなら関わらない方がいいと考えているようだ。そんなことは知らない方がいいのだと、入院をさせ薬をぽんぽん出して、何様のつもりなのか有る事無い事を適当に診断認定し、患者にもお金をばらまいてやった気になっている(もちろんばらまけてさえいない)。それでは医療費がいくらかさばっても仕方がないのだが、精神科医やその関係者は社会の可能性や経済が精神にもたらす影響に職業的に目をつむるしかないのでしかたがないし、患者周辺の人たちや地域の人たちは精神科医療に頼ろうとするのでどうしようもない。医療費は病んだとされる本人に支払われるのではない。勘違いしてはいけないのだ、その全ては医療関係事業に支払われている。患者が増えるから医療費が増えるのではない。医療費が増えるのは、医療関係事業者が医療費を増やそうとするからで、盲目的にそれらのシステムに頼ろうとする地域が患者を増やしているのだ。このようなシステムの中で精神科医療を行っていく限り、患者は増える一方であるし、薬や治療は買いやすい商品として増える一方である。それでもちゃんとした「治療」というものが行われているのなら「別」と考えているのかもしれないが、当然このようなシステム上まともに治療が行われるわけはない。5分診療で薬を出し、だめなら入院でもしますかと、お金と精神とのかかわりなどは考察されず、個人のものとされた精神を薬などでなんとかぼやかすくらいのことくらいしかできない。しかも、そのようなおかしなことをしているかもしれないという認識が精神科医療従事者に少なくなってきているように思う。自らの生活を成り立たせている社会自体が病を生んでいるという自覚はないし、治療者であるあなた自身が、目の前にいる病者が病者であるための直接的な原因であるかもしれないことを想像できない。

 

お金の話しだけではない。精神科医は病気の治し方を知らないのだ。社会との関わりの中でしか病気は治らないのに、精神が個別で所有できるものだと考え、精神病院の中に入院隔離して、病院の中で一般的に問題がない状態にまで、薬や療養で精神を個人の身体の中に抑え込む。いわゆる症状が落ち着いたときにはもう、精神と社会との関係はだいぶと隔たれたものになってしまっている。そのような医療の問題を個人的にさらに抱えさせられて、しかも隔離させられた社会に放たれては再び精神は反乱を起こし、また薬や入院によって「治療」という名の精神の抑え込みをする。それが、病床数が圧倒的に多く、入院期間も長く、治すことのできない日本の精神科医療の実態である。

 

それなのにもかかわらず、発達障害といわれるような、精神病より精神科医療とほど遠いと思われる社会現象ですら、現在の問題多き精神科医療のシステムに、この発達障害の問題をゆだねようとするのは、愚かで無責任なことである。医療や福祉を根こそぎ変えなくてはいけないだろう。引きこもりが望みもない中、頑張って外に出ていけば「発達障害」などと精神科医に偉そうに嘘つかれるだけならば、いっそのこと引きこもっていた方がいいのではないかと思ってしまう。

2015年9月17日髙橋淳敏

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